第1章・第11話 羅略の死
しかしこの直後、訃報が入った。羅略が秦の降将によって暗殺されたと言うのだ。
羅略は、元楚の士大夫であり、天下にその名を広く知られた大学者であった。水姫を見出したのも彼であった。彼がいなければ、水姫は今頃墓の中であった事だろう。
秦と楚が同盟を結んで呉に対抗したが、その立役者は羅略であった。皮肉にも、その秦の降将によって羅略は暗殺されてしまったのだ。
降将の動機は、秦と楚は同盟を結んでいたが、羅略は裏切って越南に走り、秦を害した。これは天に背く行為で許し難い。よって天に変わって誅したのだと言った。その後この降将は、牢獄で服毒自殺を図って死んだ。
羅略に代わって新たに秦の太守となった孟孫は、秦国からの降将を厳しく取り締まって反感を買い、それが謀叛にまで発展する騒ぎとなり、韓の太守である水姫が暴動を抑える為に派遣された。
斉の李王は、馬光に韓を攻める様に命じ、馬光は兵を率いて韓に着くと城を取り囲んで動かなかった。
韓はかつての自分の国であり、そこに住む民は韓の民である。民を害する事を躊躇して、攻める姿勢だけを見せて動かなかったのだ。
それに、水姫と戦いたくなかったのもあるだろう。だがこの時、水姫は秦に向かっていたので韓には不在であった。
斉が韓を攻めていると聞いた由子は、晋王・劉信に許可を取らないで勝手に南下して馬光軍に襲いかかった。
「馬光!何処だ!出て来い、馬光!」
由子は、率いる鈴楽隊を手足の如く指揮し、寸分の乱れもなく統率された軍隊に斉軍は動揺した。
「信じられん。混戦でありながら、兵を手足の如く指揮して寸分の乱れもない」
「これは古の孫子や韓信をも超える怪物だ」
そう言って、由子を恐れた。
馬光は、斉の将兵達が由子を恐れて逃げ惑い戦おうとせず、戦にならない為に自分が一騎討ちで倒す選択をした。
「おぅ、由子。今日こそは決着をつけに来た!」
「あははは、嬉しいねぇ。お前をぶっ殺して天下最強はこの俺だと知らしめてやるよ」
2人ともほぼ同時に正面から突撃し、刃を交えた。槍は剣よりも間合いが長いので、特に馬上では槍の方が圧倒的に優位だ。
しかしそれでも由子は、超高速の斬撃で槍を受け流して容易く間合いに入った。
馬光の槍が反り返って跳ね、強烈な一撃を加えるも由子は手首を返して軌道を逸らし、直撃を避けた。そのまま受けていれば、馬上から落とされていたかも知れない。
腕力のある左手の剣を盾の様にしながら間合いを詰め、右手で飛燕剣を繰り出した。相変わらず目で追う事すら出来ない高速の斬撃だったが、馬光は受け或いは弾いて見せた。
由子と馬光の戦いは全くの互角で、どちらが勝っても不思議では無かった。
そこへ秦での謀叛を平定した水姫が、兵を連れて馬光軍に突入した。
由子は鈴で合図を送り、弓矢を自分諸共に射させた。数万本の矢が雨の様に降り注ぐ中を由子は、右の超高速の斬撃で頭上や背に向かって来る矢を払い落とし、左手で馬光と打ち合っていた。
「くっ、付き合いきれん」
そう言うと馬光は、踵を返して走り去った。
数万本もの矢を払い落としながら一騎討ちをした話は、由子の武勇伝の1つだ。
「くそ!逃げるなぁ!」
馬光との勝負の決着を望んでいた由子は、大層悔しがった。
落城寸前の韓を守り切った。そこへ由子に詰問の使者が訪れ、晋王が報告を待つとの事だった。
これは、由子が晋王の許可を得ずに勝手に南下し、韓を攻める馬光と交戦した事に対するものである事は明らかであった。
例えそのお陰で韓を救う事が出来たとしても、王命も無く勝手に兵を動かせば大罪であり、秩序が保てなくなる。晋王は由子を罰する他ないのだ。兵を王命無く動かすのは、死罪である。
水姫は、免罪の書をしたためて由子に持たそうとしたが、断られた。由子は身一つで長安へと向かった。
「1人で行かせても宜しかったのですか?このまま野に降られる可能性もあるのでは?」
「その言は聞かなかった事にしよう」
これは、由子への侮辱に他ならないからだ。水姫は、彼女の自分への忠誠心を信じていたから、野に降ったりなどしないと信じていた。




