第1章・第5話 斉の無常鬼・馬光
時は第1話の少し前へと、遡る。
「兄ちゃん、強えぇな。助かったぜ」
まだ血が乾ききっていない剣の手入れをしながら、長身の男に声を掛けた。声を掛けた男の方は左眼が隻眼で縦に傷が有り、戦いで付けたものである事は一目で分かる。
声を掛けられた長身の男の方は「たまたま通りかかっただけだ、気にするな」と言ってお礼を断った。
話を聞けば隻眼の男は、日銭を稼ぐ為に傭兵をしていると言う。「こんな戦乱の世の中だ。俺みたいなのは食いっぱぐれがなくて良いや」と、酒を飲みながら笑った。
長身の男の方は、武者修行の旅をしていると言う。
「それなら俺と一緒に傭兵にならないか?」と、勧められて「特に当ての無い旅だ。それも良いだろう」と、了承した。
彼らは、北遼軍との戦いで活躍し、いつしか無常鬼と呼ばれた。無常鬼とは、中国で言う死神の事である。無常鬼は白と黒の2対で現れ、白は長身で黒は背が低い凸凹コンビだ。背の高い方の男は馬光と名乗り、隻眼の方は瑛深と名乗った。
北遼軍に対抗する連合軍に、傭兵として参加していたが、連合軍は瓦解してしまい、これからどうしようか?と話していた。
「何か悩んでいるのなら遠慮するなよ、哥哥(義兄)」
隻眼の瑛深は馬光を慕い、義兄弟の盃を交わしていた。
「阿深、実は先日滅ぼされた韓とは浅からぬ縁があってな。俺はその復讐をしなければならない」
酒を飲んで溜息をついた。
「何だ哥哥(義兄)、主君の仇討ちか?」
「まあ、そんなところだ…」
「哥哥(義兄)、だがそれは傭兵なんかじゃ無理だぜ?」
「そうだ。それで思案に暮れていたのよ」
焚き火の炎が夜空に向かって昇るのを見ながら言った。
「一つ可能性があるんだが…間も無く斉が武演祭を開く。今あの国は広く人材を求めてる。武演祭で優勝すれば、将軍になるのも夢じゃないぜ?哥哥(義兄)なら優勝間違いなしだぜ」
「武演祭?あぁ、武挙の事か」
馬光は、頷いて賛同し、2人は翌朝から斉国に向けて出立した。
中華で人口の多い北半分が、南遼を残して全て北遼に占領されてしまった。中華の南半分で強国と呼べるのは斉と楚と秦だけだ。そのうち斉国は塩の専売による貿易で、巨額の利益を上げ国は潤い、その財を投げ打って広く文化人や武芸者を登用しており、一大強国を成していた。
「おっほぉ、凄ぇな。長安や洛陽よりも都会なんじゃないのか?」
瑛深は都である長安や洛陽に行った事はない。伝え聞く都のイメージをこの建業に重ねたのだ。三国時代は呉国が首都に置いていた都市である。
「確かに活気があって良いな」
瑛深とは違って馬光は、長安や洛陽にも行った事がある。だからこの建業が、あの都よりも都会だと言う表現を避けた。
(甲乙は付け難いな)と思いながら先を急いだ。武演祭の舞台の場所まで来ると受付をしていて、参加者らしき武芸者達が並んでいた。
「2人参加だ!」
瑛深がそう言うと、受付者に「もう今日の受付は終わった」と言われた。
「おいおい、何言ってやがる。まだ受付期間中だろうが?」
「今日のは、終わったと言ったんだ」
そう言いながら、他の者の受付は行っている。瑛深は顔色が変わり、掴み掛かろうとした。
「お役人様、どうか今日はこれで」
馬光がそう言って袖の下を握らせると、役人が手の中の銀子を握って確認しながら「仕方ないな、特別だぞ」と笑顔で受付をした。
馬光はお礼を言って瑛深と立ち去った。
「受付するのに袖の下を求めて来やがる!哥哥(義兄)、腐ってやがるぜ、ここのクソ役人共は!止めようぜ」
頭に来て吐き捨てる様に言った。
「こんな事は日常茶飯事だ。いちいち目くじらを立てても疲れるだけだぞ?受付と争って出れなくなったり、騒動で捕まりでもしたら阿呆らしいぞ。それよりも、武演祭に出る事が重要だ」
