第1章・第10話 北遼の大帝・耶律花海の死
北遼は天下統一まで、西涼、斉、楚、呉、越南の5カ国を残して滅ぼし、花海は自らを大帝と僭称した。
「うははは。中原人(中国人)の阿呆共が争い合って、勝手に潰し合いしておるわ。北遼は安泰じゃな」
北遼人達は、そう噂し合った。しかし異変が起こったのは、それから間も無くの事である。
北遼の大帝・耶律花海が亡くなったのである。突然死であったが、不審な点が多かった。毒物によって、暗殺されたとも言われている。
他国だけでなく、彼に恨みを持つ者は多く、気に入れば家臣の妻や娘をも凌辱しており、それが原因で不貞を恥じた妻は夫に謝り自らの命を絶った者もいた。
誰が犯人でも不思議では無かったが、皇帝が亡くなったのである。犯人が分からないでは済まされない。適当に犯人をでっち上げ、公開処刑された。首を斬られたり、車裂きにされたならまだ良かった。苦しみは一瞬だけで、楽に死ねたからだ。だが、この公開処刑は皇帝を暗殺したと言う大罪人の処刑だ。楽に殺されるはずがない。凌遅刑に処された。
凌遅刑とは、生きまま罪人の肉を少しずつ斬り取っていく処刑方法で、通常2、3日かけて身体を切り刻まれる刑を受ける。
この刑を受けた者で特に有名なのは、明時代の宦官・劉瑾だろう。謀叛の罪により、凌遅三日の刑を受けて処刑された。絶命するまで3,357回も体を切り刻まれたと言う。記録によると、一日目に3000刀ほど肉を削られたが、死ぬことはなく、夜は牢屋に戻された。夕食のお粥とメザシ1匹を食べた。二日目に400回ほど切り刻まれた時点で死亡したと記録にある。
凌遅刑はそれだけでは済まされず、さらに見物に来ていた民衆は、その肉を奪い合った。勿論、食べる為である。人肉には精力と活力を与え、重病者の病いをも治すと信じられていたからだ。
しかし人を殺して肉を食う訳にはいかないので、こんな時くらいしか入手出来るチャンスが無いのだ。肉が手に入らなかった者も、滴る血に布を浸して啜った。
花海は後継者をまだ決めておらず、2人の弟達が後継者争いを始めて国内は割れ、殺し合いを始めた。花海は多くの女達を孕ませており、子供はまだ幼く皆殺しにされた。
花海に凌辱されて妊娠し、夫から離縁されて実家に戻っていた大臣の元妻もいたが、懸賞金をかけられて捕まり処刑された。後継者争いで邪魔だからだ。この残虐非道な弟達に民は苦しめられ、怨嗟の声は高まっていた。
斉の李王は天の時を得たと北伐を開始し、苦しめられている北遼の民を救済すると宣言した。この声明を受けて越南も北伐を開始し、楚、呉もこれに続いた。南遼は、中華からの独立を宣言し、南遼から遼に国号を変えて趙嬋は女帝として君臨した。
越南の劉信は紫尚書令の為に、かつての韓の地を攻め、苦労の末に遂に北遼から奪い返した。花海の非道な仕打ちによって、まだ13歳であった韓王・紫葉の頭蓋骨には金箔が貼られ、酒盃にされて飾られていた。水姫は、亡き弟の髑髏を胸に抱いて三日三晩泣き続けたと言う。
劉信は北遼の命運はここに尽きたとし、由子を征北大元帥に任命して更なる北伐を命じた。
水姫には、韓の都であった龍安の太守を兼任させて守らせた。心が弱っている水姫を北伐に連れて行けないと思ったのと、守る者も必要だったからだ。それになにより、越南が北伐に成功した暁には、韓を再興すると言う意思表示に他ならない。
北伐をするにあたって由子は兵の調練を行い、大きく変革した。
5人1組を最小の単位としたのは変わらず、それを2組集めて10人1組にし、更にそれが5組で50人に、更にそれを2組で100人に、と言う様に組織されており、100人を10組で1000人に、1000人が5組で5000人に、5000人が2組で10000人となり、1万人の長は将軍となる。
