復活した姉とのひととき
エテルナキューブを飲み込んだカラスが、姉ことクラウディアを自称する事件の翌日。
全ての授業を終えた私は、クロエから魅力的なお誘いを受けた。
「王立劇場でやってる即興魔法劇、『涙の魔女と願いの結晶』のチケットをお父様からもらったの。二人で見に行かない?」
「えっ」
(行きたい。物凄くいきたい)
ルミナリウム王国に古くから存在する即興魔法劇とは、観客が多数決で、シナリオの一部を決定する呪文を選択できるため、毎回予測不能な展開になるのが魅力的な演劇だ。
しかも現在公演中の、『涙の魔女と願いの結晶』は、ルミナリウム王国を舞台にしたラブファンタジーで、今のところ観客が選ぶ呪文は全てバッドエンドになっていると、魔導ネットワーク上で話題になっている。
そのため「バッドエンドの結末しか存在しないのでは?」と疑いの声があがる一方、「絶対ヒロインの魔女を幸せにして見せる」という頼もしい声も多数あがり、何だかんだ注目度の高い作品だ。
気になる作品のため、チケットがあれば是非観劇したい。
しかし私には行けない事情があった。
「行きたい……けど、ちょっと野暮用があって」
寮の部屋で待つ、青白く羽を発光させるカラスの存在を思い出し、泣く泣く断る。
「ルシュを誘ってあげて」
「え、彼とラブファンタジーの舞台を見ろと?」
ぎょっとした表情になるクロエ。
「今のところ、シナリオがバッドエンド続きなんでしょ? だったら、ラブファンタジーというよりは、ホラーなのかもよ?」
「まさか、それはないと思うけど。でも確かにホラーか……。ま、一応聞いてみる。じゃあ、またね!」
クロエは、三つ編みを揺らしながら、颯爽と去って行く。
「はぁ……ついてないな」
即興魔法劇は見たい、しかし、カラスのいる部屋に戻らなくてはならない。
「ペットを飼うって、意外に大変なのね」
私は重い足取りで、寮の自室に向かうのであった。
*
「ロッテ、お願いだから早く私の記憶を再生して頂戴」
授業に出席している間、閉じ込めていた鳥かごから出した途端、カラスことクラウディアは、私が避けていた問題に言及した。
「お姉様、それは無理だわ」
制服のまま、ベッドにゴロンと寝転ぶ。
「ロッテ、制服のままベッドに寝転ぶだなんて、だらしないわよ」
顔の近くにピョンピョンと歩いてきたカラスは、半目を私に向けてきた。
「ここは親の目が届かない楽園なんだから、お母様みたいなことを言わないで。どうせお姉様だって、人の目が届かない自分の部屋でなら、制服でベッドに寝たことくらいあるでしょう?」
「ないわ」
即答された。普通の人なら疑うところだ。けれど、姉ならあり得ると、すんなり納得する。
「ねぇ、ロッテ。早く私の記憶を再生して」
「嫌よ。それにお姉様はもう復活したからいいじゃない」
(性格はカラスに引っ張られて、少しお転婆になった部分はあるけど)
総合的に見たら姉だ。
(何より、カラスのお姉様なら、私は誰からも比べられることがないから好都合だもの)
寝転がりながら、黒く艶やかな瞳と目を合わせる。
「これは仮の姿なの。それにカラスのまま生きるのは、その、少し恥ずかしいわ」
姉が、頬を染めた……ように思えた。
(うん、私はだいぶ疲れてるかも知れない)
冷静に考えたら、カラスに姉を重ね、普通に会話をしている状況はカオスとしか言いようがない。万が一誰かに目撃されたら、お医者様を派遣されるレベルでまずい状況だ。
ただ、カラスだろうとなんだろうと、姉と再び会話ができる状況は、素直に嬉しいと思う自分がいる。
(どんな形であれ、死者を復活させたいと願う人の気持が今ならわかるかも)
ベッドの上に置いてあるクッションの上で、優雅に羽を休めるカラスは、もはや姉にしか見えない。
それがいいとすら、思ってしまう自分がいた。
