4話 一緒に登校
翌朝、電車で左右に揺れながら吊り革を掴んでいる皐月は、昨夜の葵とのチャットのことを思い出していた。
早速一緒に登校というイベントに動揺した結果、杏と葉子に相談したのだ。一緒の登校したら何を話せば良いのか、どう歩いたら良いのか、会ったら何で声をかければいいのか、さっぱり分からず渦巻きになった目で混乱していた。
(嬉しすぎてよく眠れなかった)
目が腫れている気がする。片手に楽器を持っている上、混んでいる電車内では目を擦れない。
親友達のアドバイスはあった。普通に話せば良いと。
しかし皐月は考える。普通とは、挨拶か、天気か、授業のことか、何から切り出せば良いのか。考えれば考えるほど思いつかない。
と、悩んでいるうちに最寄駅に到着した。混雑している人混みの中をかき分けて下車すると、出てすぐのホームで葵が待っていたのだ。皐月の顔が沸騰すると、それに気づいた葵も頬を染める。
「おはよ、さっちゃん」
先に声を掛けてくれた彼に、皐月は俯きながら小声でモゴモゴと挨拶を返す。
「お、はようございます」
敬語になる皐月にくすっと笑う葵。それもまた可愛い印象がある。
行こう、と声をかえて歩み出す葵は、たまたま同じ電車内にいる皐月を発見した事を話した。背の高い葵は少し見渡して見たら気づいたのだから、多少離れていた事もあり、朝のラッシュ時間帯だから声を掛けなかったのだという。もちろん悩んでいる皐月に気づいていたが、それは言わなかった。
「だからホームで待っててくれたの?」
「うん、だって」
言いかけてハッとした葵は口を手で塞いだ。
少しでも長く皐月と一緒にいたい、などと恥ずかしくて言えない。誤魔化そう。
「ほら、受験の日にホームで再開したの思い出して。さっちゃん、ローファー脱げて俺が拾って」
「そうだったね。その時の葵くん、転んだら靴拾うって言ってた」
「受験の日に最低だよな、俺」
くすくすと笑う皐月はすっかり悩み事がなくなった。普通の会話はこんな感じでいいのだ。何も考える事はない。
「あれ、持ってるそれ何?」
葵の視界に映ったのは黒い横長のケース。収納が二つある。これが皐月のフルートとピッコロ。要は自分の楽器だ。中学二年の夏のコンクルールに向けて皐月の父が張り切って奮発したのだという。スタンドと譜面台まで用意するというフル装備だ。
「わざわざ楽器店に行って、いろんなメーカーと素材を吹き比べして、一番相性の良いのになったの。高いから最低限の値段のでって言ったのにお父さんが気にするなって。なんか悪い気がして」
「おじさんにとって、さっちゃんが可愛いんだよ」
「そう言われると恥ずかしいよ」
視線をずらした皐月だが、すぐに葵に向き直ると瞳がキラキラと輝いていた。
「だから頑張って練習して全国大会で金賞取りたいんだ。将来働くようになっても続けたいし」
好きな事が自由に出来る。それがどれだけ良い事か、葵には分かっていた。今となっては日常生活が出来るようになった左腕も、怪我さえなければバドミントンを続けられただろう。
(本当は俺もバドミントンやりたいけど、この学校、弱小部なんだよな)
もし再開するとしたら、反対の右腕で素振りから練習するが、おそらく趣味の範疇だろう。
「……ごめんなさい。私つい」
皐月が怒られた子犬のように眉を垂らした。
顔に出て不安にさせたかも知れない。葵は皐月の顔を覗き込んで微笑んだ。
「気にすんなって。バドミントンの未練って、中学最後の大会に出られなかっただけだから。さっちゃんは俺の代わりにやりたい事を存分にやって。またさっちゃんの演奏聴きたいから」
「ほんと?」
恐る恐る聞く皐月に、葵は頷いた。
バイトと勉強に励めばバドミントンの事を忘れられるはず。稼いで皐月と遊びに行くだけで充実した日々を送れるだろう。今の葵にとって、バドミントンより皐月なのだが、口には出さない。
皐月の楽器を見て、ふと気づいた。
「ん? もしかして今日から練習?」
「そ。実は先輩から入学前に連絡があって、入る気満々の経験者は今日から一緒に練習して良いの!」
「経験者か。何人ぐらいいるんだろね」
秋山高校の今年の一年生は、経験者だけで二十人。二、三年生は全員で八十人。部活動紹介の結果、初心者が何人入るか次第だが、毎年経験者と同数である。
人数は常に百人を超えているのだが、夏のコンクールは人数制限があるため、全員出られないのだ。
葵は狭き門だと驚きながら、出られないメンバーはどうするのか尋ねたが、皐月もそれはまだ知らない。
「とにかく、大会に出る為にはまずメンバーに選ばれないといけないのか」
「そうなの! 実力主義らしいから、練習頑張らないといけないの! 先輩達みんな上手いはずだから自信なくて」
「その自信をつける為に今日から練習するなら、努力は実るはずだよ。そうだ! 今日の部活動見学に俺も連れてってよ。見学して体験してみたいんだ」
間近で皐月の音が聞けて、フルートが吹けるのか試せる葵は興味津々だ。
対して皐月は楽器に興味を持ってくれた葵に対して満面の笑みを浮かべ、快諾。バイトをすると分かっているが、喜ばすにはいられない。
と、そんな所で徐々に秋山高校の人々が増えてきた。正門が見える。
一緒の登校がこんなにも楽しいとは、二人は互いに笑い合った。すると後ろから男性の声が聞こえる。
「葵と佐山さん、早速一緒に登校か。よかったな」
和俊だ。小さく返事をした葵は、付き合っていることを知っている人だと皐月に説明した。晴巳も知っており、当の本人はと言うと朝から元気に葵と和俊の間に入りながら肩を組んで挨拶をした。
「葵! かーずっとし! おはよ!」
悩みすらないような爽やかな笑顔。皐月の存在に気づくとニヤリと笑みを浮かべる。
「いいなあ、一緒の登校。俺も彼女欲しいわ。皐月ちゃん、誰か紹介してくんね?」
ぐいっと寄っておねだりする晴巳に皐月はたじろいだ。杏も葉子も別の学校で方向も違う。一緒に登校したいなら同じ学校だが、まだ話した事がない人だらけだ。
「さっちゃんが困ってるだろ。お前ならそのうち出来るって」
「幼馴染一択の葵に励まされても嬉しくねえ。和俊くん?」
「俺は別にいらない」
見事に振られた晴巳が気の毒になった皐月が声をかける。
「元気出して。小林くん……だよね? 紹介は出来ないけど、きっといつか彼女できるよ。だって明るいもん」
名前すらはっきり覚えられていないという若干の衝撃はあるものの、皐月の優しさに救われた晴巳であった。