また、それぞれの長が敵に倒された場合、次の長は誰がなり、その者も倒れたら次の長は誰が、と言う様に事細かく決められた。
それから、それぞれに鈴を持たせると、音によって指示が伝わる様に調練され、これによってより細かく指揮が行き渡る様になった。
由子が率いるこの部隊は鈴楽隊と呼ばれ、名前は可愛いが後にその名を聞いただけで敵国を震撼させたと言う。
厳しい調練の後、由子は北伐に向かい、長安を目指した。楚呉は洛陽を突き、斉は淮南一帯から洛陽を目指して進軍した。
長安は堅固なので、まず周りを陥して孤立させる事にした。兵糧攻めも兼ねているが、長期決戦となるとこちらの兵糧が保たない。花海は3人兄弟で、今は1番下の弟である耶律阿尚が長安から西を支配していた。
「まさか籠城を選択するとはな」
阿尚は気が短いと聞いていたので、打って出て来ると思っていたのだが、アテが外れた。
城に閉じ籠られると大規模な攻城兵器が必要だし、守備兵よりも損害が大きくなるのが常だ。由子はすでに戦後の事を考えていた。
北遼を北に追いやると、次は中原の争いとなる。長安を陥とし、西涼も陥とす。西涼には屈強な軍馬がいる。斉と戦うには騎馬隊は必須だ。
その為にも長安は、最小限の被害に抑えたい。そこで由子は、長安を取り囲んだまま西涼へと向かった。
西涼では突然現れた南越に驚いて、応戦した。西涼の先鋒は、阿尚の片腕と目される婆姑将軍で、三叉と呼ばれる三又の槍の使い手であった。
由子に一騎討ちを申し込むと、僅か3合で斬り殺された。
「馬鹿な!婆姑将軍は北遼でも指折りの豪傑だぞ!何だあの化け物は?」
恐れを成した西涼刺史は、堅く門を閉じて籠城の構えを見せた。
「やれやれ、ここでもまた亀の様に閉じ籠るつもりかよ?つまらない奴らだ」
由子は、西涼刺史を口汚なく罵った。
長安を取り囲んでいた越南軍に異変が起こったのは、それから数日後の事である。
「どうした?一体何を騒いでおる?」
阿尚が尋ねると、西涼からの援軍が囲みを破って越南軍を追い散らしていると言う。
「馬鹿な!見え透いた手だ。相手にするな!」
「そ、それが…婆姑将軍の鎧に身を包み、三叉を持った者が越南軍と戦っております。遠目から見ても、その強さが分かります。あれは本物の婆姑将軍に違いありません!」
「好!(良し分かった!)この目で確かめてやろう」
阿尚が城壁から見ると、確かに1人の将軍が圧倒的な強さで敵兵を追い散らしていた。
「おぉ!あの武勇、まさしく婆姑だ!それ、全軍、儂に続いて、越南の蛮族を山に還してやれ!」
阿尚は城内の全兵力で越南軍に突撃した。勢いは北遼にあり、越南は次第に押されると堪らず壊走し始めた。
「わははは!それ皆殺しだ!」
「えらくご機嫌だな?」
「婆姑…じゃない!?貴様、一体誰だ!」
「俺か?俺は由子だ。この変な槍は苦手だが、それでもお前よりは強いぞ?」
「ぬかせ!婆姑はどうした?」
「俺が瞬殺してやったよ」
「おのれ!」
北遼軍が中国の北半分をあっという間に征圧出来たのは、花海の国士無双の武勇だけでなく、他2人の弟も兄に見劣りしない一騎当千の猛者であったからだ。
阿尚の得物は狼牙棒で、鉄で出来た棍棒に棘棘が付いている武器だ。それを力任せに狼牙棒を振り回したが、由子は余裕で弾き返し、「三叉撃」など技を繰り出して応戦した。
10合も渡り合うと、由子は狼牙棒を弾き、素早く喉を突いて阿尚を討ち取った。
由子は、越南王・劉信を長安に招いた。越南は、かつての韓と趙の地に加えて魏の一部を得て、国号を「晋」と改めた。
その頃、斉国も花海の次男である阿達を討ち取って平定した。呉・楚は、斉国に臣従して、三国同盟を結んで晋に圧力をかけて来た。晋は西涼の独立を認めて西涼王に封じると約定を結んで同盟を結び、後顧の憂いを絶って北の脅威を無くし、斉国との天下の覇権を巡って争う姿勢を見せた。




