第1章・第15話 波状攻撃
それから半月後、斉の大軍が旧楚領に攻め込んで来た。それを迎え討つ為に由子は、龐越に城を守らせて出陣した。
4日後、孟孫が晋王の命令を受けて、10万の援軍を連れて来た。由子自身は20万の兵を率いているから、合わせて30万の大軍となった。そして、斉軍は50万の大軍を斉王自ら率いていると言う報告を受けた。
「なるほど、流石は孟孫大人(殿)の間諜は耳が早いですな?」
この「大人」と言うのは、◯◯殿と日本語では訳されるのだが、単純にその相手を呼ぶ時に「大人」とだけ呼ぶ場合もある。
中国ではこれに似た敬称での呼び方があり、皇后を皇后娘娘と呼び、日本語訳では皇后様だが、「娘娘」は高貴な身分の女性に対して用いる敬称であり、やはり単純にその相手を呼ぶ時に「娘娘」とだけ呼ぶ場合もある。
娘娘と呼べる者は、相手も貴妃などの高貴な妃嬪か、自分の侍女くらい身近な者である場合が多い。そうで無い者が呼べば、「馴れ馴れしい!無礼な!」となるのである。
由子は、皮肉を込めて言った。孟孫は不機嫌そうな表情を見せて、無言で下がった。そして監軍として、由子の目付役となった。
晋王から兵符を渡して兵権を委ねた後は、由子の監軍となって「その用兵をよく見よ」と言い渡されていた。
晋王は、由子の側で見て学べば、兵を動かす勉強になるだろうと思っていたのだが、孟孫はまるで逆に受け止めた。
暴走しがちな由子の目付役となって動向を監察し、諌めろと言う事だな?と。これが後に大事件に発展するとは、この時はまだ誰も思いもしなかった。
孟孫は典型的な官僚タイプであり、融通が利かないガチガチのA型で、由子は気分と感情が赴くままに行動し、直感型タイプのB型であるため、両者の仲は悪かった。
仲が悪いと言っても孟孫が一方的に嫌っており、他人の目を気にしない由子は意に返しておらず、それがまた孟孫の感情を逆撫でしていた。
西進する斉軍50万を、斉王は3隊に分けていた。1隊は10万の水軍で旧楚領を目指した。
残りの1隊は甘罧将軍を昇格させて征西大将軍にし、20万の先鋒として韓を攻め、後詰として斉王が1隊を率いて韓と楚攻めのどちらにも援軍に対応出来る様にしていた。
さらに遊軍として馬光に1万騎を預け、楚から長安に逃げ戻る晋兵を討てと命じていた。先の楚攻めで馬光は、攻略出来ずに斉国に逃げ戻って来た為に、その罰として冷遇された配置であった。大した手柄を得る事も期待出来ない配置だからだ。
勿論、馬光は不服であったが、楚攻めの失敗をダシにされては何も言い返せなかった。場合によっては死罪になっても不思議ではなかったのを、免罪されたのだ。文句など言えるはずがなかった。
戦の口火を切ったのは、斉に呼応して楚に攻め込んだ呉軍からであった。しかし、守城を任された龐越によって、悉く阻まれた。
膠着状態が続く中、呉軍は本国で政変が起こったとの報告を受けて撤退して行った。これは、水姫の命を受けた工作員が、呉で扇動を行ったからだ。
甘罧征西大将軍は、由子軍に正面から波状攻撃を仕掛けた。
第1波は斉軍では珍しい女将軍で、名を張甜と言った。男勝りな性格で武術に優れ、野盗に襲われた良民を助ける為に、十数人の野盗に1人で挑んで返り討ちにされ、命を落としかけていた所を偶然に通りかかった斉の李王に助けられ、その勇と武術の腕を見込まれて士官する事になったと言う異例の経歴を持つ。彼女は命の恩人である李王を密かに恋慕い、李王の為なら命も惜しくは無いと忠誠を誓っていた。
由子は例の如く、自ら率いる前衛は囮である為に寡兵(少数の兵)であった。
張甜は由子を見つけると、槍を扱いて一直線に向かった。
向かって来た相手が女性であった為に由子は少し驚いたが、彼女の腕は確かで由子と20合も打ち合う武勇を見せた。
しかし形勢が悪くなって来ると、思い切りが良くて逃げ出した。青光馬なら簡単に追いつけたはずだが、由子は追撃せずに逃した。深追いして罠にかかる事を警戒し、更に第2波に備える為でもあった。
第2波は、馬光の副将だった義弟の瑛深だった。甘罧大将軍の希望で、この戦に限って麾下に加えられていた。
「こいつは凄ぇ、大哥(義兄=馬光の事)が手こずる訳だぜ」
噂に聞く由子と初めて戦って理解した。由子は、義兄よりも強い。相性なのか分からないが、義兄がこんな化け物と互角に戦えているのが不思議な程だ。20合も打ち合うと、瑛深もアッサリと退いた。
瑛深と入れ替わりに、第3波を率いる凌逵将軍が、由子と一騎討ちを始めた。
甘罧大将軍は、用兵において只者では無かったのだろう。晋軍に対して波状攻撃を仕掛けたものの深追いはせず、由子に一騎討ちを繰り返しては疲れさせてから倒す戦術を取った。その間も晋軍による左右からの挟撃に警戒を怠らず備えていた。
18時間以上にも渡る戦闘で両軍も消耗し、日が暮れて兵を退いた。由子は陣営に戻ると疲れ果て、幕舎に入る前に倒れる様にして眠りについた。
小姓が幕舎に運んで鎧を脱がせて、ベッドに寝かせると、由子が女性である事に気付いた。
人払いをしてお湯を沸かし、手巾で汚れた顔を拭った。女性だと思って改めて見ると、思わずにはいられなかった。
「何と美しい女性なのだろうか。こうして寝顔を見ていると、絶世の美女にしか見えない。今まで怖くて目も合わせられず、お顔も満足に見られ無かった」
この感想は、他の諸将や官吏達も同様である。後に彼女が女性であったと広く知られ、天下を震撼させたのはまだまだずっと先の話である。




