残されたイアン様の気持ち
みんなで囲んで昼食を食べた後、写真を撮影したり、お手洗いを済ませたりした。
「食べてすぐに歩くのはあまり得策ではない。時間もあるし、出発まで少しゆっくりしよう」
イアン様の提案を受けた私は、余った時間を楽しむために、東屋から滝壺の縁へと向かった。
冷たい水が手を濡らし、透明な流れが指先を洗い流す感覚が心地よい。
「最初は来るのが嫌だったけど、慣れるとキャンプっていいものね」
「同じセリフを聞いたことがあるな」
「え」
慌てて振り向くと、イアン様が立っていた。彼は少しためらうようにしてこちらに近づいてきた。彼の手には見覚えのある白い封筒が握られている。
それを見てすぐに何の話か察し、緊張が走る。
「もっと君と早く話をしなければと思っていたんだけど」
私の隣にしゃがみ込むイアン様。
「君が彼女に似てるから、少し動揺した」
「お姉様に、似ている……」
面と向かってそんなことを言われたのが初めてで、イマイチピンとこなかった。しかし、お下がりのベージュのフィッシャーマンベストが視界に映り込み、「これの成果か」と理解する。
「俺と彼女のこと、知ってるのかな?」
優しめの声で発せられた問いに、私は目を伏せる。
(生きてる時は知らなかったわ。亡くなってから、強制的に記憶を見せられて知っただけだし)
けれど、姉の記憶と思いがカラスに乗り移ったことは、姉本人からイアン様には「死んでも言うな」と約束させられている。
どう答えるべきかと悩んでいるうちに、イアン様が話を再開する。
「葬儀に参加できるのは、家族だけだと言うことだったから。いまさらだけど、すまない」
イアン様が頭を下げ、彼の赤みを帯びたブロンドヘアーが私の視界で揺れた。
「い、いえ……。お気になさらないでください」
「ありがとう。実はその……」
イアン様は少し言いにくそうに言葉を切った後。
「家族の許可なく、俺はルグウィン領にある、彼女の墓参りをしたんだ」
イアン様は突如、姉の墓参りをしたことを認めた。
「え……」
(あ、もしかして)
姉の墓を暴いた時、真新しい花が手向けられていたことを思い出す。
同時に、後日「姉の墓が、何者かによって荒らされた」と父が憤慨していたことを兄経由で耳にして、青ざめた記憶までもを思い出してしまった。
(お姉様、ごめんなさい。でもあの罪は、今こうしてイアン様との微妙に気まずい時間を耐えているから、許してくれるよね?)
うっかり意識を王都で留守番している姉に飛ばす。
「俺の気持ちは、彼女には迷惑だったかもしれない。だけど……」
イアン様が私の目を覗き込むように見つめる。
「俺は彼女を本気で愛していたんだ」
彼の真剣な思いをまともに浴び、心臓がうるさく鼓動しはじめた。
「て、手紙」
慌てて言葉を紡ぐ。
「手紙を、読みましたよね?」
彼は黙ったまま頷き、滝壺を見つめた。滝の音が私たちの間に流れる静寂を埋める。
「彼女の気持ちは、きっと本物だった」
イアンは手の中の手紙を軽く握りしめた。震える声で彼が話し始める。
「この手紙には、さんざん彼女を困らせたはずの俺との出会いに感謝していると書いてあった。そして俺に……自分の人生を生きて欲しいとも」
掠れた声で告げるイアン様。
「お姉様らしい言葉だと思いますよ」
私はつい、笑みがこぼれてしまう。
「だって優しさと、少しの無理強いが混ざってるから」
「確かに」
イアン様は私につられて、苦笑した。けれど、すぐにその目に涙を浮かべる。
「俺は、彼女の期待に応えられるか分からない。彼女をあんなに思ってたのに、それでも彼女の気持ちを完全には分かってあげられなかったし、悩みを深く受け止めることもしなかったから」
その涙は、滝壺の縁にある石を濡らしていく。
男性が号泣しているという状況に立ち会うのは、生まれて初めての経験だ。
(流石に、抱きしめるわけにもいかないし……)
悩んだ末、彼に少し近づき、肩にそっと手を置いた。
「イアン様。お姉様はあなたに恋をしたことを、後悔してなかったし、むしろ人生で一番自分らしくいられる大事な瞬間だったと、最後までそう思っていたはずです」
少なくとも、カラスの姉の態度を見る限り、イアン様との恋を恥じている様子はなかった。
記憶で見る限り、姉は本当に彼のことが好きだったというのはわかる。
(ただ、そんなに好きな人がいても、生きることを諦めたわけで……)
恋をしたことがない私には、一番好きな人と結ばれない未来がどんなに絶望的なのかわからない。
(ただ、死にたくなる理由の一つになるほど、それは辛いことなんだよね)
好き同士なのに結ばれないこの世界は、最低な世界だと思う。
彼の肩から手を離す。川の流れにのった小石が、コロコロと流されていく様子を眺めながら、口を開く。
「お姉様はあなたに悔やんで欲しいのではなく、未来を見つけて欲しいんだと思います」
姉からの伝言を伝え、彼に顔を向ける。するとイアンは顔を上げ、私の目を見つめた。
残念ながら、姉を情熱的に見つめていた、琥珀がきらきらする瞳は、今はまだ濁っているように見えた。
「二人の恋が正しかったとか、そういうことはわかりません。でも、姉をちゃんと愛してくださったあなたなら、きっとこの先も誰かを同じくらい愛せると思います」
私はダメ押しで、最後に付け足す。
「クラウディアも……お姉様もそれを願っていますから」
イアン様は深く息を吐き、涙をぬぐう。
「ありがとう、シャルロッテ嬢。君の言葉で少しだけ、前に進める気がする」
再び静寂が訪れた。
滝の音が響き、涼やかな水しぶきが、肌を心地よく刺激する。
姉は今ごろ、エリザと殿下と呑気に王都を満喫していることだろう。
(そもそも恋すらしたことないのに、私は頑張ったよね?)
姉に向かって、せめてもと、自分の成果を念じておく。
「ディアとのことは、流石に誰にも話せない。だから一人で向き合うしかなかった。でも、君が知っててくれて、本当に良かった」
イアン様は手紙をそっとポケットにしまい、滝壺を見つめる。
(そっか。お姉様はイアン様を縛り付ける気持ちを解放するために私を利用したのね)
彼が一人で抱えきれない思いを、誰かに話すことで解放できる。
(そう考えたから、私にあの記憶を見せた)
密かに確信した。
「俺はクラウディアが好きだし、彼女と出会えて良かった」
イアン様は吹っ切れたように告白すると微笑んだ。
彼の琥珀がきらきらする魅力的な瞳には、ほんの少しだけ未来への光が宿っているように、私には見えた。




