第十八話 また、夏の始まりに 後編
結婚の準備がおおかた完了したことにより、あとは結婚式を待つばかり。
って、大事なことを忘れているじゃない。
結婚してから最初のイベント、新婚旅行を!
でも、ゴウさんは長いお休みが取れないわよね。
年末年始にお盆や大型の連休はもちろん、ちょっとした三連休にもお仕事。
いつも、システムテストや機器の入れ替えの予定が入っているもの。
今年のお正月にお休みできたのも、久しぶりだって言っていたし。
先月からは、期首のシステム変更の準備ですごく忙しそう。
夫の仕事に理解がある新妻としては、新婚旅行は諦めるしかないかな。
「やっぱり諦めようかな、新婚旅行……」
「どうして?」
「だって、ゴウさんは長いお休みが取れないでしょ」
「余計な心配はしなくてもいいよ、休みなら入れてあるから」
「えっ、もうお休みを入れてあるの?」
「式の前日の土曜日から次の日曜日まで、九日間」
びっくりするような答えが返ってきちゃった。
「九日間も、本当?」
「こんな時期に、そんなことでうそは言わないさ」
「やったあ!」
「破顔一笑かよ、さっきの殊勝な発言は何だったんだ」
「よく九日間も休めたわね、期首のシステム変更があるのに」
「俺が担当しているプログラムの修正は、とっくに終わらせてあるから」
「もう?」
「休日を除けば、平日に休むのは五日間だけだし」
「振替休日にだって、出勤しなきゃいけないくせに」
「俺がいない間の仕事は、ハードウェアの関係を除いて南野に任せたよ」
「ハナマルに?」
「俺がいない間は南野がテストする予定だし、トラブルへの対応は電話で」
ハナマルに借りを作るのが、しゃくにさわるけれど。
新婚旅行をこの手にできるなら、この際だから多めにみてあげるわ。
「行先は南の島、ビーチリゾートがいいわよね」
「どうして?」
「あたしの水着姿を見てもらえるからよ、ムラムラさせてあげるわ」
「そんなものを見たからって、別に何ともならないぞ」
「ふんだ、強がっちゃって」
「毎日のように、下着姿で目の前をうろうろされているからな」
「水着と下着は違うわよ」
「普通は、下着姿を見られる方を恥ずかしがるもんだぞ」
「行き先はどこにする?」
「俺はどこでも、おまえが行きたいところでいいよ」
「ハワイかな、それともグアムかサイパン?」
「明日は旅行代理店へ予約に行くから、今夜中に決めておけよ」
「出発するのはお式の翌日として、前日と当日を除くと新婚旅行は七日間ね」
「ハワイなら、帰国後の時差ぼけを解消するために一日はほしいところだが」
「じゃあ、六日間?」
「露骨にがっかりするなよ、時差ぼけは我慢するから七日間でいいよ」
「いいの?」
「どうせ俺は、普段から昼夜がずれた時間を過ごすのには慣れているし」
「だったら、七日間で決まりね!」
「っていうか、おまえだって時差ぼけの解消は必要だろ」
「大丈夫よ」
「昼夜が逆転するんだ、体がもたないぞ」
「あたしは、月曜日も休むもの」
「どれだけお気楽なんだよ」
ひと晩、熟考した結果。
新婚旅行は、五泊七日でのハワイに決まったの。
「こんなに朝早くから、何をやっているんだ?」
会社へ行く支度を終えて、二階から下りてきたゴウさん。
キッチンで奮闘しているあたしを見て、声をかけてきたの。
「見れば分かるでしょ、ビーフシチューを作っているのよ」
結婚式を押し付けられた騒動のときに、ど~んと株を下げちゃったでしょ。
だから、自分が最も得意な料理で評価を見直してもらおうってわけ。
こんなことができるのも、同居している婚約者だからこそのメリットね。
「とびきりおいしいビーフシチューを作ってあげるから、期待してね」
そんな、あたしの意気込みを知ってか知らでか。
「作るなら休みの日にすればいいだろ、なにも平日の朝に始めなくても」
「明日から出張でしょ、今夜はおいしいものを食べてもらおうと思って」
ゴウさんは明日の朝から、二泊三日の予定で福岡へ出張に行くんです。
例の専用端末からパソコンへの入れ替え作業で、最後に残った営業所なの。
