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大韓の聖后  作者: 奈津輝としか


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第1章・第1話 「一振り十殺」飛燕剣の使い手・由子

 激しい雷雨の中、馬光(マー・グゥァン)はタダならぬ気配を感じて剣を手に取った。その剣は、名剣として世に名高い「赤龍剣」だ。

 ここ斉国は、南中華の超大国として栄えており、広く優秀な人材を求める為に昨年、武挙が行われたばかりだ。

 武挙とは、科挙が頭の良さで登用されるのに対して、こちらは武術の腕前で登用された。試験はトーナメント形式で武術の腕を競い合い、上位者は将軍として登用される為に、中華全土から仕官を望む腕自慢が大勢集まった。

 馬光(マー・グゥァン)は、傭兵稼業でその日暮らしの生活を送っていたが、斉国の仕官を求めて武挙を受けた。そして並いる強敵を退けて優勝し、その褒賞として四品官の振武将軍に任命され、更に赤龍剣を(たまわ)った。

 その後、北遼との(いくさ)()いて連戦連勝を重ね、隣国からは「国士無双」「無常鬼(死神)」などと呼ばれて恐れられていた。

 それ程までに強い馬光(マー・グゥァン)が、胸騒ぎを感じて城壁の上へと全力で駆け付けた。馬光(マー・グゥァン)が城壁に辿(たど)り着くと、既に守備兵が十数人も倒されていた。その侵入者と目が合うと、鳥肌が立っている事に気がついた。

(何と言う圧力(プレッシャー)だ…)

 馬光(マー・グゥァン)は、侵入者を(にら)みながら剣を構えた。

「…お前が無常鬼か?」

 侵入者もジロリと(にら)んで、問い掛けて来た。その両手には剣が握られていた。

(両刀使いか?)

 馬光(マー・グゥァン)は侵入者の両刀に注意を払い、その問いには答えずジリジリっと間合いを詰めた。無視された事に腹を立てたのか侵入者は、一瞬で間合いを詰めて懐に飛び込んで来た。

「うっ!」

 思わず声が漏れた。侵入者は雨で濡れた城壁の上を、雨を弾く足音すら無く間合いを詰めて来たのだ。この所作だけで、相手の持つ恐るべき力量が推して図れた。そしてその剣速は目で(とら)える事など、およそ困難な速さで正確無比に急所を狙って来た。

 本能とでも言うのか、傭兵として場数を踏んで来た戦闘のカンとでも言うのか、目で捉えられずとも軌道を予測して受ける事が出来たのは、さすが国士無双と(うた)われるだけの事はあった。

 だが、侵入者の体術レベルは尋常では無く、こちらの(まばた)きの刹那に合わせて移動して来る為、まるで瞬間移動で間合いを詰められた様な錯覚に(おちい)った。

(この歩法には見覚えがある)

 それは、ここ斉国を南中華最強国へと()し上げた間諜組織“無影(ウーイン)”(日本で言う所の忍びの様な組織)が使う歩法だった。

 侵入者の無影(ウーイン)歩法に苦しめられたが、剣先は鋭くともその剣は軽く、弾き返す事が出来た。剣速は尋常では無く速いが、受けているうちに慣れて来た。

 しかしそれでも、その剣を目で(とら)える事は出来なかった。侵入者が剣を握り、振る刹那の動きを予測し、感覚を研ぎ澄ましてギリギリに()わす。

 完全に()け切る事など不可能な速さであり、深傷(ふかで)を負わない程度の傷を作って間合いに入り、剣を合わせた。

 神速の斬撃が(ほほ)(かす)め、左肩を斬られると(ころも)が裂けたが、両手で剣を握って侵入者を真っ二つにしようと頭上から振り下ろした。

 侵入者は両刀である為に、片腕で剣を受けていたが想像以上に身体が軽くて、一撃で数メートルも吹き飛ばした。だが体勢を崩す事無く、身体を猫の様に回転させてバランスを取ると、着地と同時に軽く地面を蹴って文字通り飛び掛かって来た。

 薙ぎ払って来たその剣を受け流し、すれ違い(ざま)に胴を斬った。しかし、左の剣で受けられて防御された。

「信じられん。これほどの使い手が今日まで無名でいるとは…天下は広いな」

 国士無双と(うた)われ、自分より強い者など居ないと思い始めていた。それがどうだ?その自分が、(むし)ろ押される日が来ようなどとは…。侵入者の余りの強さに舌を巻いた。

