第1章・第13話 龐越の台頭
由子は、死罪になるどころか褒賞を賜った。それは韓にいる水姫らにも伝わり、ほっと安堵した。
劉信も愚かでは無い。天下を統一するには、由子の力が必要である事は理解していた。
しかし、水姫にのみ忠誠を誓うと言ってみたり、どんなに恩賞を与えても興味無さそうにし、文官達とも一触即発で揉め、正直手には負えないとも思っていた事だろう。自分と義兄妹ごっこを演じている間は、由子が自分に危害を加える事も無いだろうとも踏んでいた。
その由子に名馬を贈ると、想像を超えて喜んだ。初めて劉信は恩を売る事が出来たのだ。彼女の性格的に、これで絶対に裏切る事は無いだろうと確信した。
地位や金銭に興味が無いのは、その国に長く留まる気が無いからだ。かつて三国時代の関羽は、皇帝からの下賜品は受け取っても、曹操からの贈答品には全く手を付け様とはしなかった。これはつまり、忠誠心が無いと言う事だ。その関羽も、曹操から赤兎馬を贈られた時は喜んだ。一日千里を駆ける名馬なら、一日も早く主君・劉備の下へ駆け付ける事が出来るからだ。
「征北大元帥として北方を回復せよ」と命じた。
しかし由子から、「その前に楚を陥すべきです」と逆に進言された。「何故だ?」と問われると、「楚国にはまだ世に知られていない恐るべき才人がいる。その者は下級官吏であり、その才を知る者は少なく、今はまだ率いる事が出来る兵が少ない為に勝ち目はあるが、同数を率いる事が出来る身分になれば、とても勝てる気がしない」と言った。
「お前にそこまで言わせるとは、余程の人物に違いない。何とか仲間に出来ないものか?」
「やってみますが、まずは戦わなければ、それも叶わぬでしょう」
晋王・劉信は由子に南方大都督を兼任させ、「今後の軍事行動は、王への報告は不要」と前例の無い待遇を与えた。これはかつての漢の韓信の様に、独立軍を認められた様なものである。
由子は、すぐに楚へ10万の兵を率いて南下した。その頃、再び楚と呉は揉めて小競り合いをしており、楚の半数以上の兵は呉に遠征していた。楚は慌てて斉国に援軍を求めた。
しかし、間に合わないかも知れない。晋軍が攻めてくると聞いて楚は、籠城の為に準備を進めた。楚王・陳喃はかつて斉の無常鬼・馬光を退けた者の事を覚えており、名前も知らなかった龐越を守将に昇格させて城を守らせた。
「これはこれは城門校尉殿!」
俸禄が100石にも満たない下級官吏から、突如2000石の校尉に抜擢されたのだ、同僚達から嫉妬や嫉み、好奇の目で見られるのは仕方がない事だった。
誰もがこの成り上がり者がミスを犯し、恥をかいて失脚すれば良いと思い、出世を喜んでやる者などいなかった。
その龐越が城門校尉となって最初に行った事は、市中に1本の柱を立てて「南門に移動した者には10金の褒賞を与える」と貼り紙をした事だった。
しかし、誰にも相手にされなかった。5日後、1人のならず者が「本当に10金くれるんだろうな?」と言い、柱を担いで南門へ移動させて柱を立てた。
龐越は約束通り、そのならず者に10金を与えた。実はこの話には裏があり、数日経っても誰も相手にしない事に剛を煮やすと、龐越は協力者を探した。そして、酒を飲んで暴れ誰も近寄らないならず者に酒を奢り、話を持ち掛けて褒賞の10金とは別に前金を支払ったのだ。
再び同様に柱を立てると、人々は争って柱を奪い合った。これを更に2度繰り返して褒賞金を支払い、民を信頼させた。
これによって、龐越の命令に民は従う様になった。民を指揮して調練を行い晋軍に備えた。他人の足を引っ張る事しか考えていない文官や武官を使う事を躊躇ったからだ。
こうして龐越は何とか戦の準備を整える事が出来た。だが問題は山積みである。晋軍が迫る中、軍事に関して素人である民を訓練し、兵士に変えるだけの時間が残されていなかった。その為に命令を単純明瞭化し、恩賞によって士気を上げる事くらいしか出来なかった。




