第一話 五月の連休は○○の日
ごぶさたしております。
わたしは、とある町のビルの屋上でくるくると回っている。
このお話をさせていただいている、風見鶏です。
おかげさまで、ビルのお色直しもようやく終わり。
長いことこのビルを覆っていた、うっとうしい足場やシートも取り除かれ。
このわたしもピカピカに磨いてもらったおかげで、気分は爽快です。
これまでは比較的、のんびりとしていたこのお話ですが。
何話かすると、ジェットコースターに乗っているような展開になるので。
しっかりとシートベルトを締めるような気分で、お楽しみください。
それでは、お話が終わるころにまたお会いすることをお約束して。
さっそくお話の続きを始めましょう。
とはいえ、何せわたしも久々ですし。
まずはのんびりとしたお話で、ウオーミングアップをさせてください。
それでは。
時を三十年以上も前、年号が昭和から平成になったころに戻しましょう。
例の浴衣騒動から二週間ほどたった、五月になろうとするある日の夜。
ベッドで読書中のゴウさんへにじり寄ったあたしは、精一杯の甘い声で。
「ねえ……」
「今度は何をねだるつもりだ?」
相変わらず鋭いわね。
「もうすぐ大型連休でしょ、どこかに連れていってほしいな」
「連休中、俺は名古屋営業所の移転作業で東京にいないぞ」
そうか、三日から連休明けの六日まではカレンダーに×の印が。
「だったら、連休中じゃなくてもいいわよ」
「どこかって、どこに行きたいんだ?」
「レジャーがいいな、例えば潮干狩りとか」
「潮干狩りだと車が必要だろ」
「どうして車で?」
「そりゃ、荷物になるからだよ」
「荷物って、道具なんて向こうで借りればいいじゃない」
「道具じゃなくて、着替えが必要だろ」
「着替えって?」
「しりもちをついたり、ころんだりするから」
「心配性ね」
「着替えが必要なのは俺じゃないよ、おまえに決まっているだろ」
うう……。
「それに、潮風に当たる海の近くに車で行くのは」
雨が漏ったり地下駐車場に入れなかったり、何かと虚弱体質な車だものね。
「じゃあ、イチゴ狩りなんてどうかしら?」
「イチゴ、ねえ……」
「どうしたの、まさかイチゴが嫌い?」
「そんなことはないよ」
「だって、この冬はミカンやリンゴを食べなかったでしょ」
「そんなもの、あったか?」
「先生の講演先から、箱で送られてきたじゃない」
「キッチンに置いてあった、邪魔な箱か」
「あたし一人じゃ、食べても食べても減らないから困っていたのよ」
先生は家を空けがちだし、ゴウさんは食べてくれないし。
「ミカンやリンゴは、好んで食べないから」
「じゃあ、イチゴは?」
「出されれば食べるから、嫌いじゃないよ」
「じゃあ、どうしてさっきは口ごもっていたの?」
「イチゴ狩りって、練乳が少ししか付いていないから」
「練乳って、子供みたいなことを言って」
「たっぷり練乳を付けてこそ、イチゴはうまくなるだろ」
「あきれた、何もつけなくても十分に甘いでしょ」
「提案しておいて何だけれど、イチゴ狩りのシーズンって冬じゃなかった?」
「五月いっぱいなら、やっているところがあるよ」
「ふうん、ここからだとイチゴ狩りってどこに行くの?」
「千葉かな、千葉市内にはいくつも農園があるし」
「電車で行くの?」
「千葉まで行けば、ちょっと前にできたモノレールで五分だ」
「詳しいのね」
「俺の車のショップは、そのモノレールに乗っていくんだよ」
「へえ」
「ショップの店長が、近くでイチゴ狩りができるって言っていたんだ」
でも、せっかくのレジャーなのに千葉市内ってお手軽過ぎるのでは?