 斬るも受け流され、突くも()わされ、払うも弾かれた。此方(こちら)の攻撃は(かす)る事すら出来無かったが、少しずつ分かって来た事がある。

 侵入者の斬撃は僅かに左手の方が遅い、しかしその代わりに此方(こちら)が両手で剣を握り、渾身の力を込めて斬った剣を左手一本で受け止めて見せる程の怪力だった。どれほど鍛えれば、これ程の腕力と握力を身に付ける事が出来るのだろうか。

 右手から繰り出される斬撃は全く見えない。左手は剛腕だが、右手ほど速くは無い。そこに付け入る隙があるかも知れない、と考えていた。

(この窮地を脱する事が出来たら、下賜された美酒を飲み干そう)

 その為にも、この強敵を倒す。100合近く斬り結んで(かす)り傷を受けながらも、馬光(マー・グゥァン)はカウンターによる反撃を狙った。

 だがその前に、侵入者の剣が折れたのだ。安堵したのか勝利を確信したのか、思わず笑みが(こぼ)れてしまった。

ガギィーン

 侵入者が投げ付けて来た剣を弾くと、鈍い金属音が響いた。と、ほぼ同時に飛び込まれ、喉を()き斬ろうと剣を一閃して来た。咄嗟に剣で受ける事が出来たが、あとほんの0.1秒でも受けるのが遅ければ、命は無かっただろう。

 侵入者はキッと(にら)み、声のトーンを低くして怒りの声色を発した。

「俺を舐めてんじゃねえ。間違えるなよ?俺が負けたんじゃない!俺の名も無き駄剣が、お前の名剣・赤龍剣に負けただけだ」

 受け止めた侵入者の剣をよく見れば、折れた方の剣で切先が無かった。そして、この時に初めて侵入者の顔をハッキリと見た。

(まさか…女?)

「美しいな…」

 馬光(マー・グゥァン)は、思わず心の声が漏れ出ていた。侵入者は「チッ!」と舌打ちをして、身軽にもバク転をしながら城壁の端に立った。

「次に会った時が、お前の最期だ」

 そう言うと侵入者は、城壁から堀に飛び込むと水飛沫(みずしぶき)を上げて消えた。

 斉国の将兵や“無影(ウーイン)”らが駆け付けると、“無影(ウーイン)”は堀に飛び込んで侵入者の後を追った。

哥哥(グゥアグゥア)(義兄)、見てたぜ。互角だったな、ありゃ何者(なにも)んだ?」

 声を掛けて来た者は、傭兵稼業をしていた時の戦友で、義兄弟の契りを結んだ義弟の瑛深(イン・シェン)だ。

(互角だと…?)

 馬光(マー・グゥァン)は、左の首筋に付けられた傷痕に触れながら(つぶや)いた。

「折れた剣で無ければ、俺は死んでいた…」

 首の傷を押さえたまま侵入者が立っていた場所を見つめ、あの美しい女の顔が頭から離れなかった。


 斉の李王は馬光(マー・グゥァン)から報告を受けていた。城壁の守備兵は気を失っているだけで、誰も殺されてはおらず、目的は馬光(マー・グゥァン)と腕比べであった事と結論付けられ、斉への間者(スパイ)では無いとされた。

