家出のはじまり1
キャメロン王国へ向かう飛行船「セレスティア号」は、空を優雅に進む巨大な空中の城という表現がぴったりくる。
艶やかな銀色の外壁は太陽の光を受けてきらめき、船体に取り付けられた細やかな装飾が、セレスティア号の気品を際立たせるのに一役買っていた。船の両側には大きな羽根のような帆が広がり、風を受けて緩やかにたなびいている。その下に取り付けられた魔導石のエンジンは、微かな青い光を放ちながら、飛行船を静かに前へと押し出していた。
「見て、アシェル!」
飛行船の展望デッキの手すりに身を乗り出し、銀色に輝く船体の翼を指さす。
「あの帆、本当に鳥の翼みたいに動いてるわ 」
「空気の流れを効率よく調整してるだけなのに、必要以上に装飾的だな」
肩をすくめながら私が指差す方へ目を向けた彼は、一等客船の乗客として相応しい格好――オフホワイトのジャケットに揃いのベスにトラウザーズといった紳士スタイルに身を包んでいる。
父親から殴られた頬の痣が青紫色に変化したアシェルは、いつも以上に凶悪なアンデットに見える。
「そんなに目立つか?」
私の視線に気付いたアシェルが手で頬を隠す。
「ワイルドな紳士って感じで、いつもより三割増くらい素敵に見えるわ」
からかうように告げると、彼はわかりやすく眉を潜める。
「僕の質問は、目立つかどうかだなのだが」
「どっちだっていいじゃない。そもそも飛行船に乗船している人は、たいして他人を気にかけたりしないわ」
「なんでそう言いきれるんだよ」
「だってこの先に待つ新しい冒険に胸をときめかせるのに、忙しいからよ」
にこりと微笑み、白いレースの手袋越しに、手すりの装飾をなぞる。
「見て、ここ。彫刻が細かいわ。ドラゴンの鱗までちゃんと彫ってあるの」
「そっちは任せる」
気のない声で答えた彼は、船体下部に輝く青い光を放つ魔導石に目を移す。
「あの魔石、どうして熱を持たないんだ? 直接見る機会があれば面白そうなのだが」
眉間にシワを寄せ続ける彼に、苦笑する。
「きっと整備士の人たちが、魔石に水をかけてるのよ」
「さすがにそれはないだろ」
「アシェル、そろそろ、魔導工学の授業中みたいな思考から離れなさいよ」
私はゆっくり流れゆく遠くの景色に目を向ける。
広がる青空の中で、雲が流れるたびに船体の影が柔らかく映り込む。時折、遠くの鳥が旋回しながら船に近づいては再び離れていく。
雲の切れ間からのぞくのは、まるで地図のように広がるルミナリウム王国の大地。
光を受けて輝く麦畑は、まるで黄金の絨毯のようだ。 その中を縫うように走る街道には、アリのように小さな点となって行き交う魔導車が見えた。 街道沿いに佇む宿場町からは、白い煙が立ち込めている。
東の方角には王都が遠望できた。 白亜の城壁に囲まれた街並みは、まるで宝石箱の中身のように整然と並び、さらに奥にはケンフォード魔法学校の尖塔が空へと伸びている。
「授業なんかより、ここから見る景色のほうがずっと大事よ」
一張羅である縦縞の入った、薄い黄色のサマードレスの裾が風になびく。
親に無断で旅に出た。ここまでは計画通り順調。旅行の軍資金だってある。とりあえずキャメロン王国に到着したら、テミスを探すという目的もある。
(その先はまだ未定だけど、きっとどうにかなるはずだわ)
雲の合間から見える、平らな大地を見つめ自分に言い聞かせる。
「ほら見て、あの川は上から見ると、まるで銀色のリボンみたいに見えるわ」
「僕には古代語に見えるが」
「いいえ、あれは絶対リボンよ」
「いや、あれは古代語で永続を示す記号だ」
「まったく、あなたって頑固ね」
「君よりはマシだと思うが」
家出という事実への不安を紛らわせるかのように、いつもより会話が弾む私たち。
飛行船は雲の海を優雅に進んでいく。デッキに出ている乗客たちの多くは、スペルタッチを取り出して、空の写真を撮ったりしていた。
「ママ、ほら見てあの雲すごい!」
「走っちゃだめよ」
女の人の声がして振り向くと、大きく飛行船が揺れた。
「わっ」
バランスを崩した小さな男の子が私に見事体当たりしてきた。
「うわ」
アシェルに向かってよろけてしまう。
「おっと」
咄嗟にお腹に腕を回され、彼に引き寄せられる。
「走ると危ないぞ」
アシェルはすかさず、元気が有り余る様子の男の子に注意した。するとピーコート風のコットンジャケットにパンツスタイルという、小綺麗な格好をした小さな紳士は「ごめんなさい」とシュンと小さくなる。
「お怪我はありませんか?」
心配そうな表情で私に謝ってきたのは、薄いブルーのサマードレスに身を包む母親らしき女性だ。口元にホクロのある彼女は、艷やかなブロンドの髪をきちんと結い上げ、白い鳥の羽をつけたカクテル帽を被っている。
(格好から察するに、貴族の奥様かしら)
見た目から同族の匂いを嗅ぎつけた私は、即座に笑顔を貼り付ける。
「大丈夫ですので、お気になさらずに」
「申し訳ありません。あら、あなたどこかで」
貴夫人は私の顔をジッと見つめてから、後に立つアシェルに視線を移動する。
(彼女の頭の中では、今まさに物凄い勢いで貴族年鑑がめくられているに違いないわ)
私の読みは的中し、彼女はハッとした。
「もしかしてあなたは、ルグウ――」
「ママ、あっちの望遠鏡を見に行こうよ!」
グッドタイミングで男の子が駆け出す。
(頑張れ。でも転ばないように気をつけて!)
心で男の子にエールを送っておく。
「こら、走っちゃ駄目って言ったでしょ!」
貴夫人は私に会釈すると、子どもを追いかけて行った。




