第1章・第3話 南遼の女傑・趙嬋麗姫
南遼は、かつて北遼とは一つの国で遼と言う国だったが、6世代前に起こった内乱によって国内は二分された。
北遼は原点回帰で遊牧の暮らしを選択したのに対して、南遼は中華化が進んだ。特に先代は魏帝国から公主(皇帝の正室の娘)を迎えて妻とし、それは顕著に現れた。
それに不満を持っていた宰相一族のクーデターにより、南遼王・趙旦は殺され、唯一生き残った南遼の公主(遼は独立国である為、王の娘は公主であり、中華の皇帝から王に封じられたのであれば、その王の娘は公主では無く県主と呼ぶ)も生死不明となっていた。しかし3年ほど前に、死んだと思われていた南遼の公主・趙嬋が兵を率いて舞い戻り、武力によって再び趙氏が玉座を取り戻した。
その後、公主の趙嬋が王位を継いで、南遼王に即位した。趙嬋は神将・秦不剴に師事しており、秦不剴からその武勇は、いずれ自分をも凌ぐと言われていた女傑である。
北遼と南遼は不可侵条約で結ばれていたが、魏の皇帝は亡き母の父である為、趙嬋からすれば祖父にあたる。祖父と師匠の敵討ちと称し、南遼軍は喪服姿の白装束で出陣した。
この時すでに南遼は魏・趙、涼、燕の四ヵ国を滅ぼし、韓と交戦中であり、韓の都は落城寸前だった。南遼軍は、その背後を奇襲する形で突撃を仕掛けた。
昼夜兼行した為に、南遼から連れて来た12万の兵のうち1万5千騎しか着いて来れなかったが、いずれも北遼にも勝るとも劣らぬ一騎当千の猛者達だ。
かつて遼を強国たらしめたのは騎馬隊であり、中でも鉄騎が有名であった。馬を鉄の鎧で覆い、弓矢が通らなくするのである。しかし南遼は中華では最東北に位置し、朝鮮と国土を隣にしている。それほどの遠方から魏帝国への援軍では、馬を乗り潰してしまう。だから馬の負担を少しでも軽くする為に、鉄の鎧は馬車で運び騎馬のみで一昼夜を駆けて来た。それでも10分の1以下の騎馬しかついて来れなかった。それに対して北遼軍は、投降兵を合わせて80万(実数30万)を超える大軍であった。
「杀(突撃)!」
直訳すると、殺せ!と言う意味だが、突撃の掛け声として用いられる為、ここでは突撃と翻訳させてもらう。
奇しくも北遼と南遼の装備は同じで、同士討ちを避ける為に南遼軍は、槍の柄を朱に染めていた。後に朱槍騎と呼ばれ、畏れられた精鋭部隊である。
連勝連勝の上に韓の首都・龍安は落城寸前であり、勝利は目前であった為に浮かれ、兵士達は首都を囲んで酒盛りをしていた。その背後を突かれたのである。北遼軍は何が起こったのか理解出来ずに、死体の山を築いた。誰が敵で誰が味方かも分からない状況は、兵に取って恐怖でしかない。戦いを放棄して逃げ惑った。
南遼は北遼の将校を34人も討ち取る大勝利であったが、花海が現れると状況が一変した。南遼軍を蹴散らして、趙嬋が総大将と見ると一直線に向かって来た。すれ違い様に振り下ろされた矛は、常人であれば真っ二つにされていたであろう。しかし、趙嬋は最小限の力でそれを弾いた。いや、受け流したのだ。
かつて秦不剴に、いずれ自分をも凌ぐと言われた時はまだ15歳の小娘であった。あれから3年経ち、18歳となった少女は国を取り戻した英雄として、逞しく成長し、師匠である秦不剴の武勇を既に超えていた。
当たれば一撃で吹き飛ばされるであろう矛の軌道を変え、趙嬋の周りだけがまるで時が止まったかの様に見えるほど、軽やかで優雅に舞を舞っているかの様に見えた。
趙嬋の強さの秘密はその目にあり、圧倒的に優れた動体視力にあった。飛んでいる弓矢に書かれた数字を当ててみせたと言う。現代でもピッチャーが投げたボールに書かれた数字を、当てて見せたバッターもいるくらいだ。それに似ているかも知れないが、いずれにしてもとんでもない動体視力だ。
趙嬋には高速で繰り出される斬撃すらも止まって見えた事だろう。それに加えて力点、支点の使い方が完璧で、最小限の力で最大限の力を発揮出来た。
