帰り道2
アシェルと並び、前を歩くうまく行きそうなカップルたちにほくそ笑む。
(これでお姉様のミッションは、ほぼ完遂したと言っても過言ではないわ)
一仕事終えた気分で帰宅するため森を進んでいると、突然茂みの奥から不穏な音が聞こえた。
低い唸り声に、全員が動きを止める。
「今、なんか聞こえたような気がするわ」
ソフィーが震える声を出す。
「静かに」
イアン様が短く指示した瞬間。ガザガザと道の脇の茂みが大きく揺れた。
突如道を塞ぐように現れたのは、茶色い巨大な熊だった。鋭い目と大きな爪が、逃げる余地を与えない圧迫感を放っている。
「アシェル、熊だわ!!」
ピシリと目の前に立ちはだかる熊を指差す。
「見ればわかる」
いつも通りのそっけない返事。
「確かに」
おかげで、私は冷静さを取り戻す。
「イアン、女性たちを頼む!」
私たちを守るように大きく手を広げたラスティン様。
「君は魔法が使えるよな?」
いち早く動いた彼が、アシェルに期待の籠もる視線を送りつける。
「使えるけど、熊に効くかどうかは不明」
アシェルは何とも頼りない返答をした。
(でも確かに、私たちの専攻はマイナーすぎる死霊魔術だし)
しかも、私たちの十八番とも言えるアンデットを召喚し、使役して戦闘力とする魔法『サモンアンデット』には、触媒なる骨も必要だ。
「ごめん、骨の在庫なんて持ってないわ」
「僕もだ。あんな嵩張って重いもの、持ち歩いている方がおかしいしな」
「だよね」
アシェルの言葉に頷く。
「さぁ、イアン。早く女子を安全な場所に!」
「でも!」
ソフィーが恐怖と躊躇が入り混じった声を漏らす。
ラスティン様はこちらを振り返り、真剣な表情で告げる。
「ソフィー、俺は見習いでも騎士だ。君を守らせてくれ」
突然の宣言に、ソフィーの頬が真っ赤に染まる。
「わ、わかったわ!でも、死なないでよね!」
完全にときめいてしまっているソフィーは、素直にラスティン様の指示に従う。
「熊に殺される騎士なんて、流石に笑えないしな」
アシェルがまたもや、余計な一言を呟く。
「来るぞ!」
熊は鋭い爪を振り上げ、臨戦態勢で飛びかかってくる。しかしラスティン様は、腰の鞘から剣を素早く抜き、鋭く光る熊の爪を受け止めた。
「ふっ!」
ギリギリと剣の刃と熊の爪が擦れあい、寒気がする音が響く。
ラスティン様の力がわずかに勝ったのか、熊の態勢が崩れる。そのまま押し返そうとした瞬間、巨体に似合わない俊敏な動きで熊が後ろに飛び退く。
その隙にラスティン様は私たちを背中に隠し、再び剣を構えた。
「俺が熊の注意を引きつける。イアン、早く彼女たちを!!」
「わかった。急げ、こっちだ。俊足の呪文をかけておく」
イアン様は告げるや否や、指の先で見たこともない模様の魔法陣を宙に描く。そしてあっという間に魔法陣を完成させた。
「流れる風よ、我らが脚に瞬発の力を!!」
イアン様の詠唱とともに、魔法陣から薄緑の光が飛び出し私の体を包む。
次の瞬間、あり得ないほど身軽になった自分に驚く。
「これが俊足の魔法!すごい、実用的すぎるわ」
ひたすら感動していると。
「ロッテ、何ボーッとしてるの!早く逃げるわよ!」
ソフィーから叫ぶような声があがり、私はハッとする。
「そっか、私はか弱い女の子!!」
男女の差をあまり意識することないアーク寮生活が長かったせいか、すっかり忘れかけていた事実を思い出す。
「じゃ、アシェル様、がんばって」
彼に小さく手をあげ、私はソフィーとシンシアを従えたイアン様に付いていく。
「は?待て!!」
背後からアシェルの声がしたけれど、振り返ることなく走り出す。
(だって私は守られるべき、か弱き女子だもの。それに熊なんて怖いし、触媒用の骨もないし)
一目散に逃げようと大地を蹴り上げることだけを考える。
(俊足の魔法がかかっているせいか、まるで私は風のようだわ!)
視界を流れ行く景色がいつもの倍の速度だ。
「そこの道は、右だ」
イアン様が道を示す。私は脚の回転を速めた。
「次は左!!」
さらに加速する。
「そのまま真っ直ぐ!」
(熊こわいー!!)
