第十二話 後顧の憂いのないように 後編
「明日の夜は、すき焼きでいい?」
「構わないが、すき焼きは二週間前に食べたばかりだろ」
「しょうがないのよ、ハナマルからのリクエストなんだもの」
「若い娘が三人ですき焼きって、渋すぎるんじゃないか?」
「いい日本酒が手に入ったからすき焼きで飲みたいって、ハナマルが言うの」
頻繁にうちへ出入りするようになった、ハナマルですが。
今週末は、香澄を連れてお泊まりにくる予定なんです。
ゴウさんがいる週末なのに、お泊まりを?
週末は、パソコンの入れ替えで静岡へ出張するはずだったゴウさんですが。
おととい、出張が来週末に延期になったの。
「出張が延期になるって、珍しくない?」
「購入先に手違いがあって、入れ替えるパソコンが本社に届いたから」
「作業ができないんじゃ、延期にもなるわね」
というわけでゴウさんはうちにいるんですが、ここでちょっとした問題が。
「普通のすき焼きだからシイタケやシュンギクが入るけれど、いいの?」
きのこの中でも一番嫌いなシイタケと、香りが嫌いなシュンギクは。
ゴウさんの好き嫌いランキングの中でも、トップランカーです。
「嫌いな食材は、食べなければいいだけだから」
「ふうん、代わりに何かリクエストはある?」
「いつものようにちくわぶを入れてくれれば、それでいいよ」
「ゴウさんのすき焼きには、薄切りにしたちくわぶがマストだものね」
締めにうどんを入れる、なんてことは聞くけれど。
ゴウさんは、ちくわぶを具材として入れるのが好きだなんて。
あたしも、最初は驚いたし。
たかがすき焼きで、ここまで好き嫌いがあぶり出されるなんて。
今でこそ慣れましたが。
この家でゴウさんと同居することになった日に、初めてとん起へ行って。
自己紹介をしたときに聞いた、ゴウさんの好き嫌いには驚きました。
「カキとアサリ以外の貝が嫌いで、ナメコ以外のキノコが嫌い」
「川魚と山菜が嫌いで」
「くせのある香りの野菜、ミツバやオオバにミョウガやセロリが嫌いだ」
ニンニクやニラにネギは好きなくせに。
「カリフラワーとブロッコリーが嫌い」
「モヤシが嫌いで、カイワレ大根も嫌いってことにしている」
カイワレ大根は、ミツバに似ているから。
間違えて、ミツバを食べることがないように用心しているんですって。
「すき焼きに使う以外の生卵に、玉子焼きが嫌い」
最近知ったけれど、このパターンも多いの。
おでんのはんぺんは、おかわりをするぐらい好きなのに。
はさみ揚げにしたはんぺんは、嫌いなんだもの。
何ともややこしい好き嫌いなんで、聞いてみたの。
「どうして、きのこや貝類を嫌いになったの?」
「食感が、コリコリやクニャクニャしているものが苦手なんだ」
「ホルモンは大好物なのに?」
コリコリやクニャクニャの、最たるものだと思うけれど。
「小さいころは食えなかったよ、酒を飲むようになってから食えるように」
予定どおり、すき焼きで良くなってひと安心。
「どうした、やけにごきげんだな」
「ゴウさんに手料理を食べてもらえるのが、こんなにうれしいなんて」
「今までは、料理ができない外村のふりをしていたからな」
「つらかったわ、得意の手料理をふるまうのを我慢せざるを得ないのは」
「自慢の腕を振るえているから、今は満足だろ」
「そりゃ、ゴウさんがおいしそうに食べてくれるから」
「嫌いなものを使わないからな、安心して食べられる食事は貴重なんだよ」
おいしいからではなく、安心できるからですか?
