記憶:世界が終わる瞬間5
読み終えた私の視界が大きく揺れ、別の場面へと転移する。
そこには整った空間……ルクス寮にある姉の私室が映し出されていた。
鏡台の前に座り、手紙を書いている姉の姿が見える。その手元には、美しい筆記具と共に、一枚の封筒が置かれていた。
『……これでよしと』
彼女は呟くと、静かに手紙に封をする。
(あの封筒は、もしかして私がイアン様に渡したもの?つまり、ここにいるお姉様はすでに死ぬことを決めたってこと?)
私の心臓はかつてないほど、鼓動を早める。
次の瞬間、彼女の後ろから馴染ある声が聞こえた。
『ディア、もうできたの?』
映像の中に現れたのは、アシェルと同じ黒髪を持つ美しい女性――エリザ様だった。
ハッと彼が息を飲む音が響く。
『ええ。できたわ。これをあなたに預けておくわね』
『了解。でも、ロッテが取りに来るまで無期限で預かっておいてなんて、変なお願いね』
ベッドに座るエリザ様は、訝しげな表情で姉から手紙を受け取る。
(え、今お姉様は「私に」って、言ってなかった?)
姉からの手紙など受け取っていないため、どきりとする。私の戸惑いを無視して、目の前の映像は先へと進む。
『妹なんだから、自分で渡せばいいのに』
『あの子は特別なセンサーを搭載しているみたいなの』
『特別なセンサー?』
『そう。私の姿が見えるとすぐに消えちゃう特注品よ』
おどけたように姉が肩をすくめながら、エリザ様の隣に腰をかける。
『昔はディアの傍を片時も離れなかったのに。でも、アシェルもそうよ。昔は可愛かったのに、今じゃ私を明らかに避けてるし……ってあの子は今や、全ての人を避けてるけど』
『アシェルにはちゃんと家族を避ける理由があるじゃない』
(家族を避ける理由?アシェルに?)
姉が放った言葉が気になり、アシェルに顔を向ける。すると彼は、奥歯を噛み締めたような表情で二人のやりとりを見つめていた。
『そうね。弟ながら同情する気持ちはあるわ』
エリザ様が肩をすくめる。
『でも、どんな理由があっても、私にとって、アシェルは大事な弟には変わりないけどね』
(アシェルは、今どんな顔をしているの?)
気になったけれど、何となく見てはいけない気がして、姉とエリザ様を見つめたまま、野次馬な気持ちをやり過ごす。
『私だって色々思うことはあるけれど、家族は大事だし、好きだわ。だけど……』
姉はまるでここにいない、私たち家族を思い出すように目を細める。
『家族という関係は、無条件でわかりあえる魔法の関係じゃないってことよ』
彼女は淡々とした口調で言い放ち、柔らかな笑みを浮かべながら視線を窓の外へと向けた。
つられたように窓を見る。外には、ルクス寮特有の手入れの行き届いた美しい庭園が広がっている。
『ルミナフロラの花言葉は、出会いと別れ』
クラウディアの静かな声が、窓辺からの穏やかな風と共に響いた。
『まさに、学校に植えるにはぴったりの花よね』
エリザ様も窓の外に笑顔を向ける。
『そうね。ルミナフロラは美しい花だけれど、根元が脆い。少しの衝撃で散ってしまう――まるで、人の心みたいに』
『ディア、流石に人の心はルミナフロラみたいに脆くはないわよ』
穏やかな声でエリザ様は告げる。
『そうね、あなたは強いわ』
姉の言葉に、エリザ様が一瞬だけ、思い悩むような表情になって俯いた。
『 日々過ごす中で、美しくあろうと誰しも心をすり減らして生きてるわ。そして、いつか誰しも必ず散ってしまうのよ。でもそれが、私たちに与えられた人生』
姉は静かに立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。その後ろ姿は、いつもの自信溢れる堂々とした姿とは程遠く、どこか孤独を感じさせるものだった。
『あなたが、そんな諦めたような顔をするなんて意外だわ。何かあったの?』
姉はわずかに肩を揺らし、微笑んだ。それは苦笑のようでもあり、どこか切なさを含んでいるものに見えた。
『全てが思い通りに行く人生なんて、もうとっくに諦めていたの。それでも、私なりに頑張ってたのよ』
『私はあなた以上の頑張り屋さんを見たことがないわ。フィーだって、エリザには負けると思うし』
エリザ様はフィデリス殿下を思い出したのか、優しく微笑む。
