第1章・第7話 越南(大南)国の飛躍
楚では大事件が二つ起こった。そのうちの一つ目は、天下一の才女で、絶世の美女として名高い韓の公主・水姫を、羅略が楚王に報告もせずに越南国に逃した事だ。二心ありを疑われて、捕らえられ拷問を受けた。
彼の抱えていた食客達が動いて連名で潔白を証明し、命だけは助けられたが、私財を没収され大師の官位も剥奪されてしまった。楚にはもういられないと、最後まで忠誠を誓う食客と共に楚を出奔した。
「旦那様、これからどうなさいますか?」
「自分で招いた事とは言え、越南の尚書令殿は私に借りがある。他に頼る所も無い故に、彼女を頼って越南に行くとしよう」
楚は一時の感情で愚かな事をした。楚には、羅略以上の知恵者も人徳者もいない。これが、楚の滅びへの第一歩であった。
羅略は、水姫の門を叩いて再会し、彼女の推薦で登用され、越南の陣容は更に強化された。
二つ目の事件は、昔から呉と楚は仲が悪かったが、仲の悪さは国だけでなく民同士の仲も悪く、漁獲や山菜採りの縄張り争いをしていた。
ある日、呉の山おじが薪を拾っていると、ここは楚の縄張りだ、と言い掛かりをつけられ足腰立たなくなるまで叩きのめされた。担ぎ込まれたが、山おじは亡くなってしまった。
県令は怒って取り調べと称して兵を送った。抵抗されたので楚の民を傷つけてしまった。今度は、これに腹を立てた楚の県令が軍隊を送った。
楚が攻めて来たと報告を受けた呉王は、本格的に軍事行動に出て、楚の国境付近の城を7城も陥した。楚が反撃で呉に兵を送ると、斉国が呉国の援軍と称して攻めて来た。呉は根回しをして斉国に、楚を滅ぼして領土を二分しようと持ち掛けていたのである。
楚は秦に援軍を求め、南から呉を攻めて欲しいと頼まれて秦はこれに応えた。だが、南に降って呉に行くには越南の領土を通らなくてはならない。
秦はこれを期に、越南を滅ぼして領土を広げようと画策した。越南へ書状を送り、楚の援軍として呉を攻めるので道を貸して欲しいと言うのだ。勿論、後日お礼はすると。
越南王・劉信は裏があるのでは無いかと心配し、紫尚書令(水姫)に相談した。
「王の心配はごもっともです。見え透いた策で御座います。道を借りんとして、我が城を陥すつもりでしょう」
「どうすれば良い?」
「策は御座いますが、秦だけでなく楚とも敵対する事になりますが大丈夫ですか?」
「そ、それは、大丈夫ではないな…」
「いえ、王の心持ちを伺っているのです。秦にも楚にも勝つ術は御座います」
「何と!あの楚にも勝てると言うのか?」
「はい。ご安心下さい」
「分かった。全権を尚書令に委ねる。以後はいちいち、許可を取る必要もない。全て好きにして良い。それにかかる費用も好きなだけ使うが良い」
「王は英明なり」
水姫は平伏して退出した。何と太っ腹な君主だろうか。許可の必要も無ければ、費用の事も考えなくて良いのだ。何としてもこの信頼に応えなければ、と深く心に刻んだ。
秦軍が到着するまで、まだ1ヶ月以上かかる。戦が始まると越南中に触れ、有志を募ると、日頃の恩を返す時は今だ、と立ち上がった男達で溢れ返った。越南のほとんどの男達が、自ら立ち上がったと言う。
水姫はその者達を連れて何処かに行った。間者も多く潜り込んでいるので、対外的には兵糧の為の開墾と言う事だった。他国の間者達が見ても、確かに開墾をしていた。荒地は整備され、山岳に沿って開墾されていた。
やがて1ヶ月が過ぎ様とする頃、秦軍がやって来た。
「おぅ、城がようやく見えて来たわぃ。良いか?作戦通り動けよ」
城壁の上から見下ろす越南の守衛に、「我が秦軍は、越南王とは話はついている。道を借りに来た!」と呼び掛けた。
城門が開くと同時に一斉に踊り掛かって攻め込んだ。突入すると、民家はみすぼらしい小屋しかなく、街並みが無い。城門が閉められると、ようやく気付いた。
「しまった。罠だ!城門を破れ!」
その命令が終わるよりも早く、轟音と共に山から洪水の様に水が押し寄せて来た。秦軍は悲鳴を上げ、押し寄せる波に飲まれた。辛うじて城壁にしがみ付いて生き残った者もいたが、城壁から矢を射られて絶命した。
「降伏の意思のある者には矢を射るな!」
水姫が命じると矢は止んだ。生き残った者は「降伏するから命だけは助けてくれ!」と叫んだ。筏を漕いで秦兵を救出した。全員を助け出すと、城内に満ちた水は城門を開いて押し流した。
実は本当の城ではなく、山岳を開墾して作ったハリボテの城で、秦軍を誘い込んだのだ。
秦軍も、こんな所に城があったのか?と思ったが、実際に目の前に存在するし、越南は中華と言うよりも南蛮に近い為、田舎の小城があっても不思議ではないと思い込んでしまったのである。
水死した秦兵から装備品を奪って秦兵に成りすまし、秦の城に戻って報告させた。
「作戦は概ね成功したが苦戦し、将軍が負傷した為、援軍を求める」と報告した。戻って来た兵達を休ませて、城主は残りの兵を援軍に送った。
簡単に信じた理由は、報告した兵士が虎符を持っていたからだ。虎符を持つ者は、兵を動かす事を許可された者だ。
虎符とは、左右合わせると虎が伏した形になる銅で作られた割符の事で、中央から派遣された将軍は右半分を持ち、城主や県令は左半分を持つ。符合すれば本物と言う事だ。
城内の兵がいなくなると、越南の兵が入れ替わりに押し寄せた。守るべき兵がいないのだ。簡単に降伏した。城から出陣した秦軍は、伏兵に合い全滅した。更にこの時の秦兵の装備を纏って、怪我をした越南兵だけで秦の櫟陽城に敗残兵を装わせた。
城兵も始めは疑ったが、越南軍が現れ逃げ惑う秦兵を見て信じ、越南軍を追い払い、友軍を救って城内に入れた。
その夜、奇襲を行うと秦の敗残兵を装った越南兵が城内で火を放ち、城門を開くと越南軍が押し寄せて櫟陽城を陥した。
これは、秦を震撼させた。なぜなら今では咸陽に首都を移しているが、数代前の君主時代では首都であり、秦が誇る城塞都市だったからである。
「馬鹿な、信じられん。あの都がこんなにも簡単に陥されるとは…。裏切者は誰だ?」
秦王が弟に尋ねた。
「畏れながら、これら全ては紫水蘭の仕業です。あの者の智謀は噂通りの物でした」
「たかが女一人にしてやられたのか?」
この時代に限らず、中国では男尊女卑の思想が根強く、女性は軽視されていた。
「これからどうなさいますか?」
「どうしたも、こうしたも無いだろ!臆病者共がぁ!ワシ自ら兵を率いて蹴散らしてくれるわ!」
背後から王弟は兄である秦王の背中を刺した。
「ぐわぁ。な、何をしておる…」
「すまない大哥(兄上)。これ以上、民を苦しめる事は許さん。越南は、降伏すれば寛大に処置すると言っている」
王弟は、生き絶えた秦王を上から見下ろした。越南は逆境を逆手に取り、逆に秦を滅ぼした。しかし激怒した大国である楚に対して、備え無ければならなくなったのである。それは秦を相手にするよりも、遥かに強大な相手だった。