陽射しが顔に当たって、眩しそうに武演祭の看板の文字を見上げた。何としても優勝し、将軍となって北遼を討ち、妹弟の仇を討つ。固い決意を抱いた。
馬光の本当の名前は紫光と言い、韓王の長男であったが側室が生んだ子であり、正室が生んだ弟の紫葉と王太子の座を争うのを嫌い、武者修行と称して国を出奔していた。
王族は幼い頃から超一流の剣術家から指導を受けて、その強さは達人級にまで達する。馬光はすでに韓において最強の武人であった。
馬光は後悔していた。自分が出奔などせず、弟を支えていれば簡単に北遼などに滅ぼされなかったものを、自分がいなかったばかりに韓が滅んでしまったと、自責の念に苛まされ、せめて仇だけは必ず討って見せると誓っていた。
数日後、武演祭開催を報せる太鼓や鐘が打ち鳴らされた。出場者は、いずれも腕に覚えのある武芸者だ。
瑛深は第三試合、馬光は第七試合に出る。各々の武器の先端には布を巻き付けられ、対戦相手を死なせない配慮が成された。
やがて自分の番が来て、第七試合が始まった。先に試合のあった義弟は、すでに勝利していた。
対戦相手の武芸者はかなりの腕と見えたが、自分には及ばない事は一目で分かった。繰り出された槍捌きも見事だったが、全て躱して足を薙ぎ払って転ばせ、顔に槍を突き付けた。
「勝者、馬光!」
一礼をして舞台から降りた。
「哥哥(義兄)、流石だな。あいつも相当な腕だったはずだが、相手じゃなかったな。決勝で対戦したら、お互い手加減無しだぜ」
笑いながら反対側の席に戻って行った。その義弟が負けた対戦相手が、決勝の相手となった。
「始め!」
お互い微動だにしない。両者の中ではすでに激しい攻防が繰り広げられていた。達人同士の戦いでは、まるで将棋の様に先の手を読み合い、頭の中で駒を差し合う。
「凄ぇ攻防だ。見てるこっちが息が詰まって飲まれちまう」
瑛深の額から玉の様な汗が流れた。常人には理解出来ない高レベルの戦いだった。気が付けば一刻(30分)以上もこの状態が続いていた。
試験管達は顔を見合わせて立ち上がり、「早く戦え」と言おうとしたが、それを制したのは斉国最強と呼ばれた鎮北将軍の甘罧であった。
「馬鹿かお前ら?水を差すな。お前らには分からんだろうが、既にあの2人は五十合以上打ち合っている」
試験管達は目を擦り、お互いに顔を見合わせた。将軍がこう言っているのだ、目にも見えない速さで、打ち合っているのだろうか?そう考えたのである。
その状態がいつまでも続くかに見えたが、少しずつ馬光はにじり寄り、対戦相手の魯沁は少しずつ後退し、やがて舞台端まで追い詰められた。意を決して踏み出して槍を突いたが、馬光は首を捻って躱わし、槍を腰に抱えて横殴りにすると、魯沁は舞台から転げ落ちた。
「そこまで!勝者、馬光!」
警護が厳重な特等席で見てるはずの斉王・李順が現れた。
「王様に拝礼!」
座っていた者も立ち上がった後、平伏して唱えた。
「万歳、万歳、万万歳!」
「起来吧!(楽にせよ)」
李王が右手を軽く振ると、感謝の言葉を述べて立ち上がった。
「甘罧将軍、お前とどっちが強いかな?」
そう言うと鎮北将軍の肩を叩いた。
「馬光とやら、見事であった。将軍を迎える事が出来て、我が斉は更に強くなるぞ!」
それから数日後、馬光は四品官の振武将軍として登用された。副将を自分で推挙して良いと言う事だったので、義弟の瑛深を推挙し、義弟もめでたく五品官の討逆将軍として登用された。
その後、北遼軍に斉が攻められると、寡兵となって囲まれたが敵将4人を討ち、「斉国に馬光あり!」と威名を轟かせた。
武名が天下に知れ渡ると、呼び込まなくても良い者を呼び寄せた。それはまるで、運命であったかの様に引き寄せられた。
その者こそ天下最強を求める由子であり、あの城壁の上で2人は運命の激突するのである。