アシェルの秘密3
「アシェル、夕食は食べて行くのだろう?」
「そうよ。キャンプの話も聞きたいわ」
話の内容からするに、彼の両親のようだ。私はもっとよく聞こえるようにと、話し声のする窓の近くに移動する。
「渡航の許可が必要だからサインをして欲しかっただけです。夕食もいりません。サインを頂けたら、すぐに寮に戻りますので」
いつもより、少し緊張したアシェルの声。
「渡航?今度はどこに行くつもりなんだ。旅費はどうする?そもそも誰と行くんだ?」
矢継ぎ早に問われる、父親らしき人物の低い声にどきりとする。
(やだ、私も絶対お父様に同じように問い詰められるじゃない)
明日にも迫りくる自分のピンチと、今の彼の状況を重ね合わせて青ざめる。
「キャンプで知り合った友人の元へ数日ほど。旅費はなんとかしますし、父さんに迷惑はかけません」
「一人で行くつもりなの?」
「もちろん、一人です」
アシェルは清々しいほど、きっぱりと嘘をついた。
(参考になります)
私もその手を使おうと一人、ニンマリする。
「キャンプで知り合った人って、一体どこの誰なの?」
「キャメロン王国で、キャメロン騎士訓練校に通う人物です。詳しい連絡先は追ってお伝えしますので、サインを下さい」
母親からの質問に、淡々と答えるアシェルの声。
「お前が急に社交的になったのは、何か理由があるのか?」
「様々な国から多くの人が集まるキャンプで、刺激を受けたからです」
「まさか、そのまま帰って来ないつもりじゃないわよね?」
突如、彼の母親は話を飛躍させた。
「そうなのか?」
「まさか。きちんと学校は卒業します」
彼の返答を受け、しばし沈黙が続く。
(これは息子の本音を探る時間ね)
今まさにアシェルは両親からの疑いの眼差しに耐えているのだろう。
「エリザと殿下の件もある。今何かあれば、我が家はすぐに足元をすくわれる状況だ。すまないが、今はお前の渡航を許すわけにはいかない。大人しくしてなさい」
「え、困る。あ」
ついうっかり声が出てしまい、私は慌てて口元を押さえる。
「あら何かしら?」
「か、母さん。猫です」
「猫?」
「そうです。先程、屋敷に入り込んだ野良猫を見かけたので」
「まぁ、花壇を荒らされたらどうしましょう」
衣擦れの音が響き、私は慌てて庭木の影から出していた顔を引っ込める。
「いないわ」
すぐそばで窓から顔を出した人の気配を感じ、いくつかの花をブレンドしたらしき甘い香りが、風に乗って私の元に辿り着く。
とその時。ブーンと音を立て、私の目の前を虹色のルミナビートルが横切る。
「きゃあ!」
突然のことに、私は尻餅をついて声を上げてしまう。
「まぁ、あなたはどなた?」
背後にかかる、驚く女性の声。
(終わった……)
絶体絶命な状況を前に、深呼吸を数回する。
それから、急いで立ち上がり、思い切って振り向く。そこにいたのは、上品で涼し気なシルバーの色に染まるサマードレスに身を包む中年女性だ。
「あら、あなたは確か……」
黒髪と琥珀色の瞳を持つ、柔和な雰囲気のする美しい女性――バイオレット様は、目をパチパチさせた。
(相当驚いているだろうに、必要最低限の瞬きで留めるなんて、さすが侯爵夫人だわ)
密かに感動しつつ、私は行動に移す。
(すなわちそれは、他人の家に無断で侵入した件について、穏便に済ませるための最適解!)
唾を飲み込み、困惑した様子の夫人に、しっかり目を向ける。
「お久しぶりです。バイオレット様。ルグウィン侯爵家のシャルロッテです。前触れなく訪問してしまったご無礼をどうかお許し下さい」
神妙な表情を作り、スカートの裾を持とうとして、パンツなことに気付く。
(くっ、なんたる失態!!)
