最後のお願い1
目を開けると、見慣れた木目の天井が目に映る。
「待ちくたびれたわ」と、突如視界に黒い塊が飛び込んできた。それは、青白い羽を持つ不思議なカラス――姉だった。
「お姉様」
飛び起きた私は、姉をぎゅっと抱きしめた。
「無視してごめんなさい。ずっと、死ねとか思ってて、ごめんなさい」
「く、苦しいわ」と、姉が弱々しい声を出す。
「なんなら、空想の中で何度も殺してごめんなさい」
私は正直に告白する。
「それは流石に想定外だわ」
姉は私のあごを鋭くて太い嘴で、容赦なく突いた。
「いたっ!」
思わず手を離すと、姉は羽をばたつかせ、私と距離を取る。
少し離れた位置で落ち着くと、私を見つめてきた。
「さぁ、最後のお願いよ」
その言葉で、私は現実に引き戻された。続きを聞くのをためらう気持ちで隣にいるアシェルに顔を向ける。
私のベッドから身を起こした彼は眉間を指で押さえていた。
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
答える彼の声はいつも通りそっけない。
「僕はなんともない」
まるで自分に言い聞かせるように、彼は呟く。
「なんか、空気が悪いね」
まだ少しぼんやりする頭を振りながら立ち上がる。それから腰高窓を思い切り開ける。
太陽の熱を帯びて、もわっとした風が部屋に一気に部屋の中に流れ込んできた。窓の外には、セミの鳴き声が響き渡り、夏の夕暮れの穏やかな時間が流れている。
「お姉様は、どうして死んじゃったの?」
自然と口から飛び出した疑問。
(正義感溢れる気持ちをネットにぶつけて、裏切られて。好きな人とは結ばれなくて、婚約者と親友が両思いで、家族の私ともいがみあっていて、親友の実家とは親同士仲が悪くて。とにかく現実では何もかも上手くいかなくて、逃げ場を求めたネッ友が音信不通になったから?)
知り得た情報を頭の中で並べてみるけれど、どれも決定打とは思えない。
(だって、世の中って思うように行かないことばかりだもの)
私が姉の妹として生まれてしまったこともそうだし、家族から姉殺しの嫌疑を密かにかけられていることも、心のどこかでルクスに振り分けられるかも知れないと期待して裏切られたことも、社交界で不名誉な噂ばかり流れてしまうことも、まさに今百メートルの呪いがかかったままなのも。
私の中では、全部納得のいかないことだ。
(でも、大抵の人は諦めて、心に蓋をして、与えられた場所でなんとか生きてるわ)
窓を閉め、くるりと振り返る。
「お姉様は、なんで死を選んだの?」
とまり木に移動した姉に問いかける。姉は、小首をかしげるようにして私を見つめた。
青白い羽が夕陽の光を受けて、どこか儚げに輝いている。彼女の太い嘴が、ゆっくりと動く。
「ねぇ、ロッテ。私が死んで、悲しんだ人はいるのかしら?」
「沢山いるわ、お父様もお母様もお兄様も、ネットのみんなだってそうだわ。『#あなたを忘れないとか』『#心は一つ』なんて、お姉様を追悼するハッシュタグで溢れたもの」
数ヶ月前の出来事を思い出し、私は力強く告げる。
「でもそれは、みんな自分の為にやってることだわ」
姉は一瞬だけ目を伏せたかと思うと、かすかに微笑んだ。
「みんな誰かに「自分は悲しむことのできる優しい人間」だってアピールするために、悲しむフリをしているだけなのよ」
「そんなこと……」
ない、と否定できなかった。
(ネットでは、姉の写真やお花の写真と共に、追悼する雰囲気で溢れてた事実はあるけど)
ひっそりと行われる羽目になった姉の葬儀に、周囲の反対を押し切ってまで参列してくれたのはフィデリス殿下だけ。そのあとお墓に花を添えてくれたのは、やっぱりフィデリス殿下で、自分が把握する限りあとは、エリザ様にイアン様しかいない。
(そう言えば、アシェルも姉のお墓に祈ってくれたっけ……でもあれはノーカウントになっちゃうかも)
なぜなら、そのあと私と一緒に姉の墓を掘り返したから。
アシェルに申し訳ない気持ちをいまさら抱く。
「ロッテ。私が死んで、世の中は変わった?」
姉がしゃがれたカラスの声で問いかけてきて、現実に戻される。
「それは……」
言葉が詰まる。確かに姉が亡くなった時、ネットや学校では一時的に騒ぎになった。しかし、一ヶ月後に私が学校に戻った時、姉の死そのものがなかったかのように、誰もがそれぞれの日常に戻っていた。
「私はね、自分が消えたら何かが変わると思いたかった。でも、何も変わらないとも理解していた。ただ、少しだけ騒がれて、忘れ去られる。ここは残念だけど、そういう世界」
姉のぎょろりとした目が私を見据える。
「みんな誰かの人生に少なからず登場人物として参加しているのに、決してメインキャストに名乗りをあげない。最後まで傍観者でいたいと思う人ばかりが集まる世界なの」
姉の言葉に、胸の奥が締め付けられる。
「それでも、私はお姉様を忘れないわ」
絞り出すように告げると、姉は微笑んだ。
「そうね。せめて私を苦しめた一人であるあなたには、忘れないで欲しいわ」
「……ごめんなさい」
姉から目を逸らし、この学校の歴史と共に歩んだ結果、細かい傷が残る木の床を見つめる。
「そんな顔しないで。あなたは私のやり残したことを手伝ってくれているし、カラスに憑依させてくれたし、思っていたよりずっと上手く動いてくれているから、今は感謝しているのよ?」
「それは……」
(私が姉にやましい気持ちがあるからで)
家族に姉を間接的に追い詰めて死に追いやったと思われていることを挽回したかったから。それから、どうにもならないことで一方的に姉を恨んでいたことに対し、後ろめたい気持ちがあったからだ。
(そっか)
私も自分の保身のために、姉の死の真相を探り、今こうして姉を手伝っているんだ。
すとんと腑に落ちる感覚に襲われる。




