母と私2
「あら、誰かいるの?」
扉越しに聞こえたのは、母の声だった。
何となく弾むような声は、まるで姉の存在を期待しているかのよう。私の胸はキュッと締め付けられる。
「お母様、シャルロッテです。少し調べ物をしてたの。どうぞ、お入りになって」
母がゆっくりと扉を開ける。
「ディアかと思ったら、ロッテだったのね。何をしてるの?」
まるで姉が生きているかのような口ぶりで、こちらを労わるように見つめてきた。それから、ゆっくりと部屋の中を見回す。
姉の姿を探す母の姿を目の当たりにし、居た堪れない気持ちになる。
「明日から、ケンフォードに戻るのでしょう?」
「えぇ。その前にお姉様の思い出に浸ろうと思って」
体を起こし、母を真っ直ぐ見つめながら嘘をつく。
「わかるわ。その気持ち。事実を受け入れるべきだということは頭では理解できるのよね」
私と並ぶように、母がベッドに腰を下ろす。
「でもね、いつまで経っても、心の整理がつかないのよ」
母は、気丈にも私に笑顔を向けてきた。けれど、泣き腫らした目に、痩せこけた顔で一気に老け込んだように見える母が力なく微笑む姿は痛々しくて、目を背けたくなる。
「もしかしたら私が何気なく放った言葉や態度が原因で、ディアを死に追い込んだかも知れないって考えちゃうの。私はディアを愛していたけれど、でも加害者かもしれないわ」
「それは……」
(違うよ、お母様)
否定の言葉をかけてあげたい衝動に駆られる。けれど、姉が亡くなった原因がわからない以上、絶対違うとはいい切れないことに気づく。
(つまり、私にも当てはまること)
私がわざと姉を避けていたから、彼女は悩み、苦しんだ。その挙句、自ら死を選んだ可能性はゼロではない。
(でもそれじゃ、なんだかスッキリしないわ)
一方的に姉を妬み、恨み、脳内で軽く百回以上は彼女を殺害してきたけれど、無視したのが直接の原因だなんて、あまりにあっけなすぎて、罪の意識も芽生えそうにもない。
(それに、お兄様が疑っているってことは、お母様だって、私が姉を追い詰めたと思っているのかも知れないし)
最近母がやたら「自分のせいよ」とアピールするのは、姉を追い込んだ罪の意識を私に自覚させるためだとしたら最悪だ。ますますこの家に生まれたことを恨みそうだ。
「私はクラウディアをとても愛していたの」
姉に対する愛を語りだした母は続ける。
「もちろん、お父様のことも、ロティシュもシャルロッテも同じくらい愛しているわ」
「お母様」
「だから……そうね。これは私の独り言だと思って聞いてちょうだい」
母は私を真っ直ぐに見つめて離さない。それどころか、まるで私の姿を目に焼き付けるかのように、おでこ、目、鼻、口といった顔のパーツにゆっくりと視線を動かす。
(お母様……なんなの?)
居心地の悪い思いと共に、しばし沈黙が続き、母は意を決したように口を開く。
「あなた達は、肝心なことは何一つ、親に話してくれないわ」
「それは」
「私もお父様も、どんなことがあったって、あなた達のことを嫌いになんてならないのに、あなた達は親を避けようとする」
母はため息をつき、肩を落とす。
「だから、『気付け』と言われたって無理よ」
まるで責められているような言葉に、私は項垂れる。
「でもクラウディアだけは、打ち明けてくれると思っていたの。だから安心していたのよ」
母は「だってディアだもの」と、小さく付け足す。
その言葉で、私は完璧な姉を思い出し、納得して母と通じ合う。
「結果的にあの子が抱えていた悩みを、何一つとして聞き出せなかった。だから悪いのは私なの。声をかけなかった自分に後悔しかないわ」
懺悔のように、母の唇からこぼれ落ちた言葉。その言葉と共に母が消えてしまう気がして、私は慌てて言葉をかけた。
「それは私も同じよ。私もお姉様のことを気遣う気持ちが足りなかったもの」
母を気遣う気持ちから出た言葉は、思いの外弱々しいものになってしまった。
「娘を見殺しにした私は母親失格。けれど、お願いだから一人で抱え込まないで、もう少し親を頼ってちょうだいね」
「お母様……」
「どんなことがあっても、あなたを軽蔑したり、嫌ったりなんてしないから。だって私はあなたの母親だもの」
母が祈るような仕草で私の手を包み込んでくれる。
「お母様は悪くないし、お姉様だって悪くないわ」
慌てて母を励ます。けれどこの場を取り繕うため、咄嗟に発した上っ面な励ましは、母のぎこちない微笑みによってかき消されてしまう。
「いいえ、クラウディアの死の原因は、私のせいよ」
言い切る母の瞳の色は、さすがオリジナル。兄と私に授けたものよりも、より美しく染まる新緑色の瞳だった。けれどそんな美しい瞳の奥に宿るのは、深い悲しみと後悔の色だ。まるで罪の意識に飲み込まれる寸前といった、深くて暗い闇が見え隠れし、母の手を振り払い逃げ出したくなる。
(やっぱり、お姉様がなぜ自ら命を絶ったのか、その謎を解き明かさないと)
自分のせいだと責め続けるみんなの心を蝕む呪いを解かない限り、この家から笑顔は永遠に失われてしまう。
確信した私は、新たな決意を胸に母と向き合った。
「お母様、安心して。少なくとも私はタフだから死なないわ」
母は少しだけ驚いた表情を浮かべたけれど、すぐに穏やかな顔つきに戻ってくれる。
「そうね、あなたは強い子よ」
母は私の頭を優しく撫でた。
「だからお母様も一人で抱え込まないで。私じゃ頼りないかもしれないけれど……」
「いいえ、そんなことはないわ。ありがとうロッテ」
母が私を抱きしめる。
まるで子どもみたいで恥ずかしい気持ちはあるけれど、懐かしい気持ちもあって。
何より母が、私を子ども扱いしたいように感じたから、されるがままを許すことにした。
「昔は、順番にこうして抱きしめたものだわ」
小さな声で呟く母。
「一番最初がいいとか、数秒長いとか。私を取り合って、良く喧嘩していたわよね」
「うん」
「でも大抵言い合うのは、ロティシュとロッテで。そういう時、ディアは」
母が涙を啜る音がして。
「いつだって、一歩引いて、遠慮がちに笑ってた気がするわ」
震える声で呟いた。
そんな中私は、懐かしい記憶と共に、とある気持ちが呼び起こされていた。
それは、母を独り占めできていることを嬉しく思う、自分勝手なものだった。