今ならルミナリウム王国まで走って帰れるかも!という勢いで駆け抜けると、突如大地を蹴りまくっていたはずの私の足が宙を蹴る。
「え」
吸い込まれるような力が体を包み、足元がさらに浮く感覚に戸惑う。
「ちょっと、何!?」
私の視界は、まるで巻き戻しをしたかのように、たった今全速力で駆け抜けた道を後戻りし始めた。
「うわぁぁぁ」
背後に力強く引っ張られていた私の体がピタリと停止し、宙を蹴り上げていた足が大地を踏みしめる。
「アシェル!」
とっさに目の前にいる人の名前を叫ぶ。
「なるほど。君が僕を裏切るような行為をしたから、絆の制約が発動したようだ」
「何のこと?」
混乱したまま問い返す。
「僕を置いて、一目散に逃げただろう?」
アシェルはわずかに笑みを浮かべる。
「だって、あれは女の子は逃げていいって」
「言っただろ。君が僕を裏切れば、その瞬間、君の行動は僕に筒抜けになる。そして、僕が望むなら君の身体の自由を奪うことすら可能だと」
彼は、ニヤリと意地悪く口元を歪ませる。
「つまり、あなたがここに私を呼び戻したってこと?」
「正しくは違うな」
「どういうこと?」
「君にかけた魔法が勝手に発動した。つまり、君が僕を置いて逃げたのが悪い」
「そんなの言いがかりじゃない。私は女の子で、敵は熊なのよ!」
死にたくない一心で叫ぶように告げる。
「君はポンコツではあるが、魔法使いだろう?」
彼は煽るように続ける。
「それに、守られるだけの存在でいることを、君自身は望んでいるのか?」
「当たり前よ。できれば、守られたいわ」
即答すると、アシェルはため息をつく。
「君の姉なら、迷わずみんなを救うために魔法を使うだろうな」
それにと、彼は私に口を挟む余地を与えず続ける。
「いざという時、役立たずに成り下がるなら、君が魔法を学ぶ意味はなんだ?」
(何よ、その言い方)
息を整え、真っ直ぐに彼を見つめ返す。
「いちいちムカつくけど、私にだってできるわ」
彼をまっすぐ見つめて告げる。
「なら、証明してみせろ」
アシェルは、不敵に口角を上げた。
(うっかり乗せられた気がしないでもないけど、でも、やるしかないわ)
小さく息を吸い込み、心の中で覚悟を決めた。
「さぁ、熊。私が相手よ……ファントム・ブレード!!」
私は指先にエーテルを集め、記憶を頼りに魔法陣を宙にスラスラと書き上げていく。
「って、この円の中に描く古代語って、これであってるっけ?」
私はアシェルに小声でたずねる。
「……間違ってる。これは、ファントム・ブレードじゃなくて、スペクトラル・イージスの方だ」
アシェルに思い切りため息をつかれた。
「あ、そうそう。まずは、防御を貼っておこうと思って。霊魂よ、いっときの眠りから覚め、我らに力を!スペクトラル・イージス!!」
叫んだ瞬間、私が完成させたばかりの魔法陣から半透明の盾が飛び出す。元気に登場した盾は、熊と対峙しているラスティン様に向かって飛んでいく。
「なんでシャルロッテ嬢がいるんだよ!!」
ラスティン様が、熊の爪を受け止めながら叫ぶ。
「色々とありまして!うわ、危ない!よそ見しないでください!!」
こちらに気を取られたラスティン様の一瞬の隙をついて、熊が爪を大きく振りかぶる。次の瞬間、私がラスティン様に貼っていた半透明の盾が熊の攻撃を防ぎ、破壊された。
粉々に砕け散った盾は、鋭利な刃物と変化し、熊を針山のごとく串刺しにする。
「霊魂よ、我らに力を!レイス・アロー」
アシェルの書き上げた魔法陣から、真っ白な矢が放たれ、熊を狙い撃つ。
「ギャー」
命中すると無数の頭蓋骨を象るモヤが熊を襲う。
「呪いまで発動させるとは、やるわねアシェル」
「褒められる程のことではない」
彼は称賛の言葉に不服そうに鼻を鳴らした。
「グオオォォ」
熊は断末魔の悲鳴をあげた後、まるで霧のように消える。そしてその場には、毛と骨だけとなった亡骸が残った。
「うお、熊を退治したぞ!」
ラスティン様が駆けてくる。
「あ、熊の骨!」
「待て、僕の骨だ!」
私たちはラスティン様を素通りし、熊の骨に向かって競うように走り出したのであった。