「千葉市内じゃ、レジャーって雰囲気が出ないわね」
「近くて便利だろ、どこでやったってイチゴ狩りはイチゴ狩りだし」
あのねえ、近いからパスしたいのよ。
もう少し遠く、あわよくばお泊まりに持ち込めるようなところじゃなきゃ。
「南房総がいいな、おいしいお魚も食べられるし」
「日帰りじゃ、そこまでは」
「どうせなら、一泊しちゃえばいいじゃない」
「一泊って、まるで旅行じゃないか」
ゴウさんって、この手の話にはにぶいのよね。
まるでじゃなくて、完全に旅行でしょ。
「二日続けて休みを取るのは、無理だぞ」
「土日じゃなくてもいいの、どうせ振替休日がいっぱいたまっているでしょ」
「その振替休日を、消化しきれないほど忙しいんだ」
「土日のどちらかで休めれば、振替休日を一日取って」
「二日休むことは決定かよ、それにおまえだって学校があるだろ」
「有給休暇を取るもん」
「うらやましいよ、とことんお気楽で」
「で、二日続けて休める日はいつなの?」
何としても、ゴウさんが二日続けてお休みできる日を探してもらうの。
「連休のレジャーじゃなくなるのは、本末転倒だろ」
「この際だもの、そんな小さなことに構っていられないわ」
「どうしたんだ、いつになく食い下がるな」
そりゃ、伊東への旅行で味をしめちゃったからよ。
「システムの大幅な変更が期首にあるから、この先は忙しくなるんだ」
「期首なら五か月も先じゃない、今から忙しくなる理由を話してよ」
「仕事のことを話しても、分からないだろ」
「話してくれなきゃ、もっと分からないでしょ」
しょうがないなあって顔をしたゴウさんは。
「六月からプログラミングを始めて、八月半ばからテストに入るんだ」
「五月ならいいんでしょ」
「これからの一か月が、俺にとってはいちばん忙しいんだよ」
「どうして?」
「まず、社内の各部署の責任者と仕様の最終確認をして」
確かに、聞いても何のことだかよく分からないわね。
「それが終わったら、部内で各チームのリーダーと細かい打ち合わせをして」
「どうして、ゴウさんが」
「俺は、今回のシステム変更の責任者だからだよ」
何のかんの言っちゃって、行きたくないのね。
「だったらいいわよ、イチゴ狩りなんかに行かなくても」
「そうすねるなよ、一日なら休んでも大丈夫だから」
「忙しいんでしょ、休みなんか取らないで好きなお仕事をしていれば?」
思わずお部屋を出てきちゃったけれど、ちょっと感じが悪かったかな。
どうする、戻って謝る?
あれだけ怒ってみせた手前、すぐ戻るのもどうかしらね。
それに、あれだけお願いしたのに。
検討してくれるどころか、おまえに言ってもどうせ分からないだなんて。
あたしは、いつだってゴウさんの予定に合わせているのに。
レジャーぐらい、わがままを聞いてくれたっていいじゃない。
ふんだ、今夜は自分のお部屋で寝ちゃうもんね。
翌朝、いつになく早く目が覚めたあたし。
いつも寝ている、ゴウさんのベッドじゃないからよく眠れなかった?
ううん、昨日のことが気がかりだからよね。
ベッドから抜け出して隣のお部屋をのぞくと、ゴウさんがいないわ。
もう出社したのかしら、それにしてもこんなに早く?
別のお部屋で寝ていたからって、いつものように起こしてくれないなんて。
昨日のことで怒っているのかな、意外と心が狭い人なのね。
そっちがその気なら、あたしにだって覚悟ってものがあるわ。
ゴウさんから頭を下げてくるまで、口をきいてあげないんだから。
あたしがそんな強気でいられたのも、その日の夕方まで。
なぜなら、夜になってもゴウさんが帰ってこなかったから。
連絡もなしに帰ってこないなんて、初めてよね。
やっぱり怒っているのかな?
お仕事の話をするのは嫌いだって、前に言っていたのに。
昨日は、思い切りさせちゃったものね。
いつだかは、とん起でお仕事の話をしたハナマルを怒っていたし。
しかも、ゴウさんはちゃんとあたしに説明をしてくれたのに。
あたしは、一方的にお部屋を出ていっちゃったから。
ゴウさんが忙しいのも、しかたがないのよね。
香澄が言っていたもの。
ゴウさんは、物流システムのサブからキャリアをスタートして。
一年ほどで、人事と給与のシステムのリーダーになり。
今では、管理会計システムと物流システムのリーダーも兼ねていて。
その上に若手の教育までしているから、とても忙しいって。
もし、明日もゴウさんが帰ってこなかったらどうしよう。
会社には行っているんだろうから、香澄に電話をして聞いてみる?