「誰ぞ、侵入者の名を知る者はおらんのか?」

 朝臣達が(ざわ)つくと、李王が宰相を責めた。

辛大人(シン・ダーレン)(辛殿)、話しを聞けば、ここまで侵入を許した要因は、“無影(ウーイン)”と同じ衣を着ていたからだそうだな?」

大王(ダーワン)(それがし)の罪です。どうか私めに罰をお与え下さい!」

 そう言って平伏したのは、この国の宰相である辛明(シン・ミン)であった。

「“無影(ウーイン)”を統括しているのは、是你(シィー・ニー)(お前だな)?」

 李王は、「返答次第では斬首にするぞ」と言う圧力(プレッシャー)を掛けた。その空気を察した朝臣達は、額に汗をかいて(うつむ)いた。

我是(ウォー・シィー)(私で御座います)。ですが、幾つかお尋ねしても宜しいでしょうか?」

 辛宰相の言葉に、1度だけ機会(チャンス)を与えてやろうと、顎で合図を送った。直ぐに証人らしい人物が、朝廷に現れた。

「その侵入者の特徴は?」

 辛宰相は、証人に尋ねた。

「“無影(ウーイン)”の装束と同じ物を着ておりました」

 証人は軽装備の鎧を着込み、守備兵らしき格好をしていた。

「それだけでは証拠にはならん。我が配下を殺して衣を奪った可能性もある」

「まさか“無影(ウーイン)”を殺せる者など、おりましょうか?」

 斉が誇る間諜組織“無影(ウーイン)”は、天下の誰もが恐れる最強最悪の暗殺集団だ。組織には奴隷落ちした奴婢や、素質のある子供を(さら)ったりして、幼い頃からあらゆる殺人技を修得させられた。

 今日(こんにち)の斉国があるのは“無影(ウーイン)”のお陰であるのは間違いなく、北遼の侵攻を謀略によって食い止めたのも彼らの功績だ。

「その者は、かなりの使い手だったと聞くが?」

 それには、馬光(マー・グゥァン)が答えた。

「神速の両刀の使い手で、しかも“無影(ウーイン)”独自の歩法まで使っておりました。あの者は、伝え聞く花海(ファハイ)趙嬋(ヂャオ・チャン)に勝るとも劣らないでしょう」

 それを聞いた辛宰相は目を閉じて、何やら思案して記憶の底を探っている様に見えた。

「そうか…ついに現れて(世に出て)しまったのか…1人だけ心当たりがある。もしも想像している者と同一人物であれば、追手は1人も戻る事はあるまい…」

 辛宰相は思わず嘆息した。それから斉王に向き直して問うた。

大王(ダーワン)にお伺い致します。由子(ヨウ・ヅゥ)の兵法なるものを聞かれた事は?」

「おぅ、当然知っておるとも。お主の祖父・無音(ウー・イン)が余に献上した兵書じゃ。兵の心理、兵の配置から兵の動かし方まで理に叶った名書の一つであるな」

 現在では「由子(ヨウ・ヅゥ)の兵法」など散逸してしまい誰も知らないが、この時代では有名な書物の一冊であった様である。

「その兵法書を書いたのが、この由子(ヨウ・ヅゥ)で御座います」

 それから辛明(シン・ミン)は、由子(ヨウ・ヅゥ)について知っている事を話し始めた。

 幼い頃、由子(ヨウ・ヅゥ)には二つ歳上の姉がいた。両親は幼い頃に死別し、姉が親代わりであった。とは言っても二つしか歳が変わらないのだ。どれほど苦労したのか計り知れない。

 姉は美しく14歳の時に偶然通りかかった城主に見初められ、近くの小屋に連れ込まれて凌辱された。中国では命よりも名誉を重んじる。(はずかし)めを受けたのを恥として、姉はその場で首を吊った。

 城主も身分の低い小娘など相手にはしない。侍女は奴婢だが、元は貴族の娘であったり、豪商の娘であったりするが、その侍女などがお手つき(抱かれる事)にでもなれば、側室になれる。

 しかし散々、(もてあそ)んでそのまま放置したのは、後腐れなく勝手に死んでくれるだろうと予測出来たからだ。

 由子(ヨウ・ヅゥ)は、夕餉(ゆうげ)(晩ご飯の事)の為に魚を獲っていた。遅く帰って来たにも関わらず見当たらない姉を探していると、近所の者が大変な事が起こったと報せてくれた。

 変わり果てた姉と対面して、嘆き悲しみ怒り狂った由子(ヨウ・ヅゥ)は、そのまま飛び出して城主の屋敷に押し入って抗議しようとしたが、まだ12歳の非力な子供である。足腰立たなくなるまで、叩きのめされて打ち捨てられた。

「姉に免じて命だけは助けてやる」と、殺されず命までは奪われなかったが、歩くのもやっとの状態であった。悔しさと絶望に打ちのめされて、姉の下に逝こうと木に縄をかけて首を吊ると、偶然に通り掛かった坊主がクナイを投げて縄を切り、一命を取り留めた。