あたしだって、このままでいいとは思っていなかったんです。
ゴウさんが食べられるものだけで作ったのでは、腕の振るいがいがないし。
栄養のバランスが偏っちゃうし。
何より、子供がまねするようになったら……。
そこで、ゴウさんの好き嫌いに正面から向き合う決意を固めたんです。
あたしの目の届かないところでの、ゴウさんの食について。
しっかりとリサーチをした上で、万全な対策を講じて。
ゴウさんの好き嫌いを改善、あるいは克服させちゃう。
これが、二つ目のミッションなんです。
リサーチする前に、まずは要点を整理してみましょ。
好き嫌いがあると問題になる点、といえば……。
結婚相手の両親の前で食べるとき、か。
娘の夫になる人が好き嫌いをしていたんじゃ、いい印象は与えないものね。
でも、あたしのパパとママについては問題ないんです。
ゴウさんの好き嫌いについては話してあるから、黙認してもらえるの。
理解のある義両親で、ゴウさんはラッキーね。
あとは、仕事上だわ。
部内の宴会や同僚との飲み会に、上司や取引先との席ってのもあるし。
「会社の飲み会ではどうしているの、いちいち説明するのは面倒でしょ」
「俺の好き嫌いを優先していたら、食えるものが限られるからな」
「おつまみを個別に頼めるときは、困らないのよね」
「当たり前だ、嫌いなものが入っていない品を頼むんだから」
「大皿から取り分ける場合は?」
「嫌いなものが入っていても構わないよ、取り分けるときによけるから」
スパゲティのマッシュルームをよけた、なんて話を前に聞いたわ。
「先輩に料理を取り分けようとする、そんな後輩だっているでしょ?」
「そうされないために、日頃から予防線を張っておくんだ」
「予防線?」
「飲んだらつまみはほとんど食べないって、公言している」
「おつまみ全般を食べなければ、面倒がないってこと?」
「ああ、そのおかげで今じゃ俺に料理を取り分けるやつなんかいないよ」
「でも、食べなかったらおなかが減るでしょ」
「まったく食べない、ってわけじゃないから」
そりゃ、そうよね。
「天ぷらや刺し身は食べられるネタを、鶏の唐揚げがあればそれを食べるし」
「大変なのね、好き嫌い道を貫くのも」
「茶道や華道じゃあるまいし、道って言うな」
「厳しい戒律の上、宗祖が一人でお弟子さんもいないんじゃね」
これで弟子までいたら、周囲の人はたまったものじゃないでしょうけれど。
「お料理がコースのときは、どうしているの?」
「嫌いなものが出されることが多いから、コース料理には苦労させられるよ」
「お料理に手を付けないと、目の前にずらりと並んだままになるでしょ」
「だから、部の飲み会ではなるべくコース料理にしないように頼んでいるよ」
「それこそ、わがままじゃない」
「幹事はたいてい南野だから、何とかなるんだ」
ああ、なるほど……。
「コースだったら、嫌いな料理には手を付けずに誰かに食べてもらうし」
「そんなことじゃ、結婚式の披露宴には出席できないわね」
「感無量の体で、手をつけないさ」
「会社の偉い人や取引先との飲み会だと、コースは避けられないでしょ?」
「コースになることは、むしろ少ないかな」
「どうして?」
「部長から、うちのお偉いさんや取引先に俺の好き嫌いを話してあるから」
聞きたいことはあらかた聞けたと思っていたのに、まだ続きがあるとは。
「うっとうしいのは社員旅行だな、行き先が内陸だと参加したくなくなる」
「行き先で?」
「山の幸と川の幸がずらりと並ぶからだよ、何から何まで食べられないから」
「大変ね、楽しいはずの社員旅行なのに」
「食べられるものが多い海の近くにしてもらうよう、働きかけてはいるが」
「海の近くばかりとはいかないでしょ、内陸になったらどうするの?」
「宴会中は酒だけ飲んで、部屋に戻ってから持参したつまみを食べるよ」
「たかが社員旅行で……」
「俺にとっては、たかがで済まされるほど小さな問題ではないんだよ」
「それだけ好き嫌いがあったら、いろいろと大変でしょ?」
「おまえが思っている以上に、大変だよ」
ふ~ん、好き嫌いが多いと生きづらいという自覚はあるみたいね。
「それを分かっているのに、好き嫌いを貫き通しているなんて」
「好きなものは人一倍食べるから、バランスはとれているさ」
「バランスねえ……、そういえばハナマルが言っていたわ」