でも、これって他人にとっては痴話げんかだもの。
ちょっと聞きにくいな。
かといって、ハナマルに聞くのもね。
そもそも、ハナマルの連絡先なんて知らないし。
ゴウさんか帰ってこなくなってから、三日目。
学校から帰ったあたしが玄関で見たものは、そろえてあるゴウさんの靴。
急いで二階に行くと、人の気持ちも知らずにベッドでぐうぐうと寝ている。
「ゴウさん、ゴウさんってば」
肩を揺さぶって起こすと。
「どうした、やっと眠れたのに」
「連絡もなしに帰ってこないから心配していたのに、どうしたじゃないわよ」
半分泣きながらそう言うと。
「連絡なら、オバちゃんにしておいたぞ」
「へっ?」
「あの日の朝だよ、おまえを起こすのはかわいそうだったから」
「先生に、何て?」
「二日ほど会社に泊まるって」
あたしに伝えるのを忘れたんだわ、先生ったら。
いや、ちょっと待って。
あの日の朝、キッチンに行ったときに先生が何か言っていたような……。
もしかして、あたしがよく聞いていなかったってこと?
「頼むから寝かせてくれよ、この二日間はほとんど寝ていないから」
確かに、疲れ切った顔をしているわ。
「二日も徹夜するなんて、急なトラブルだったの?」
「おまえが言ったからだろ、どうしても一泊したいって」
「あたしのせい?」
「何とか二日間は休めるように、仕事をこなしていたんだ」
「会社で仮眠しながら、ぶっ通しでお仕事をしていたの?」
「おまえが行きたがっていたからな、何とかしてやろうと」
あたしのために……。
うちに帰るなり眠っちゃうほど疲れるまで、お仕事をしていたんだ。
「レジャーのことはもういいから、その分ゴウさんはゆっくり休んで」
「あれだけすねていたのに?」
「いいの」
「日曜日は休めるし、月曜日の振替休日だって申請したんだぞ」
「ごめんなさい、無理をさせちゃって」
「せめて、千葉市内のイチゴ狩りにでも」
「あたしのためにお仕事をがんばってくれただけで、もう十分だから」
「遊びに連れていくために仕事をしたのに、休めるようになったらパスかよ」
本末転倒なことになっちゃったけれど。
ゴウさんの気持ちは受け取ったから、あたしはそれで満足よ。
ありがとう、ゴウさん。
結局、潮干狩りやイチゴ狩りには行かなかったけれど。
結果的には、あたしたちは二人とも二日続けてのお休みに。
ゴウさんが振替休日を申請済みだと聞いて、あたしも有給休暇を取ったの。
日曜日はおうちでゆっくりして。
月曜日にゴウさんが連れていってくれたのは、柴又の帝釈天。
ここらの子供にとって柴又は、準地元みたいなものなの。
あたしだって、柴又は一度や二度ならず行ったことがあるし。
活発だったゴウさんは、もっとあちこちに行っていたでしょうから。
千葉市内どころか、近場中の近場になっちゃったけれど。
大人になってから、ましてやゴウさんと一緒だからかしら。
思いの外、楽しかったわ。
柴又までは、一回の乗り換えがあっても電車で十五分ぐらい。
帝釈天にお参りをしてから、お昼は老舗のうなぎ屋さんへ。
キモ焼きやかば焼きとおしんこで、お酒を楽しんでから。
うな重を食べて大満足。
ゴウさんがキモ吸いを嫌いなのに、びっくり。
追加で、赤だしのおみそ汁を頼むんだもの。
キモ焼きはあんなに好きなくせに。
年末にアメ横でうなぎを食べたときは、気づかなかったわ。
ゴウさんはうな重ではなく、かば焼きを食べていたからね。
いつもの独特な好き嫌いかと思ったら、お吸い物が嫌いなんだって。
参道のお店をのんびりと見てまわり、お土産のお団子を買って。
帰りの電車の中で、ふと考えちゃった。
あたしは、何をあんなに怒っていたんだろうって。
こうやってゴウさんと一緒にいるだけで、幸せなのにね。
そして、今回のことで分かったことがあるわ。
あたしがゴウさんに対して、すねたり怒ったりしたところで。
すべて自分に跳ね返ってくるってことを、ね。
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