「君に興味はない」と婚約者はおっしゃったけど、私の話をものすごい勢いでメモってる
「君に興味はない」
教会で婚約式が終わった後、いきなりこう言われた。
仕方のないことだ。この結婚は純然たる政略結婚。
私のライト家は男爵家系の地方貴族で、領地もほんのわずか。だけどそこから銀鉱が見つかった。
この利権が欲しいエスクリード家からいち早く婚姻を持ちかけられ、私は嫁に出されることになった。伯爵家であるエスクリード家の加護を受けられれば、私の実家は大いに潤うでしょうね。
だから婚約者であるシュライデ様に、私に愛情なんかなくて当然だ。
むしろこの時点ではっきり宣言してもらえたのは温情かもしれない。
私にできることは、せめて取り乱さず、毅然とこの言葉を受け取るのみ。
「分かっております」
私はシュライデ様を見上げる。
シュライデ様はその青い眼で私を見据える。
悔しいけどかっこいい。
「少し歩こうか」
外に出るとかすかに風が吹いていて、シュライデ様のさらさらの金髪が絹糸のようになびく。
教会の中には美しい庭園があった。
緑の芝生が広がり、花壇や池もあり、男女で歩くには絶好のロケーションだ。
ただし、私たちはただ並んで歩いているだけ。
だって私たちに愛情なんかないんだから。
きっとこのまま一周して今日は解散――とぼんやり考えていたら。
「エクリーヌ、君の好きな食べ物は?」
へ? 食べ物?
「いきなりすまないね。例えば好きなデザートはあるかい?」
なぜ、こんなことを聞いてくるんだろう。私に興味はないはずなのに。
でもすぐに察した。
これはあくまで貴族の義務としてやっているだけ。
今後社交の場で妻の好みすら把握してないようでは都合が悪いはず。結婚相手の基本的なプロフィールぐらいは把握しておこうという魂胆だろう。
「チーズケーキですね」
私も素直に答えた。
興味がないくせにご苦労様、とほんの少し思いながら。
するとシャシャシャッという音がした。
シャシャシャ?
見ると、シュライデ様は何かを懐にしまった。
私の目が確かなら、今のは手帳とペンだったような……。
「好きな花はあるかな?」
また質問だ。
「コスモスですね。特に白いものが好みで……」
答えると、またシャシャシャ音が聞こえた。
今度はちゃんと見えた。
シュライデ様は手帳に何かをメモしていた。
なになに? 一体何をメモしてたっていうの? もしかしたら採点? コスモスが好き……マイナス10点、みたいな。なんだか怖くなってきた。
歩きながら、シュライデ様は次々に質問を繰り出してくる。
「好きな色はあるかな?」
「青ですね」
シャシャシャッ。またメモされた。
「演劇に興味はある?」
「ありますよ。年に何度かは劇場に足を運びます」
「そうか、例えばどんなものを観る?」
「やはり恋物語ですかね。この間観た『セフィアの恋』は涙が止まらなくて……」
シャシャシャシャシャッ。猛烈にメモされた。
何をメモしたか確認したいけど、シュライデ様はすぐに手帳とペンをしまってしまう。
「あの……シュライデ様」
「なんだろうか?」
「さっきから何をメモしてらっしゃるのですか?」
「……気にしないでくれ」
気にするなと言われても、ものすごく気になっちゃうんだけど。
まあ、私の立場上無理に聞き出すわけにもいかないから仕方ない。
「それより、今度の週末はデートをしようか」
デート?
私に興味ないはずなのに……婚約者として体裁だけでも整えようってことかな。
「喜んで!」
私に断る理由も権利もない。精一杯笑顔を作って答える。
「では10日の10時、王都の時計台で待ち合わせをしようか」
「はい……よろしくお願いします!」
初デートが決まってしまった。
どんなデートになるんだろう。
きっと「婚約者とデートをした」という事実を作るためだけの義務で義理なデートに違いない。
憂鬱でしかない。
だけど、この私エクリーヌ・ライトも曲がりなりにも貴族令嬢。
シュライデ様に少しでも気に入られるよう努力してみせる。
***
デート当日、私の準備はバッチリ。
自慢の栗色の髪はメイドの女の子に丁寧にブラッシングしてもらって、服装は白のブラウス、水色のチェックのスカート。どちらもお気に入りで、これが私にできる最高のお洒落。
「興味はない」とおっしゃるシュライデ様にほんのわずかでもいい。振り向いてもらう。これが今日の目標だ。
天気は少し雲のある晴れ、王都の人通りは多く、絶好のデート日和だ。
待ち合わせ場所には30分も早く着いちゃった。
張り切りすぎたのがよくなかった。
時間を潰すため、本でも持ってくればよかったかな。
「やぁ」
驚いたことに待ち合わせ場所にはすでにシュライデ様がいた。
こんなに早く来てたの。てっきり時間ピッタリに来るかと思ったのに。
「お早いですね……。いつ頃来られてました?」
「9時ぐらいかな」
「9時!?」
思わず大声出しちゃった。
「ずいぶん早かったんですね……」
「張り切りすぎてしまってね」
ん? 張り切りすぎた?