「うまいものなら、出張先でいくらでも」
「へえ、婚約者の手料理に勝るものなんて出張先にあるんですか?」
「あいかわらず、面倒なやつだな」
テーブルの上に目をやったゴウさんは。
「赤ワインにトマトか、市販のルウは使わないのか?」
自分で料理をするだけあって、すぐに気づいちゃうのね。
「本格的な手作りよ、缶入りのデミグラスソースも使わないんだから」
「調理師の免許を持っているだけあってさすがだな、とでも言わせたいのか」
「そこまでは考えていないわ、おいしいって言ってくれるだけで満足よ」
コンロにかけてある、シチュー鍋をのぞいたゴウさんは。
「ほとんどでき上がっているじゃないか、何時から始めたんだ」
「五時前、かな」
「この後は、何を?」
バターを溶かした小鍋に薄力粉を入れて、かき混ぜながら。
「ブラウンルウを作っているの、これを入れれば味を調えて煮込むだけ」
「煮込むって、おまえだって学校に行くんだろ」
「先生がお昼に講演から帰ってくるから、火を入れてもらうように頼んだわ」
「大丈夫なのか、オバちゃんに任せて」
先生のことを、何だと思っているのかしら。
「焦がさないよう、念を押したもの」
「外村のふりをしていたころのおまえに、負けず劣らずのずぼらだぞ」
それって、例えとしちゃどうなのかしら。
「今夜は早く帰ってきてね、愛する妻の力作なんだから」
「まだ婚約者だろ、先走るとろくなことが待っていないぞ」
「あたしの中では妻と婚約者は同義語よ、とにかく早く帰ってきてね」
「八時までには帰ってくるよ」
ゴウさんの心配をよそに、ほどよく煮込まれたビーフシチューは。
帰りにゴウさんが買ってきてくれた赤ワインとともに、食卓を彩ったの。
「これほどまでにうまいとは思わなかったよ」
「ほんと?」
「ああ、これからは外でビーフシチューを食べることはないと思うな」
おかわりを二度もした後に、満足そうな顔でゴウさんがそう言ってくれた。
褒め言葉としては、百点満点ね。
婚約したお祝いにお姉ちゃんがくれた、あの写真スタンドを眺めていると。
「まだ見飽きていないのか、十七年も見続けていたのに」
そう冷やかしてきたゴウさん。
「中毒としては、よっぽど悪性なんだろうな」
「これを見ていると気分が落ち着くのよ、きっと癖になっているのね」
「だから、それを悪性の中毒って言うんだよ」
ふんだ、何とでも言いなさいよ。
「それより、中身はどうしたんだ」
「中身には興味がないわ、あの写真とトランプは昭さんのだもの」
「ついこの間まで知らなかったくせに」
「とにかく、あたしが欲しかったのはスタンドだけよ」
「中が空でも落ち着くのか、悪性の中毒っていうより悲しい習性だな」
聞き流すのよ、ここから先が悲願を成就させるための第一歩なんだから。
「そんなわけはないでしょ、これから中身を充実させるんだから」
「充実って?」
「これよ」
ゴウさんに渡したのは、一枚のジョーカーと油性のペン。
「ちゃんとあたしの名前を書いてね、美乃里って」
「これは充実じゃなくて、新アイテムの補充って言うんだろ」
そう言いながらも、ペンを手に取るとキャップを開けながら。
「美乃里とは書かなくてもいいだろ」
「ささやかな抵抗ね、許してあげたいけれどちゃんと書いてちょうだい」
ゴウさんがトランプに書き終えると。
「それとゴウさんの写真をちょうだい、小学五年生ごろの」
「写真を撮られるのが嫌いだからな、小学五年生の写真なんてあるかどうか」
その点では、ハナマルはたいしたものだわ。
あれだけの写真をそろえていたんだから。
「お母さまに聞いたら、ゴウさんに持たせたアルバムの中にあるって」
「ったく、まずは俺に聞けよ」
「小学五年生のときの運動会で、応援団をしている写真ですって」
押入れの中から、開封もされていない段ボール箱を取り出して。
アルバムから、指定したとおりの写真をくれたゴウさん。
これでよし。
右には、小学五年生のゴウさんの写真を。
左には、美乃里と書かれたジョーカーを入れれば。
十七年もたって、やっとあたしにとっての完成形になった写真スタンド。
