残された家族2
事件が起きたのは、夕食後。
父の号令により、家族全員参加が義務付けられている談話室でのこと。
(こうしてる間にも、どこかで炎上騒ぎが起きてるかも知れないのに)
私は黒いドレスのポケットに、今すぐ手を入れたい気持ちと格闘していた。
私をソワソワさせているのは、「スペルタッチ」と呼ばれる個人用魔導具の存在だ。
スペルタッチは、エーテル回路を利用した情報伝達システム『魔導ネットワーク』の接続に必要な魔道具で、世界普及率95%を誇る現代人の必須アイテムとなっている。
(もはや、魔導ネットがない人生なんて、考えられないし)
物理的な壁を取り払い、世界を一つにする魔導ネットワーク上には、一生かけても目を通しきれないほどのサイトが存在している。
(音楽、動画鑑賞にゲームもできるし。ほんと、引きこもりが捗る世の中だわ)
それに加え、乱立するSNSと呼ばれるソーシャルネットワークサービスの存在は、現代人のコミニュケーションツールとして欠かせないものとなっている。
それらすべてが、スペルタッチ用に開発されたアプリケーションを使用することにより、どこでも気軽にアクセスできるというわけだ。
ところが親世代は、急速に所持拡大したスペルタッチに対して、「子どもが犯罪に巻き込まれる」「脳が駄目になる」など、不安の声を未だに上げている。
もちろん、我が家の両親も例外ではない。「ルグウィン侯爵家の一員として、みなの手本となるように」が口癖である父の一存により、未成年である私のスペルタッチ利用は制限中。
それでも、「課題提出はアプリ経由だから、スペルタッチがないと困る」という、必要に迫られた理由で、何とか使用を許可されているという状況だ。
(どうせ、魔導ネットの素晴らしさを語って聞かせたところで、お父様には理解してもらえるとは思えないし)
心の中で不貞腐れながらも、不用意なことを口にすれば、「ディアはスペルタッチに依存していなかっただろう?」と非難されるに決まっている。
(いつだってこの家で正しい基準はお姉様だから。ああもう、早く学校に戻りたい)
姉が亡くなり、両親が私に注ぐ監視の目は、確実に以前より増している。
両親から姉と比べられないようにと、猫を被る必要に迫られた生活に、私は限界を迎えつつあった。
(今だってそうだし)
口うるさい親の手前、渋々屋敷の本棚にあった『彼が喜ぶ刺繍図案』という本を手にしているものの、イマイチ内容が古すぎる上に、あいにく私には刺繍を刺したい彼氏はいない。
(無駄な時間を過ごしている……)
薄目になりつつ、欠伸を噛み殺し、ぼんやりしていると――。
「もう、我が家は終わりだ!」
突然父が怒鳴り声をあげた。
普段、家族の前では声を荒げることのない父が、屋敷が震えるほど大声をあげた。
その事実に驚き、私は手にした本を床に落とす。
(びっくりした……)
慌てて本を床から拾いあげていると、「どうされたんですか?」と、父の異変を前に、すかさず母が探りをいれた。
「どんなに嘆いたところで、ディアはもういない。それどころか、自殺をしたせいで家の名が汚れた。もう終わりだ」
「終わりじゃないわ。私たち家族はこれからだって力を合わせて――」
「これから?フィデリス殿下の後ろ盾がなくなった以上、良くなるわけがない」
母の言葉を遮った父は冷たく言い放ち、手元のグラスを思いきり煽る。
普段アルコールは嗜む程度を心掛けているはずの父は、空になったグラスに、追加のワインをドボドボ注ぎ始めた。
「クラウディアが死んでからというもの、我が家の評判はガタ落ちだ。社交界では『ルグウィン侯爵家は呪われている』と囁かれている。そもそも民衆に手本を見せる立場の者が自殺などあり得んことだろう!」
父は声を荒げると、まるで山賊のように大胆にもワインをがぶ飲みしはじめる。
「!?」
建国より続く由緒正しい侯爵家の当主らしく、気品あふれる所作を誰よりも心がけている父の信念にそぐわない態度に、壁際に控える執事のロジェが目を丸くした。
(これは異常事態だわ!そして大スクープ!)
カントリーハウスに閉じ込められる日々を送り、刺激に飢えていた私は、普段と違う父の態度に浮かれた気持ちを抱く。
(できれば、スペルタッチのカメラ機能で、お父様の醜態をしっかり撮影したいのに)
使用制限された状況が恨めしいと、手持ち無沙汰の右手をうずうずさせる。
「もう終わりだ」
弱々しく頭を抱える父。
「これから挽回できるわ」
母が慰めるように、父の背中に手を伸ばす。
「挽回って、どうやってだ? ディアは死んだんだぞ。もう戻ってこない!」
母に八つ当たりするよう吐き出した父は、再びグラスに並々と注いだワインを煽る。
「しかも、来期決定していた議長の座を検討し直す必要があると、議会から連絡があった」
「それは本当ですか?」
黙り込み、広げた新聞で顔を隠していた兄が顔を覗かせた。
「嘘をつく理由がないだろう」
わかりやすく肩を落とす父。
「ディアを失い、我が家の名誉は地に落ちた。殿下の後ろ盾も失い、議長の座は剥奪され、我が家の評判は落ちる一方だ」
「でも、お父様ならまたすぐに返り咲けるでしょう?」
すかさず父に尋ねる。
どんな理由があろうとも、建国より名を連ねるルグウィン侯爵家の当主は、この国でも一目置かれた存在であるはずだ。
(というか、そうでないと困るんですけど)
周囲から完璧だと称された姉とは違い、私は十六年における人生において、貴族の娘らしからぬ、様々な失態を犯してきた経歴の持ち主だ。
七歳で大勢の貴族が集まる従兄弟の結婚式の最中、噴水に飛び込むという醜態をさらしたのをきっかけに、男装して街の裏通りに出かけた際、ゴロツキに絡まれ、不本意に魔法を使ったせいで警ら隊にお世話になったり、屋台で食べたものに当たり、祭りの最中に気分を悪くして倒れたり。
数々の失態の中でも特に酷いのは、昨年開催された貴族籍に属する親を持つ娘と息子を集めたお茶会でのこと。
気をきかせ、仲を取り持ったつもりの男女が、本妻と愛人の子だったのである。
(なぜか私の善意って、裏目に出ちゃうのよねえ)
周囲が大騒ぎした事件を走馬灯のように思い出し、遠い目になる。
すでに、貴族の娘としての評判が地に落ちている私からすると、侯爵家の娘という肩書は最後の砦のようなもの。
「お父様だったら、大丈夫なはずよ」
自分を安心させるよう、あえて明るく告げておく。