『全ての人を救えないことは理解してるの。だからこそ、助けてとSOSを出してる人くらいは、絶対に救わないとって思ってたんだけど』
姉は肩を落とす。
『でも、私には救えない。この世界を素晴らしいと思えない私には無理なのよ。それに、本当の私は自分勝手な人間だから』
『そんなの当たり前じゃない。みんな自分のことで手一杯なんだもの。助けなくても恥じることじゃないわ。助けようとした気持ちがすでに立派なんだから』
エリザ様の言葉に姉は、まるで自分を責めているかのような、ひどく傷ついた表情になる。
『そうね。心のどこかで、今だって一人でも多くの人を笑顔にできたらと思ってる気持ちがないわけじゃないわ。だからこそ、厄介なのだけれど』
『ディアは何事も完璧主義すぎるのよ』
『でも、みんなは私に完璧を要求するわ』
姉が放った言葉に、エリザ様は少しだけ眉をひそめる。
『ディア……あなた、何かあった?』
心配そうな表情をしたエリザ様の問いかけに対し、姉は驚くほどスムーズに笑顔を取り戻す。そして、エリザ様の質問を意図的にかわすためなのか、声を弾ませる。
『隠し事なんてないわ。ただ、少し疲れているだけ。完璧な私でいるのに、ちょっと疲れちゃったのかも知れないわ』
『私はどんなディアだって、自慢の親友だと思うわ』
エリザ様の琥珀色の瞳が不安げに揺らぐ。
『悩み事があるなら、いつだって聞くし』
姉に真面目な表情を向けたエリザ様は続ける。
『あなたからしたら、私は頼りない筆頭かも知れない。でも、ディアはいつもそうやって一人で何でも背負い込む悪い癖があるのを知ってる。だから、もっと頼って欲しい。いつだってそう思ってるんだからね?』
エリザ様の必死な訴えに、姉は少しだけ目を見開く。だが次の瞬間には、また穏やかな笑みを浮かべた。
『ありがとう、エリザ。でも、私は大丈夫』
『ほら、またそうやってはぐらかす。全然大丈夫そうじゃないから、言ってるのに』
エリザ様は不服そうに頬を膨らます。
『私はちゃんとあなたの優しい所を理解してるわ。私はエリザが大好きなのよ?』
『あら奇遇ね。私もディアが大好きよ』
手を取り合った二人は微笑み合う。
(本当に仲良しだったのね)
二人の間に漂う、相手を気遣う雰囲気は、上辺だけのものではないとわかる。
(だからこそ、お姉様は苦しかったのね)
エリザ様を大事に思うからこそ、自分がフィデリス殿下と彼女が結ばれる障害になっている状況は辛かったに違いない。
(政略結婚なんて、なくなればいいのに)
どこにぶつけたらいいか分からない怒りを抱え、ギュッと眉間に皺を寄せた。
『もうこんな時間なのね』
姉が立ち上がり、壁時計に顔を向けてエリザ様に話の終わりをさりげなく促す。
『手紙の件はよろしくね』
エリザ様はしばらく黙ったまま、手にした手紙を見つめていたが、やがて静かにうなずいた。
『わかったわ。ちゃんと渡す。もちろん中身も詮索しないって約束するわ』
姉は満足そうに微笑み、エリザ様の手を取る。
『ありがとう。本当に、あなたにはいつも助けてもらってばかりだったわ』
『ばかりだったって、これからもディアの頼みなら無償で引き受けるつもりよ』
『うん、ありがとう』
姉はエリザ様に笑顔を向けた。
その笑顔は、穏やかで、優しくて、非の打ち所がない完璧な笑顔だった。
(まるで自分を、エリザ様の記憶に刻み込もうとしているみたい)
この記憶の続き。姉に起きることを知る私は、ついそう感じてしまう。
(エリザ様、行かないで)
立ち去ろうとする彼女の背中に念じる。けれど無情にも扉がパタンと閉まる。
『ごめんね、エリザ。でもきっと、これで全てがうまくいくはずだわ。少なくともあなただけは、幸せになる権利を持つ人だから』
どこか儚げで、良くない未来を暗示する言葉が部屋の中に響く。
姉が戸棚に手をかける。
「あっ!」
取り出したのは、見覚えのある茶色小瓶。
姉の遺体の側に転がっていたと報告を受けた睡眠薬が入った小瓶だった。
「お姉様、だめよ!」
私は必死に姉の握る小瓶を奪おうと手を伸ばす。けれど、私の半透明に透けた手は姉の手をすり抜ける。
「お姉様、それを飲んだら駄目!」
必死に手を伸ばし、叫ぶのと同時に視界が大きく揺れた。