ひょっとしたら少しは私に興味を持ってくれたってことかな?
ここで私はシュライデ様の服装に気づく。
青いスーツに、胸ポケットには一輪のコスモスが差してある。
私の好きな色は青、好きな花はコスモス。
まるでこの間の私の答えをそのままなぞってくれたような格好だ。
これってやっぱり……。私はちょっと踏み込んでみることにした。
「シュライデ様、私に少しは興味を持ってくれたのでしょうか?」
「いや、ない」
ないんかい。
即答されてしまった。うーん残念。
でもめげないけどね。
「少し時間は早いけど、劇場に行こうか。まずは演劇を楽しもう」
「はいっ!」
このまま二人で馬車に乗って王都の大劇場まで向かう。
シュライデ様はSランクの席を予約してくれていて、劇が幕を開ける。
タイトルは『愛の指輪』。一つの指輪をめぐって争いが繰り広げられるが、その中である貴族の男女が結ばれるという物語だった。
クライマックスで主人公の青年がヒロインに指輪を捧げるシーンはあまりに感動的で、つい泣いてしまった。
閉幕と同時にスタンディングオベーションが起こる。タイトルに相応しい傑作だった。
劇場を出るとシュライデ様は感想を聞いてきた。
「どうだった?」
「とてもよかったです! んもう最高でした!」
ちょっと興奮しすぎちゃったかも。
「一番よかったのはどのあたり?」
これは迷う。迷うけどやっぱり――
「指輪を渡すシーンですね。二人が報われる姿に涙がポロポロ溢れてきて……私もああいう恋をしたいなぁ、なんて――」
言いながら失言だったかなと思った。
私に興味ないと言ってる婚約者に「あんな恋をしたい」だなんて、非難してると思われても仕方ない。
シャシャシャッ。
すると出た。いつものシャシャシャが。
メモされた。一体何をメモしたんだろう……。マイナス100点ぐらいされちゃったかな?
お昼になり、レストランに入る。
美味しそうに焼かれた鴨肉が出てきて、私はテーブル備え付けの小瓶を手に取る。
「お肉に香辛料をちょっとかけるのが好きなんですよね~」
シャシャシャッ。メモられた。
「好きな紅茶の銘柄ですか? 『コーラル』ですね」
シャシャシャッ。メモられた。
食事中何度かシャシャシャられたけど、とても美味しかった。
食後にはチーズケーキが出てきた。
このレストランの名物メニューらしく、艶やかに黄色く光る生地が印象的だ。
さっそく一口頬張る。
「美味しい~!」
つい声が出ちゃった。
濃厚な甘みとチーズの酸味が組み合わさって、本当に美味しい。
今までに食べたチーズケーキで一番かもしれない。
私は思わず左手で自分の頬を触っていた。ああ、みっともない。
「すみません、私、美味しいものを食べちゃうとこういうポーズしちゃう癖があって……」
シャシャシャッ。またメモってる。
一体何をメモってるっていうの……。
その後しばらく街を散策して、今日のデートはお開きになった。
最初はどうなるかと思ったけど、とても楽しめた。
シュライデ様も少しは楽しんだはず。そう思いたい。
私はもう一度踏み込んでみることにする。
「少しは私に興味を持ってもらえました?」
「いや、持ってない」
ダメなんかい。
うむむ、今日の私は自分では結構甘い採点したくなったけど、やっぱりダメだったか。
デートって難しい。
だけど、奇跡は起こる。
「今度は一週間後にまたデートをしよう」
「……はい!」
希望は断たれてなかった。
次のデートでこそシュライデ様の興味を引いてみせる。
***
二度目のデート。場所は王都で、シュライデ様がリードしてくれる。
「今日はどこかでお茶でもしようか」
連れて行ってくれた喫茶店は、とても美味しい紅茶を出してくれるお店だった。
しかも、この銘柄は――
「これ……『コーラル』ですね」
「この香ばしさがたまらないよね」
たまたま立ち寄った喫茶店が『コーラル』の紅茶を出す店だった?
