姉の罪1
半透明になって手を繋いだ私とアシェルは、姉の記憶の中に立っていた。
薄い霧のように漂う景色が徐々に色づいていき、月明かりが手入れの行き届いた庭園を柔らかく照らす。
(これは……王城の中庭?)
散歩道には、庭師がその技をアピールするかのような、風変わりな形に刈り取られた生け垣が並んでいる。生け垣の間には真っ赤なバラが咲き乱れている。着飾った令嬢が散歩道を軽やかに歩き、ドレスの裾が赤いバラの花びらを掠めると、魔法の粉を振りまいたように、花粉が舞っていた。
室内から、軽快なリズムと優雅な旋律のワルツが漏れ聞こえてくる。
「ふーん、舞踏会かしら」
どうやら未成年の私には参加が許されない、蹴落とすか、蹴落とされるかという、密かな駆け引きが繰り広げられる舞踏会の真っ最中らしい。
「一見すると上品な、しかし意味のない会話を楽しむ愚かな連中の集まりだ」
眉間にシワを寄せたアシェルがぴしゃりと言い切る。
「久々、あなたらしい言葉を聞けて、嬉しいわ」
笑いながら辺りを見回し、ふと気付く。
(あれ、今日はバイキン扱いされないんだけど)
いつもなら記憶の中に到着した途端、パッと離される手が繋がれたままだ。
(もしかして、婚約者効果?)
確かめる意味を込め、彼と繋いだ手をニギニギしてみた。すると、彼はパッと私の手を離す。
(これは、ただ単に繋いだ手の存在に気付くのが遅かっただけ?)
隣に立つ彼を見上げるも、いつも通りぶすっとした表情なので彼の思考が読めない。
「ふむ、今回もシナプスレコーダーはしっかり稼働しているようだな」
私の視線に気付いているくせに、わざとらしく周囲を見回すアシェル。
(まぁ、彼らしいっちゃ、彼らしいけど)
離れた手を少し寂しく思いながら私は、周囲に目を凝らす。
踊るのに疲れたのか、中には小道をあてもなく歩き回る人の姿がチラホラ確認できる。
女性たちはみな、パニエでしっかり膨らませたスカートにしっかりペーストで固めてアップにした、よそ行き用の髪型をしていた。集団でいる女性たちは扇子で口元を覆いながら、離れた所にいる同じくらいの年頃の青年たちにチラチラと視線を送っている。
(ふーん、舞踏会って出会いの場って本当なのね。デビュー前に婚約者を決めちゃうなんて、早まったかしら)
一瞬アシェルとのことを後悔しかけ、そもそも自分を選んでくれる男性なんて、物好きな彼くらいしかいない事実に突き当たった。
(うん、私は間違ってないわ)
グッと胸の前で拳を握る。
そのとき、中庭に新たに現れた女性を見て、私は息を呑む。
「お姉様だわ」
久しぶりに見た動く彼女に心が動揺する。
彼女は華やかなドレスに身を包み、頬がほんのり赤らんでいる。酔いが回っているのだろう。ゆっくりと庭を歩きながら、満足そうに夜空を見上げていた。
自然な感じで微笑む姉の姿を目の当たりにし、胸が苦しくなる。
(これで最後なんだから、しっかり目に焼き付けておかなくちゃ)
うっかりすると、目が潤んでしまいそうになる自分に言い聞かせる。
彼女は立ち止まり、月明かりに照らされる庭園を見渡した。目を細め、ふっと微笑む。
『もうすぐここは、私の庭よ。このバラも全部』
浮かれた姉の声が耳に届く。
(きっと、この場所がいつか自分のものになると思っていたのね。だって、お姉様の婚約者はフィデリス殿下だったし)
どうやら姉にも、人並みに所有欲があったらしい。
「供も付けず、一人で中庭を歩こうだなんて、随分と酔ってるようだな」
「うん」
アシェルの言う通りだ。死角の多い中庭は、逢引きにはうってつけ。逆に連れ込まれたら最後、何をされるかわからないので要注意だというのは、独身女性には有名な話だ。
現に中庭を歩く女性は、男性を連れていたり、友人同士で並んで夜風に当たっている。
浮かれた姉がバラの香りを嗅ごうと、生け垣の間で身をかがめる。
『とってもいい香りだわ』
ご機嫌な声の姉は、花から漂う香りのようにふわふわと中庭の奥に移動を開始する。
「アシェル、追いかけよう」
彼に声をかけ、膨らむスカートを避けることなく姉の後を追う。
「人間の適応力を目の当たりにしている気分だ」
「え」
隣を歩く彼を見上げる。
「すり抜けること」
彼が指摘するそばから、私の体を女性がすり抜けていく。
「ああ、これね。さすがに、四回目ともなると、意識せずとも半透明であることを最大限活かせるようになっちゃったみたい」
私は肩をすくめる。
その時、突然「やめて!」という女性の声が静寂を破った。姉が驚いたように肩を跳ねさせる。私もその声にハッとして、悲鳴があがったほうに目を向けた。