生きている限り、人生はまだ続く1
テントの中は、すっかり散らかった荷物で溢れていた。最終日の前夜ともなると、誰もが心ここにあらずといった感じで、手だけが機械的に動いている状態だ。
「まだお土産も買ってないわけで、つまり、行きと帰りの荷物に違いはないはずなのに、どうして入らないのかしら?」
私はトランクに収まりきらない服を眺めて、素朴な疑問を口にする。
「ねぇ、この靴下が片方ずつしかないんだけど、ロッテのトランクに入ってない?」
隣では、ソフィーが柄違いの靴下を手に取って首を傾げている。
「普段からきちんとトランクの中を整理しておかないから、今更焦ることになるのよ」
私たち三人の中で一番几帳面で慎重派なシンシアは、すでにトランクに荷物を綺麗に収めていた。
「家に戻ったら、また普通の生活かぁ」
ソフィーがぼやくように呟き、手にしていた靴下を乱雑にトランクに突っ込み、ベッドに寝転ぶ。
「ソフィーは、夏休み明けに花嫁学校に戻るの?」
荷物整理を終了させて、余裕たっぷりなシンシアがたずねる。
「まぁね。今までは憂鬱でしかなかったんだけど」
突如ベッドの上で起き上がったソフィーが、私達に身を寄せる。
「ここだけの話なんだけど、キャンプが終わったらラスティンが、私の両親に挨拶をしに来てくれるかも知れないから、少しやる気が出てるの」
「もうそんな話になってるの?良かったじゃない」
シンシアがまるで花が咲いたように顔を輝かせる。
「おめでとう、ソフィー」
トランクの蓋を押さえつつ、私も祝福する。
「正直、腐れ縁みたいなところもあるけど、婚約者がいないのって肩身が狭いのよ。何とか相手の目処がついてラッキーだったわ」
ソフィーは、妥協したと口にするわりに、嬉しそうに頬が緩んでいる。
「そう言えば、ソフィーは時間がないって言ってたけど、あれってどういう意味?」
ずっと気になっていたことをたずねる。
「十六歳になった途端、お母様がそろそろお相手をって、本腰を入れ始めたから困ってたの」
ため息混じりにソフィーは続ける。
「お見合いを何度もさせられたんだけど、どの人もなんかこう、イマイチパッと来なくて」
「パッと来ないって?」
顔をしかめるソフィーに質問を重ねる。
「どの人とも、この先一緒に歳を取るイメージが湧かなかったって感じ」
ソフィーは肩をすくめる。
「それどころか、たかだか顔合わせをした数時間で、髪を掻き上げる姿を癪に感じたり、ホクロの位置がどうしても許せない気持ちになったり、そういう些細なことが、どうしても見過ごせなかったの」
一呼吸おいて、彼女はか細い声で話を続ける。
「ルミナリウム王国と違って、キャメロン王国の貴族女性は、仕事に就くことを良しとしない風潮があるから、結婚したら家庭を守ることが仕事になるの。だからみんな、結婚に人生を掛けてるし、理想を抱くものなのよ」
「なるほど。それは大変そう」
「ロッテ、他人事みたいに言ってるけど、あなただって侯爵家の娘なんだから、愛があれば全てが解決するなんてことが許される立場じゃないでしょ?」
シンシアに痛いところを指摘され、私はトランクの隙間から発見した靴下を手に取る。
「あ、これ私の靴下じゃないわ」
見慣れない靴下をピロンと二人にかざす。
「私のだわ。トランクに乗せておいてくれる?」
ソフィーが名乗りをあげた。
「了解」
手編みらしい、ピンクの靴下を彼女の開きっぱなしのトランクに入れておく。
「つまりソフィーは、お見合い相手と幸せな家庭を築けるイメージが湧かなかったってこと?」
シンシアの言葉にソフィーは頷く。
「でもさ、好きでもない相手との未来なんて、普通は抱けなくて当然じゃない?」
率直な意見を述べておく。
「それか、お見合い相手との相性が、たまたま悪かっただけとか?」
シンシアは首を傾げる。
「確かにそうなんだけど、でも私は、結婚という人生最大の選択を前に、この人となら幸せな家庭が築けるって明確なイメージを抱けなければ無理だと思ったの」
ソフィーは、きっぱりと言い切る。
「生理的に無理なホクロを、視界に入れ続ける生活なんて地獄だもんね。朝起きて一番最初に目に入るのが生理的に受け付けないホクロなんて、一日の始まりとして地獄だろうし」
シャツを畳みながら、ソフィーに同意する。
「結局のところ、ホクロなんて言いがかりなのよ。相手を好きじゃないから、嫌な点をわざと自分で探しているだけなんだけどね」
ソフィーは決まり悪そうに、肩をすくめて続ける。
「現に、好きな人のホクロは、どこにあっても魅力的だと思うから」
特定の彼を思い出したのか、ソフィーはとろけるような笑みを浮かべる。
幸せそうな彼女を横目に、ラスティン様の顔にほくろがあるかどうか思い出してみたけれど、よくわからなかった。
「つまり、ソフィーの運命の相手は、もう決まってるってことね」
シンシアが意味深な視線をソフィーに送ると、彼女は「まぁね」とそっけなく答えつつ、さらに頬を紅潮させた。
「ソフィーは好きな人と結婚できるなんて、羨ましいな」
シンシアが小声で漏らす。
「シンシアはイアン様と同じ寮なんでしょ?これからますます仲良くなれるじゃない」
ソフィーが放った言葉に、シンシアの手がぴたりと止まる。彼女はうつむき加減で、静かに首を横に振る。
「……イアン様は寮を卒業なさるわ。王立魔法大学に進学なさるから」
「えっ、そうなの?」
ソフィーが目を丸くする。
「私たちの学校は五年制なのよ。だから落第しなければ十三歳で入学して十八歳で卒業ってこと」
しょんぼりと肩を落とすシンシアの代わりに、補足しておく。
(お姉様も、本当はこの夏卒業するはずだったし)
卒業後は、ソフィーと同じように、どこかのフィニッシングスクールに通う予定だったはずだ。
(でも、卒業を待たずに自殺しちゃった……)
夏休み前、明るい顔で卒業していった、姉の同級生たちの顔が浮かぶ。
「ロッテの言う通り、イアン様は、正式にはもうソリス寮生ではないの」
シンシアが寂しそうな声で呟く。
「でも寮の絆は卒業しても続くって言うし、ホームカミングデイもあるし、全く会えないってわけじゃないしさ」
励ますように告げるけれど、シンシアの顔は曇ったままだ。
「卒業はおめでたいことだし、イアン様は立派な方よ。だから私みたいな人間が寮で同じ時間を過ごせただけでも、ラッキーだったと思うことにしなきゃだよね」
彼女が無理に笑おうとするのを見て、私は胸が痛む。
(そっか、シンシアは殿下のお相手候補なんだっけ)
本人の気持ちを無視した、政略結婚なんてナンセンスだと思う気持ちはある。ただ、実家から恩恵を受けて生きている以上、家のために生きろと迫られたら、私たち子どもは了承するしかない。
(身ぐるみ剥がされても、一人で生きていけるならいいけど)
何不自由なく育った私たちは、そんな未来を想像すらできないから、きっと無理だ。
だからこそ、さきほどシンシアが放った「愛があれば全てが解決するなんてことが許される立場じゃない」という意見は正しいのだろう。