例えば、椅子に座らせた状態の相撲取りの額を、か弱い女性が人差し指で押さえるだけで、立ち上がる事が出来なくなる。これは、立ち上がる時に前かがみになって上体を起こすのだが、支点と力点がちょうど噛み合う額を押さえられると、立ち上がれなくなってしまうのだ。
趙嬋は、これらの能力がずば抜けて高く、天賦の才を持って生まれた。これが中華史上最強と謳われた女傑の強さの秘密である。
花海は、しばしば西楚の覇王・項羽(項籍羽)にも比肩される豪傑で、1人で裏切り者の部族に乗り込んで皆殺しにしたとか、素手で虎を殺したとか色々な噂があるが、ここでは割愛しよう。
頭をカチ割ろうと振り翳された矛も、その力を最大限に発揮する前に、力を押さえられて威力を半減させた。繰り出された豪矛の力を一点で受け、そして流し、あるいは弾いてみせた。剛対柔の戦いは、六十合打ち合っても勝負がつかない。薄暗くなり、視界が狭まって来た。
「篝火を焚け!」
配下の者達は、「もうこれ以上は」と止めたが、復讐に燃える趙嬋の耳には届かない。再び花海と三十合以上打ち合うと、北遼と南遼の将が間に入り、「この続きは、また明日にでも」と言って退かせた。
翌朝、北遼から挑戦状が届いた。それには三本勝負を行い、負ければ妻となれと書かれていた。趙嬋は怒り心頭で書状を破って投げ捨て、使者に「受けて立つ!」と伝えた。
三本勝負の一本目は「蹴球」で、簡単に言うとリフティングをしながら小さな穴にシュートし、その入った点で競うと言うものだ。
趙嬋は、「馬鹿にするな。斬り合えば良いだろう」と言って憤慨したが、挑発に乗って行う事になった。
しかし2人とも見事な足捌きで、一度も地面に球を着けることもなく点を取り合い、勝負はつかなかった。
三本勝負の二本目は、弓矢での勝負となった。お互いに矢を3本、的を狙って射り、二本目まではお互いに勝負がつかず、趙嬋が三本目を射ようとした時、弦が切れてしまった。そこを南遼の陣営で組まれた櫓から矢を放ち、的に命中させた者がいた。その距離は50mを超えていた。
花海は振り返って矢を放つと、櫓から矢を放った者の耳飾りを射落としていた。偶然でもなく、矢を放った者を殺そうとしたのでもなく、その耳飾りを意図的に狙って射たのだ。
花海は大声で笑い、こんなに気分が良いのは久しぶりだと言って去った。三本勝負の三本目は行われず、「俺が天下を手土産にお前達に求婚しよう」と言った。
お前達とは、櫓から弓矢を放ったのは、紫延命と言う者で、「紫」と言う苗字で分かる様に韓の王族の血を引く娘であり、これほど距離が離れていながら矢を射た者が女であると見定めて、敢えて耳飾りを狙ったのだ。本来なら勝負を邪魔した為、殺されていてもおかしくはなかった。
南遼にはこの様に女傑が多く、この戦によって趙嬋の勇名は天下に轟いた。それから南遼は北遼と争うのを止めて、自国領に戻った。その帰途の事である。
「おい、そこの草むらだ!」
町人に扮して怪しい行動をする者達がいた為に追いかけて見ると、誰かを庇う様にしながら逃げていたので更に怪しんだ。
逃げる侍女の1人を囲って捕まえ様とした時、逃げられないと観念してその侍女は、喉を掻き切って自害した。まだ他に十数人が逃げている為、追いかけていた。
追い付くと、侍女らしき者が2人、子供を庇っているのが見えた。咄嗟に趙嬋は、「我が母は、魏の華陽公主である。お前達は何者だ?」と尋ねた。すると、安心して泣きながら侍女が足元に平伏して言った。
「この方は魏帝の八男で、八王様でございます。他の皇族は皆殺しにされ、私達は唯一の生き残りの八王様を託されました。私達を逃す為に何人もの忠臣を失いました。どうか八王様をお守り下さい」と泣きすがって懇願した。
「それが本当なら、八王は私の従弟になる。私の命に換えても守ってみせよう」と答えた。この時、八王はまだ4歳であった。侍女達を馬車に乗せ、八王を自分の馬に乗せて南遼に戻った。
後に晋の大元帥として由子が南遼に来ると、魏の未来を託して八王を預けた。由子は期待に応えて、魏を再興したのは、ずっと後の話である。
北遼は後顧の憂いが無くなり、全力で韓を攻め落としたのである。