仕方なく足を曲げ、形ばかりの淑女の礼をとる。
「そう、あなたはシャルロッテだわ」
クスリと微笑むバイオレット様。笑うとますますエリザ様に似ている。
「しばらく見ないうちに大きくなって。相変わらず、人を驚かせるお転婆さんだけど、髪の毛を切ったのね。とても良く似合ってるわ」
「ありがとうございます」
前半部分は聞かなかった事にして、後半部分に対して心から笑顔をつくる。
「クラウディアのことは残念だったわね。お悔やみを」
バイオレット様が胸の前で両手を組んで目を閉じる。
「ありがとうございます」
私の声に反応して、彼女は目を開ける。
「ロジーナはまだお茶会にも顔を出せる状態じゃないと言うし、せめてあなただけでも元気そうで良かったわ」
バイオレット様は気遣うように、微笑む。姉の事があるまで、母は奥様連中を集めて慈善活動のお茶会を開催したりして、社交界の中心的人物だったことを思い出す。
(流石に今は無理だろうけど)
いつか、また表に出て欲しい。
「お気遣い、感謝します。母にもバイオレット様が気にかけて下さっていることを伝えておきます」
「もうすぐ半年になるでしょう?だから今度婦人会のみんなでロジーナを励ますお茶会を開こうと思っているのよ。会ってくれれば、だけれど」
(家族にとっては、『もう』じゃなくて、『まだ』なんです)
心でひっそりと訂正し、ニコリと笑顔を張り付ける。
「こんな時ですから、母は皆様にお会いできるかわかりません。でも、気遣ってくれる方の存在を迷惑だなんて思わないはずです」
「そう。私たちも出来る限り、彼女を支えてあげたいと思っているの」
「よろしくお願いします」
「ええ、もちろん」
窓越しに、今すぐにお茶会が始まりそうなくらい、和やかな雰囲気で会話を交わす私たち。
(何とかピンチは切り抜けた?)
半ば自分の成功を信じかけた時。
「ルグウィン侯爵家の娘だと?」
窓から新たに顔を出し、困惑した表情で私を見下ろすのは、白髪交じりのブラウンの髪に、メイドの事前情報通り、琥珀色の瞳をした男性だ。
(屋敷にいてもちゃんとした格好をしてるなんて、お父様みたい)
ジャケットこそ羽織っていないものの、パリッと糊の効いた白いシャツにタイ。それからベストという紳士のお手本通りな服装なのは、侯爵あるあるなのかも知れない。
(なるほど。アシェルの見た目はバイオレット様だけど、雰囲気はお父様似なのね)
全身から伝わる、どこか神経質な雰囲気はアシェルから感じるものと同じだ。
「あなた。こちらはルグウィン侯爵家のシャルロッテよ。小さな頃は、クラウディアと何度か我が家を訪れた事があったでしょう?」
「ふむ」
冴えない返事をする、コンラッド侯爵。
「あなたは登城してお仕事をされてたから、会ったことはないかも知れないわね」
非難めいた視線を侯爵に向けたあと、彼女は室内に顔を向けた。
「でも、アシェルは、シャルロッテのことを覚えてるでしょう?」
朗らかな声で明かされた新情報に驚く。
「全く、覚えてない」
室内から不機嫌な声が飛んでくる。不覚にも私も同じ。全く覚えていない。
「あら残念。シャルロッテがアシェルを屋敷から連れ出して、治安官のお世話になった大事件があったのに」
楽しそうに話すバイオレット様。
「まさか、あの忌々しい山猿が……」
アシェルの呟きが届く。
(聞こえてるから。全く失礼ね)
正直、治安官のお世話になったという件を覚えていない。
(だって、自覚ある失態の始まりは七歳の時からだから)
ただ、家族内における私の扱いや言動を振り返ると、七歳以前から治安官のお世話になっていたとしても不思議はない気がする。
「山猿だなんて。今も昔もシャルロッテは可愛い娘じゃない」
(バイオレット様。私は今あなたが大好きになりました)
ご機嫌で微笑んでおく。
「とにかく、リーンハルトの娘とアシェルが懇意なのは理解した。それで、なぜ君はそのような格好で、我が家の庭に?」
今度は父の名前を出されて、困り果てる。
(もし、ここで百メートルの呪いがかかっていることが発覚したら、アシェルが叱られるし、テミス様に会いにキャメロン王国に行くどころの騒ぎじゃなくなるわ)
何より傷心中である私の両親を巻き込む騒ぎは、避けたい。絶対に。