紅茶の銘柄なんて無数にあるし、いくらなんでも幸運すぎる。
しかもデートの終わり際には、
「この指輪を捧げるよ」
シュライデ様は片膝をついて、私に指輪をプレゼントしてくれた。
先週観た演劇『愛の指輪』をそのまま再現するようなワンシーンだった。
やっぱりそうだ。シュライデ様は私が「これが好き」のように話したことを次に会う機会には必ず実現させてくる。
三度目、四度目のデートも同じようなことが起きた。
私は確信する。
あのシャシャシャッというメモ書きは――うん、そうとしか考えられない。
五度目のデートで、私は大きく仕掛けてみることにした。
***
五度目となるデートの舞台は、王都から少し離れた古都だった。
石造りの古びた建物が多いけど、そこがまた風流で、心をしとやかにさせてくれる。
このままゆったり街並みを見る――といきたいところだけど、今日は大きく仕掛ける。
「シュライデ様」
「なんだい?」
「私の好きな食べ物についてなのですけど……」
シュライデ様は心の中で、きっとメモる準備をしてるはず。
「チーズケーキ、実は嫌いなんですよね」
「え……?」
シュライデ様の顔が大きく崩れた。
クールな切れ長の眼が丸くなってる。こんなに驚いた表情を見るのは初めてかも。
「というより、今まで私が話したこと全部嘘だったんです! 本当にごめんなさい!」
私の“仕掛け”が続く。
シュライデ様は顔こそ元に戻ったが、小刻みに震え始めた。
「な、なぜ、そんなことを……?」
「私、好きな人には嘘をつきたくなるタイプで……」
「な、なるほど」
なるほどじゃないでしょうよ。
シュライデ様は驚いているような絶望しているような喜んでいるような、とんでもない表情になってる。一体どんな感情になってるんだろう。想像もつかない。
だけどさすがはシュライデ様、すぐ我に返ると、手帳とペンを取り出す。
ここだ。待っていた、この瞬間を!
「ストップ!」
シュライデ様の動きがピタリと止まった。
しまわれる前に私は言う。
「何をメモしようとしてるんですか?」
「……! いや、君には関係ないことだ」
嘘おっしゃい。
これは賭けだけど、私はさらに攻めてみることにする。
「手帳の中身、見せて下さいませんか?」
「それはできない。婚約者といえど、プライバシーに関わることだからね」
それはそう。
私も他人の手帳やノートの中身を見る趣味はない。
だけど今は荒療治が必要な時、心を鬼にする。
「見せてくれないならあなたを嫌いになる、と申したらどうします?」
もし「嫌いになればいい」と言われたら、どうしよう。
「見せるしかないようだ」
――なんて不安を抱く暇もなく、手帳を渡された。恐ろしく早い判断。
表紙は黒くて武骨で、立派な手帳だった。ほのかにシュライデ様のぬくもりがする。
「見てよろしいんですね?」
「君に嫌いになられるよりはいい」
「でも私には興味ないんですよね?」
「ない」
もうわけが分からない。
私の勘が確かなら、全ての謎を解くカギはこの手帳の中にある。
手帳を開くと、そこにはやはり私から聞き取ったことがびっしりと書かれてた。
『チーズケーキが好き』
『紅茶“コーラル”が好き』
『劇は恋愛物にすべし』
これは想定内。
あれほど速筆なのに字が綺麗なことにも感心しちゃう。
『美味しいものを食べると手で頬を触る。可愛い』
ありがとうございます。
私は手帳の一番最初のページを見る。
すると、予想通りのことが書かれてた。
『“興味ない”と言うと女性は喜ぶ』
――やっぱりね! 思わず右手を握り締めちゃった。
私はさっそく問いただす。
「シュライデ様、これはどういうことですか?」
「それは……!」
「婚約式で私に興味がないとおっしゃったのも、このメモが原因ですね?」
「その通りだ……!」
なんだろう、これ。
どこかの崖で犯人を問い詰めてる気分になってくる。
「答えて下さい。このメモの正体を!」
これがミステリー物の劇だったらここがクライマックス。
探偵に追い詰められ、犯人は泣き崩れる。
だけどさすがシュライデ様はそんなことなく、咳払いをしてから全てを語ってくれた。
「婚約式の前に、二度三度顔合わせをしただろう。その後のことだった――」
シュライデ様は知人に相談をしたという。
その人は良くも悪くも女性と遊び慣れをしている人とのことだった。