「死ぬのは容易(たやす)何時(いつ)でも出来る。姉の為に出来る事は後を追う事だけか?一つ死んだ気になってワシの修行を受けてみんか?」

 坊主は酔狂で救ったのかは分からないが、これで由子(ヨウ・ヅゥ)は死を選ばずに復讐者の道を選んだ。得体の知れない坊主の名は無音(ウー・イン)と言い、修行は厳しかったが姉の無念の死を思うと耐えられた。元々の素質もあったのだろう、たったの3年で 師傅(シーフー)(師匠)である坊主からの教えを全て修得した。

「これからお前がする事はワシの預かり知らぬ所だ。勝手に思いを遂げるが良い。ここでお別れだ。縁があればまた会えるだろう。その時は敵か味方か分からぬがの」

 そう言うと、一瞬で目の前から消え去った。最後まで得体の知れない坊主だったが、何者であったのか由子(ヨウ・ヅゥ)が知るのはまだ先の事だ。

 奥の手は隠しておくものだ。由子(ヨウ・ヅゥ)は、 師傅(シーフー)(師匠)の坊主にも見せてはいない秘剣を生み出していた。十回振った斬撃が、一振りに見える程の神速であった事から、「一振り十殺」と畏れられた飛燕剣だ。

 由子(ヨウ・ヅゥ)は、猫の様に音も無く屋敷に忍び込むと、城主を探して出会い頭に守衛を斬って回った為、全身返り血で真っ赤に染まった。数刻後、城主の首を姉の墓に備えて敵討ちの報告をする姿があった。こうして由子(ヨウ・ヅゥ)は、お尋ね者となり姿を消したのだ。

 あれから更に3年の月日が流れ、今は18歳のはずだ。恐るべきはその吸収力にあり、様々な兵法書を読んで自ら書いた「由子(ヨウ・ヅゥ)の兵法」は、信じ難い事に僅か14歳で著したものだと言う。それを無音(ウー・イン)の手を経て、李王へと献上された。

「いやに詳しいな。何故そこまで知っている?」

「はい、あの者は…“無影(ウーイン)”を創設した我が祖父が育てし者。つまり由子(ヨウ・ヅゥ)を弟子にした坊主とは、祖父の無音(ウー・イン)なのです。かの者が万が一にも敵に回る様な事があれば、必ず殺せと命じられております」

「けしからん!」

 その話を聞くと、李王は顔を真っ赤にして怒り出した。

「余はその昔、彼奴(あやつ)無音(ウー・イン))が由子(ヨウ・ヅゥ)の兵法書を献上して来た時に、召し抱えたいと言ったが既に故人だと申したのだ。君主を欺く罪は三族皆殺しの刑ぞ!辛明(シン・ミン)よ、お前も連座して死罪となる。だがあの無音(ウー・イン)が育て恐れし者か…。ならば命ずる!死にたくなくば、由子(ヨウ・ヅゥ)を生きたまま捕らえて参れ!何としても我が配下に欲しい」

 李王は、怒気を含ませて宰相に命じた。

「は、はっ」

 辛明(シン・ミン)は厄介な命令を受けたと、額に汗を(にじ)ませた。

 “無影(ウーイン)”とは、斉を強国たらしめた裏の組織で、間諜、暗殺、破壊工作、潜入捜査などを請け負い、日本の忍びにも似た仕事を生業(なりわい)としていた。

 “無影(ウーイン)”には、独自で生み出された歩法があり、相手と呼吸を合わせて一体化し、(まばた)きに合わせて瞬歩で間合いを詰める為、相手は一瞬で目の前に現れた様に感じると言う。

 “無影(ウーイン)”の創始者である無音(ウー・イン)は伝説的な間諜であり、今だに彼を超える者など存在しなかった。

 その祖父が自分より上だと認め、敵に回るなら何としてでも殺せと命じたのは、それほどまでに手強い相手だと言う事だ。

 殺すのも難しい相手を生け捕れとは、抵抗されればどれ程の被害を出す事かと溜息をついた。


「チッ!しつこい奴らだ。そんなに死にたいのか?」

 由子(ヨウ・ヅゥ)は吐き捨てる様に言い、走り去る事を諦めると剣を抜いた。

「生きて帰れると思うなよ?」

「馬鹿め、それは此方(こちら)台詞(セリフ)だ。この人数の“無影(ウーイン)”を相手に、いつまで()つかな?」

 “無影(ウーイン)”は5人で、獲物と見定めた由子(ヨウ・ヅゥ)を取り囲んだ。ジリジリと由子(ヨウ・ヅゥ)に詰め寄り、1人が陽動で最初に由子(ヨウ・ヅゥ)に踊りかかると、他の4人が同時に斬りかかった。

()った!)