「どこに飾ろうかな」
「まだ続けるつもりなのか、趣味の悪いまじないを」
「失礼ね、趣味が悪くもないしおまじないでもないもん」
「どうだか」
熟考の末、ベッド横の出窓に飾られた写真スタンド。
ちょっと前までつるされていた指輪の代わりに、ここに飾られるなんて。
運命的だし、これからはあたしの本当の宝物になるわね。
さっき言っていたハナマルの写真については、こんなことが。
「これ、結婚のお祝いに」
香澄と一緒にお泊まりに来ている、ハナマルから渡されたのは。
一冊のアルバム。
「何よ、これ?」
首をかしげながら開いてみると、全部が全部ゴウさんの写真じゃない。
「会社や出張先で、何年もかけて撮りだめていたのよ」
被写体の結婚相手に対して、偉そうに言うことではないと思うけれど。
「ゴウさんは写真を撮られるのが嫌いなのに、どうやって?」
「これよ」
ハナマルがバッグから取り出したのは、ごく小型のカメラ。
「隠し撮り用でシャッター音もしないの、意外と写りがいいでしょ」
いったいどこで買ってくるのよ、こんなもの。
「これって盗撮じゃない、しかもほとんど職場で」
「人聞きの悪い、お忍びの撮影って言ってほしいわ」
文句を言ってはみたものの。
ちらっと見ただけでも、いいカットの写真ばかりがずらり。
悔しいけれど、さすがハナマル。
ゴウさんを撮らせたら、右に出る者がいないわね。
「ありがとう、大切にするわ」
「ちょっと、あげるなんてひと言も言っていないわよ」
あたしの手から、アルバムを奪うハナマル。
「えっ?」
「あたしの宝物だもの、見せてあけるだけよ」
「でも、お祝いだって言っていたじゃない」
「だから、こうやって見せてあげているんでしょ」
結婚のお祝いが、写真を見せてくれるだけってどうなのよ。
むしろ、コレクションを見せびらかされているだけなんじゃ?
「どうした、さっきから難しい顔をして」
「えっ?」
「眉間にしわが寄っているぞ、似合わないからやめておけ」
どうせなら、物憂げって言ってよ。
「お姉ちゃんは、じきに昭さんと結婚するでしょ」
「向こうが落ち着いたらって言っていただろ」
「あたしとゴウさんが結婚するのは、もうすぐよね」
「それがどうした」
「昭さんがお姉ちゃんの夫なら、あたしにとって義兄にあたるのよね」
「そういうことになるな」
「でも、ゴウさんの弟ならあたしたちが結婚したら義弟になるのよね」
「どうでもいいことばかり考えているんだな、よっぽど暇なのか?」
「考えていたら、混乱しちゃったのよ」
「今は、他に考えるべきことがいくらでもあるだろ」
「昭さんが義弟なら、妻のお姉ちゃんはあたしにとって義妹になるの?」
「そこは、あくまでも姉でいいんじゃないか?」
「ほら、難しいでしょ」
「兄弟と姉妹がクロスオーバーして結婚するんだ、面倒な関係ではあるな」
「でしょ、だから」
「余計な心配をしないで、今までと変わらずに呼べばいいんじゃないか」
「呼び方は気にしていないわよ」
お姉ちゃんはお姉ちゃんで、昭さんは昭さんって呼ぶもの。
「だったら、何を心配しているんだよ」
「関係を聞かれたら、何て答えればいいのかなって」
「それが余計な心配だっていうんだ」
「重要な問題よ」
「めったにないだろ、関係を聞かれることなんて」
「パパの会社でお姉ちゃんか昭さんを訪問したら、受付で何て書くのよ?」
「訪問なんてしなけりゃいいだろ、用事なら電話で済ませて」
「備えあれば憂いなしって言うでしょ」
「一年間もドタバタに付き合わされたのに、まだ備えるのか」
「それだけあたしのことを考えていたられた、ってことじゃない」
「ものは取りようとは、良く言ったものだな」
そうか、ゴウさんとこの家で会ってからもうすぐで一年ね。
いろいろなことが次から次へとあって、忙しかったのは確かだけれど。
あたしにとって忘れられない一年間になったのだけは、間違いないわ。
また夏の始まりだもの、結婚式まであと十日か……。
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