「南野が、何て?」
「夜はまったく食べないゴウさんなのに、昼はがっつり食べるって」
「どうせ、会社の向かいの焼き肉屋での話だろ」
「ランチにご飯をどんぶり七杯も食べたって、おかずのお肉は並の量なのに」
「夜の俺を知っているやつは、昼の食べっぷりを見ると驚くよ」
「昼のゴウさんを知っている人は、夜の食べなさっぷりを見たら驚くでしょ」
「まるで別人だからな、夜と昼じゃ」
「お義母さまも手を焼いたでしょ」
「そうでもないさ、おふくろは俺に好き嫌いがあることすら知らないかも」
「えっ?」
「うちでは、俺の嫌いなものが食卓に並ぶことがなかったからな」
「どういうこと?」
「おふくろは、自分が嫌いなものを食材として使わなかったんだよ」
「じゃあ、食べたことがない食材を片っ端から嫌いになったってこと?」
「正確には、食べたことがない食材には嫌いなものが多かったってことだ」
「だったら、昭さんも好き嫌いが多いの?」
お姉ちゃんも、あたしと同じような苦労をするのかしら……。
「いや、あいつは何でも食べるよ」
「どうして、ゴウさんだけが?」
「俺に聞かれても、昭が変わっているだけだろ」
そうかしら、ゴウさんの方がよっぽど変わっていると思うけれど。
「小さいころ、この家に引っ越した当初はオバちゃんに苦労させられたな」
「先生に?」
「何とかして、俺の好き嫌いをなくそうとするから」
先生らしいわ。
というより、普通の人ならそうするでしょ。
「おいしいから食べてみなさい、なんて手から始まって」
「ゴウさんのことだから、そんな手にはのらないんでしょ」
「当たり前だ」
「それじゃ、先生の次の手は?」
「やれ頭が良くなるとか、やれ背が伸びるとか」
「何とかしようと、先生も必死だったのね」
「そのうち、オバちゃんが諦めてくれたから助かったよ」
だったら、あたしが根比べに負けた先生の敵討ちを。
どうすれば、ゴウさんが嫌いなものを食べられるようになるかしら。
「おまえ、またろくでもないことを考えているだろ」
ぎくり。
「どうして分かるの?」
「オバちゃんがしょうもないことをたくらんだときと、同じ顔だから」
「先生が、何をしたの?」
「ギョーザに、細かく刻んだシイタケをまぜたことがあって」
いいアイデアだわ、手作りのギョーザはゴウさんの大好物だもの。
「どうしてばれちゃったの?」
「そりゃ、においでばればれだからな」
リサーチを終えて分かったのは。
ゴウさんの好き嫌いが、筋金入りだってこと。
あの先生ですら、挑戦してはみたものの諦めたぐらいだもの。
ゴウさんの好き嫌いを、どうにかしたい。
そんな使命感からの、ミッションだったけれど。
だんだん、このままでもいいんじゃないかなって思うようになってきたの。
普通に考えれば、好き嫌いは決して褒められたものではないけれど。
種類として食べられないのは、山菜と川魚に貝類だけ。
いろいろ工夫して、他人に迷惑がかからないようにしているから。
知らない人からは、好き嫌いが多いとは思われていないだろうし。
不都合があるのは、ゴウさん本人だけなんだもの。
これまでうまくやってきたんだから、このままでいいのでは?
それに、食べられるようになったものも少しはあるって言っていたもの。
「カキとカズノコは、大学生になってから初めて食べたけれど」
「今では、大好物だものね」
「アスパラガスも、先輩の家に泊まったときに初めて口にしたけれど」
「先週もリクエストされたわ、アスパラガスの牛肉巻きを」
年齢を重ねると、好みや味覚が変わるって言うもの。
これから食べられるようになるものだって、そこそこあるでしょうし。
だったら、このままでもいいのかな。
お世辞にも成功とは言えないけれど、二つ目のミッションはこれにて終了。
最低限の方針が決まったんだし、よしとしましょう。
あたしたちの子供には、ゴウさんの好き嫌いはまねをさせないようにする。
それで十分、ということにしたんです。
気持ちの切り替えが、驚くほど早くて。
不都合なことは、頭からさっぱりと消去できる。
それが、あたしの数少ない長所だし。
何より、これで後顧の憂いもなくなったんだから。
この長所を伸ばして、より良い妻になってみせるわっ!
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