 そう思った“無影(ウーイン)”らの目には信じられない光景が映った。最初の1人は、瞬時に首と胴を斬り離され、同時に斬りかかった内の2人の攻撃は、無影(ウーイン)歩法でヒラリと()わされて、ほぼ同時に2人は斬殺された。

「はぁ!?」

「何だと!?」

 残った2人は飛び退()いて、由子(ヨウ・ヅゥ)の間合いから離れた。

「馬鹿な、今のは無影(ウーイン)歩法だ。何故、貴様が使える?」

 自分達の力量と差程変わらない2人が、一瞬で斬殺されたのだ。残った2人では、とても歯が立たないだろうと察した。しかし任務だ。「勝てませんでした」と逃げ帰った所で、責任を問われて殺される事になる。

 2人は目を合わせると、1人は報告の為にその場から走り出した。

「生きて返さんと、言ったはずだな?」

 逃げた相手を追おうとした所を、1人が(さえぎ)った。振り下ろした剣は、確実に由子(ヨウ・ヅゥ)(とら)えたはずだったが、斬ったと思ったのは残像だった。

 見覚えのある身体を見上げると、由子(ヨウ・ヅゥ)と目が合った。そのまま由子(ヨウ・ヅゥ)は逃げた仲間を追いかけて去ったので、「待て!」と叫ぼうとしたが声が出なかった。

 見覚えのある身体には首が無く、それが倒れて行く様を見ると、自分は既に首を落とされて地面に転がっている事に気が付いた。意識が遠くなり、やがて永遠の闇が訪れた。


 有名な話しがある。フランスの化学者であるアントワーヌ=ローラン・ド・ラボォアジエは、「質量保存の法則」を発見し、「酸素」を命名し、「フロギストン説」の打破などの功績を残して「近代化学の父」と呼ばれている。

 その彼は、フランス革命の動乱の中で投獄され、ギロチンにかけられた。革命政府は、徴税請負人らがフランスを(おとし)めているとして、片っ端から投獄していた。ラボォアジエは、金融や税制改革に乗り出しており、徴税負担を軽くする為の運動をしていたが、徴税請負人の娘と結婚していた為に指名手配され出頭した。

 革命指導者の1人にジャン=ポール・マラーがおり、彼はかつて学会に論文を提出したが、それを審査したラボォアジエによって脚下された事を根に持ち、冤罪のラボォアジエに復讐したのだ。

 ラボォアジエはギロチンにかけられる時に、友人である数学者で物理学者、天文学者でもあったジョゼフ=ルイ・ラグランジュに、「ギロチンにかけられた後、意識のある間は瞬きをするから、その回数を記録してくれ」と言い残した。

 そして断頭台の露と消えた彼は、転がった頭がラグランジュと目が合うと、遺言通りに数十回ほど(まばた)きをして見せたのだ。

 彼の処刑は35分間で26人を処刑する流れ作業であった事と、処刑は公開されなかった為に一般人は入れず、化学者だけが立ち入りを許可された事から、この話は作り話とされたが、ラグランジュであれば立ち入る事が可能だった為に、あながち作り話とは限らない。

「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つ者が現れるには100年かかるだろう」

 ラグランジュはそう言って、ラボォアジエの死を(いた)んだと言われている。この様に首が胴と斬り離されても、暫くの間は意識が続くのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ…。信じられん。振り切れない…」

 観念した“無影(ウーイン)”は、空に向かって花火を打ち上げて任務失敗の合図を送った。その次の瞬間、追い付いた由子(ヨウ・ヅゥ)の剣が月光で反射して怪しく光り、剣を一閃すると首を落としていた。

「チッ。斉に手を出したのは失敗だったか?変な奴らに巻き込まれたな。それにしても、なぜ俺の技と似ているのだ?」

 由子(ヨウ・ヅゥ)は己を鍛えた坊主の無音(ウー・イン)が、“無影(ウーイン)”の創設者である事を知らなかったのだ。それを知らされる前に、自分の前から姿を消したからだ。

 こうして後に中華を統一する由子(ヨウ・ヅゥ)は、本人の意思とは関係無く歴史の表舞台に登場したのである。


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