(きっと、ツリーハウスなんかに行っちゃって、昔の記憶が刺激されたからね)
不思議と姉だと主張するカラスを恨む気持ちにはならない。
「ねぇ、お姉様。どうして自殺なんてしたの?」
気付けば、自然と問いかけていた。
「それを知りたいなら、私が残したものをきちんと確認して」
「どうして?今ここで、教えてくれてもいいじゃない」
せがむように告げると、姉は悲しそうに黒い目を伏せる。
「それはダメ。カラスの体を借りた私の記憶は、正確なものではないもの。私はクラウディアだけれど、カラスなのよ?」
「だったら、どっちにしろ、私にはお姉様だわ」
「ロッテ。私の記憶を見て」
「……それはできないわ」
クラウディアとしての記憶があるなら、今の状況でいい。
(家族のみんなだって、きっとお姉様が戻ってきたって、喜ぶはずだもの)
私は姉にそっと触れると、その黒い羽を撫でた。
「お姉様の羽って、とても柔らかいのね」
「くすぐったいわ、ロッテ。それに無闇矢鱈に触れるのは、マナー違反よ」
「お姉様ったら。カラスに淑女のマナーはいらないでしょ」
クスクスと笑うと、姉は目を細めた。
「あそうだ。クロエがくれた美味しいクッキーと紅茶があるの。お姉様も食べる?」
姉と二人でお茶会なんていつぶりだろうと、自然と私の心が弾む。
「お姉様も食べるでしょ?」
私は立ち上がり、部屋に備え付けてある小さな戸棚から、クッキーの缶を取り出す。それから紅茶の準備をするため、備え付けの魔導ポットに手を伸ばした。
「食べたいけれど……カラスが食べていいものなの?」
クッションの上にちょこんと座った姉は、つつましい声でたずねてきた。
「カラスだってクッキーくらい食べるわよ。雑食だと聞いたことがあるし」
紅茶を淹れ終わると、小皿にクッキーを砕いて乗せ、彼女の前に差し出した。
姉は少しだけ首をかしげると、くちばしでそっと欠片をつついた。黒い羽に覆われた体を優雅に動かしながら、細心の注意を払って味わっているように見える。
「どう?」
私は湯気の立つカップを手に取り、彼女を見つめた。
「美味しいわ。だけど……」
姉は少し黙り込むと、恥じらいを含んだ声で続けた。
「不思議と、虫の方が食べたい気がするのよね」
ギョッとして、手にした紅茶カップを落としそうになる。
「虫……?」
「ええ。ほら、カラスとしての本能なのかしら。クッキーも悪くはないのだけど、どこか物足りない感じがするの」
姉は自分でも驚いているようで、困ったようにくちばしを鳴らす。
その瞬間、胸の奥がざわめくのを感じた。
(まさか、お姉様の記憶が、泥棒カラスから薄れて無くなる日がくるの?)
そんな不安が胸をよぎる。
「……きっと、物足りないと思うのは気のせいよ。お姉様はお姉様だもの」
私は努めて明るく努め、紅茶カップと砕いたクッキーを乗せた皿をトレイにセットし直し、姉の前に置く。
「そうね、気のせいよね」
姉は、私が置いた紅茶カップを眺め、小さな声で答えた。
鼻の奥がツンとして、喉に熱いものがせり上がってくる気がしたけれど、泣くつもりはない。
(このカラスはお姉様よ)
自分にいい聞かせて、気持ちを落ち着かせる。
「ほら、お姉様。楽しいお茶会にするんだから、暗い顔はなしよ!」
浮かんだ不安を悟られないよう、無理に笑顔を作り、海賊のように豪快にカップを掲げてみせた。
「ええ、そうしましょう」
姉はどこかぎこちなく、くちばしをわずかに動かして頷く。
部屋には、温かな紅茶の香りとクッキーの甘い香りが広がっていた。それは、誰にとっても幸せな時間を約束する香りであるはずなのに、心の片隅に消えない不安が漂っている。
私は見て見ぬふりをした。
たとえカラスの中に姉が留まっている時間が有限だとしても、今この瞬間だけは大切にしたかった。
もう二度と叶わないと思って諦めていた、お姉様と私だけの、小さなお茶会の時間だから。




