第1章・第12話 青光馬
由子は、剣を帯びたまま全身に殺気をみなぎらして晋王・劉信に拝謁した。劉信を守る近衛兵は、蛇に睨まれた蛙の様に身動き出来なかった。
「義弟よ、どうして呼ばれたか分かるか?」
穏やかに由子に尋ねた。
「褒賞を与える為でしょう?」と、由子は答えた。
新参者の由子は、身分の上下の区別無く態度も変えずに接する為、それを苦々しく思う者や、言葉使いや態度も大きく無礼である為、ことさら文官達は由子を嫌っていた。
また、そもそも武官と文官は仲が悪い事も影響していた。そんな連中を見て、くだらない奴らだと見下していた為、由子と文官達との溝は広がる一方であった。
その文官達は、これで由子も言い逃れ出来ずに終わりだと、ほくそ笑んでいたのだが、「褒賞を与える為でしょう?」と言ってのけたのは、馬鹿なのか?それとも我々文官をおちょくっているのか?と憤慨した。
しかし由子は、兵法を著した才人である。それが後者である事は皆分かっており、それが更に気分を害した。
「黙れ、由子!言うに事欠いて、褒賞を与える為とは、王や我々を侮辱し馬鹿にしているのか!?」
「そうだ!この様な道理も礼儀もわきまえぬ者は、処刑してしまえ!何をしておる?近衛兵!此奴を捕らえよ!」
近衛兵らは命令されたものの、劉王と由子の顔色を伺い、それでも受けた命令を全うしなければ、と言う責任感で由子を遠巻きに取り囲んだ。
「面白い、お前ら如き虫ケラがこの俺様を斬れるのか?100万の兵がいても俺を殺す事は出来ん。1人ずつ確実に殺して行くぞ」そう言うと抜剣して構えた。
近衛兵らは由子に睨まれると、冷や汗を流して一歩も動く事が出来なかった。
彼らは晋王を守る為の精鋭中の精鋭だ。達人は達人を知る。殺気が放つ気で相手の力量が分かる。由子が言っているのは脅しなどでは無く、本気でこの場の全ての人間を斬り殺して、逃げ仰せる事が可能なだけの強さを感じ取れた。
「止めぬか!」
一触即発の不穏な空気を打ち払ったのは、晋王・劉信の一喝であった。
「義弟よ、すまぬな。臣下が何やら誤解しておるようだ」
これは晋王が、由子を臣下として見ず、身内に話し掛ける言葉であった。ここで初めて由子は、剣を下ろして平伏し拝謁した。劉信の言葉に対して、最大限の感謝の意を込めたからだ。
「孫子にもある。将、外にあっては、君命も奉ぜざるありと。由子の決断が遅れていれば、韓は陥ち、晋は窮地に立たされていた事であろう。孫子にも劣らぬ兵法ぶりよ。褒めこそすれ、なんで罰しようか?」
そう言うと、太監に手で合図を送ると、黄金や磁器、玉(宝石)、絵画や書などを運び込ませて贈った。
「大哥(義兄上)、お気持ちは有り難いのですが、私には無用の長物で、金銭になど興味はなく、一銭も受け取るつもりはございません」
「それでは余の気が済まぬ。それでは、これを贈ろう。付いて参れ」
君臣一同、晋王の後に付いて宮殿の外に出た。すると一頭の馬が繋がれていた。
「では、これならどうだ?これでも拒むか?」
その馬は、誰もが一目見て名馬だと分かった。歴史にその名を刻む青光馬である。そのあまりの速さで体毛が摩擦電気を帯び、全身が青白く光って見える所から名付けられた俊足の名馬だ。
由子は初めて喜びの表情を見せ、まるで玩具を買ってもらった子供の様に喜んで、何度も晋王に感謝の言葉を述べた。
これまで一切の物欲を見せなかった由子が初めて、与えられた物に喜びを見せたのだ。劉信は満足そうに頷いた。
喜んだ理由は、実は明確だ。これで馬光の乗る名馬・赤龍と対等に駆ける事が出来る。それはつまり、次に会えば馬光は自分から逃げる事は出来ない。必ず決着をつける事が出来るからだ。
文官達はこの様子を見て、何も言えなくなってしまった。エコ贔屓だ、などと言える者はいない。君主がエコ贔屓するなど当然の世の中だ。それに君主のする事に口出しなど出来ない。そんな事をすれば首が幾つ有っても足りない。劉信は臣下の前で、由子に対して全幅の信頼を置いていると態度で示したのだ。
それから王や重臣達の前で抜剣した事も不問にされた。王に危害を加え様とする何者かの気配を察知して剣を抜いたものであり、忠誠心の現れとされた。物は言いようである。
由子は、「見た目は見目麗しい美女の如しだが(男装していて殆どの者が由子の事を男だと思っていた。女性ではないか?と疑っていた者もいたが、誰もが怖くて言えなかった)、その性(性格)は獰猛にして虎の如く、その身のこなしは彪の如く、その勇は獅子の如し」と評され、畏れられた。
しかしそれに反して、配下の将兵達には慕われていた。由子は金銭欲が皆無と言って良いほどなく、恩賞は太っ腹で王から下賜された自らの恩賞まで配下に振る舞い、彼女の戦闘スタイルは自らを囮にして敵を誘い込み殲滅すると言うものである為、危険な役目は自身が引き受け、未だに兵を率いては不敗である為に兵の生還率も高く、これで慕われないはずがなかった。
さらに、口が悪いのは恐らく本人には全く悪気は無く、食事は最下級の兵士達と同じ物を食べ、藁を枕に地べたに雑魚寝をし、偉そうな振る舞いなど微塵も見せなかった。
彼女の出自は貧しい貧民の出であり、弱者の気持ちが良く分かっていた。姉は腐敗した高級官僚によって凌辱され、死に追い詰められた。
その為、賄賂を受け取り民に圧力をかけて税をむしり取り、良民を虐げる不正役人を憎んでいた。文官達をその代表だと思っている為、嫌悪していて態度に出てしまう。中には水姫の様なカリスマ的存在もいるが、稀だと思っていた。
将兵らは彼女に命を預けるに足る、偉大なる上司であった。