『婚約者のことを気に入った? よかったじゃないか』
『ああ、少し会っただけだが、明るく可愛らしく聡明そうな子だった。こうなると僕としても彼女に気に入られたい。どうすればいいだろう?』
『そういうのは最初が肝心さ。その子に“興味がない”って言ってやれ』
『え? そんなことしたら嫌われないか?』
『逆だよ逆。君に興味津々ですなんて顔をしたら、それこそ女に寄りかかる頼りない男に思われてしまう。興味がないって突き放すことで、女はそのワイルドさにときめくし、だったら興味を持たせてやるって燃え上がるんだよ』
『なるほど……』
こんなやり取りがあり、そして婚約式へ。
「そういうことでしたか……」
全ての元凶がようやく明らかになった。
「確かにそういう男性になびく人もいるかもしれません。でも少なくとも私は無理です。あなたに“興味がない”なんて言われてどれほど落ち込んだか……」
「……!」
「しかも、興味がないと言うわりに私の話を必死にメモするし、デートでは希望を叶えてくれるしで、私はここ一ヶ月頭がおかしくなりそうでしたよ!」
「すまない、本当に……!」
頭を下げようとするシュライデ様を私は制止する。
「でもいいんです。真相が分かったから。許してあげます」
シュライデ様はホッとしてくれた。私もホッとする。
「ただし条件が一つ」
「なんだろうか?」
「メモはもうやめましょう」
「……!」
「私の好みを逐一把握しなくていいんですよ。それはそれでこっちも気味が悪くなりますし。だからこれからは、シュライデ様の思うように交際して下さい。その方が絶対いいはずです」
「分かった。そうするよ」
シュライデ様は凛々しい顔でうなずいてくれた。
この瞬間、私と彼の心がようやく結ばれたような気がした。
***
次のデートではメモに頼らず、シュライデ様自身の考えでデートコースを組んでくれた。
連れていってくれたのはとある古城。
今でこそ誰も住んでないけど、かつてはこの城をめぐって幾多の争いが起こったとか。
くすんだ灰色の城壁が歴史を感じさせてくれる。
「僕はこうした古城巡りが好きでね。こうして眺めていると、当時城で生活していた人々の息吹を感じ取ることができる。それがたまらなく楽しいんだ」
私も想いを馳せる。
城壁のところどころにある傷、わずかに残った生活の跡、これらを見ていると当時の人々がどんな生活をしていたか想像できる。
やっと自分が望んだデートができた気がして、私は思わず言った。
「こういうのでいいんですよ!」
「え?」
「今までのデートで一番今日が最高です! メモなんて取らず、シュライデ様の感覚に従った方が絶対よかったんです!」
「……ありがとう」
シュライデ様が笑うと、私も釣られて笑ってしまう。
それにしても古城は絶景だった。うっとりして、心の声を漏らしてしまう。
「こういう古いお城、憧れますねえ……」
この時、嫌な予感がした。特にシャシャシャ音は聞こえなかったが――
「今、心の中でメモりませんでした?」
「よく分かったね……」
「私のためにあのお城を買おうだなんて思わないで下さいね! 維持も大変ですし!」
「それもそうだ。僕が浅はかだった」
危ないところだった。巨大な別荘ができちゃうところだった。
だけど、それほど私のことを想ってくれているというのは嬉しい。
私がそのことを素直に告げると、シュライデ様はほのかに顔を赤らめていた。
***
私とシュライデ様は夫婦の仲になった。
長男シュルグと長女エストも生まれ、それぞれ父親似母親似となり、すくすくと成長する。
やがて二人は貴族学校に通うようになり、異性を意識する年頃になる。昔を思い出しちゃうな。
学校帰りのシュルグが夫に尋ねる。
「父上、学校である女の子とよく話すようになったんだけど、このまま仲良くなりたいんだよね。何か気を付けることってある?」
ませた質問に対し、夫はどこか得意げにこう答える。
「そうだな……。相手の女の子の話をいちいちメモするようなことはしちゃいけないぞ」
シュルグも、近くにいたエストも笑った。
「そんなことするわけないじゃん」
「そんな人と絶対付き合いたくない!」
これを聞いて夫は平静を装いつつ、耳は赤くなっていた。
私はそれを見て噴き出しそうになった。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。