突然の訪問3
「ええ、些細なことよ。あの時、あなたたちがお酒の席で口論になった理由は何だったか覚えているかしら?」
母の声には少し呆れた調子が混じっている。その問いかけに、父はぎくりと肩をこわばらせた。
「あれはラルスが、うちのワインをけなしたからだ」
「ええ、そうですわ」
母が肯定する。
(嘘でしょ……)
父に半目を向ける。いがみ合うきっかけがワインがだとしたら、さすがの私も開いた口が塞がらないというものだ。
「ただ、酔ったあなたは、怒りにまかせてアシェルの瞳のことをからかったじゃない。あれは絶縁状を突きつけられても仕方がないと思ったわ」
(なんてこと!!)
父をキッと睨む。母と私に同時に睨まれた父は小さくなる。
「あれは――冗談だったんだ」
「あなたの冗談で閣下をどれだけ怒らせたか、当時のことを忘れたの?」
そのやりとりを聞いていたコンラッド侯爵が、渋い表情で低くうなった。
「確かに私がワインを貶したのは悪かった。ただ、酔っていたとは言え、家族を貶されたら誰だって良い気分はしない」
コンラッド侯爵が渋い顔を父に向ける。
「えぇ、仰る通りですわ」
大きく頷く母。
「ただ、あの後わざわざシャルロッテのことを、『手の付けられない山猿』だと貶したことに対し、主人はさらにヒートアップしてしまったんです」
母がチクリとコンラッド侯爵を責める。
(アシェルの山猿呼びの発祥はそこだったのね)
今度はコンラッド侯爵をキッと睨んでおく。
「そうだったわ。あぁ、ロジーナごめんなさいね。だから酔っぱらいは嫌いなのよ」
「その意見には賛成よ」
母親二人が同時にため息をつく。
(どういうこと?両家が仲違いした原因はワインで、そのあとヒートアップしたのは、アシェルと私のことをお互い貶しあったから?)
でもまさか、そんなことで陛下が手をつけられないほど、いがみ合う関係になるなんて思えない。
(だって、大人なのよ?)
疑う気持ちのまま、会話が再開されるのを静かに待つ。
「ただ今思えば、シャルロッテは確かに手に負えないお転婆な娘だったわ。アシェルをそそのかして、街に連れ出して治安官に補導されたりした後だったし……」
母が突如非難めいた視線を、私に送ってきた。
「記憶にないわ」
ケロリとした顔で答える。
「でも今回だって、アシェルをそそのかしたのは、ロッテなのでしょう?」
母が疑いの眼差しで私を見つめる。
(え、なんで私が責められてるわけ?婚約云々はどこに行ったの?)
話の雲行きが怪しくなってきたので、俯いて反省しているフリをした。
「いえ、それは違います。私は、自分の意思で彼女とキャメロン王国に行くことを決めましたので」
アシェルが毅然とした態度でそう言い切った瞬間、部屋の空気が少し変わった。
父も母も驚いた顔をしているし、コンラッド侯爵も珍しく目を丸くしている。アシェルはそのまま父に向き直ると、さらに続けた。
「侯爵閣下、シャルロッテ嬢は確かに自由奔放で、時に予測がつかない行動をします。しかし、それが彼女の魅力であり、私は彼女のそういう部分に惹かれています。キャメロン王国に行ったのも、そんな彼女と過ごす時間をもっと大切にしたいと思ったからです」
(な、なんてことを正面から言うのよ、この人!)
私は思わずアシェルを睨みつけたが、彼は全く気にする様子もなく、父と向き合い続けている。
「ですから、今回の件で彼女を責めるのは間違いです。もし責任を追及するのであれば、すべて私に向けてください」
真剣な顔で言い切るアシェルに、父は言葉を失ったようだった。
「アシェル、あなたは本気で言っているの?」
母が口を挟む。
「はい、ロジーナ様。私は本気です。シャルロッテ嬢と共にある未来を、私は望んでいます」
その言葉に、私はもうどうしていいのか分からなくなってしまった。顔がますます熱くなり、なんとか視線をそらそうとしたが、今度は父とばっちり視線が合ってしまった。
「シャルロッテ、お前はどう思っているんだ」
急に振られた質問に、私は池の鯉のごとく、口をパクパクさせた。
(どうって、急に言われても)
目の前のマドレーヌが美味しそう……というのが、正直今心に沸き起こる気持ちだ。
「シャルロッテ、どうなんだ」
せっかちな父が、物理的にこちらに迫ってくる。
「わ、私ですか?」
「そうだ。アシェルの申し出を受ける気が一ミリでもあるのかどうか、はっきり聞かせてくれ」
「今ここで?」
「ああ。その気がないのに、彼を待たせてしまうのは、不誠実なことだからな」
父の真剣な眼差しが刺さる。私は一瞬言葉に詰まったが、周りの視線が私に集中しているのを感じて、仕方なく口を開いた。
「ええっと……その……私は……」
なんとか言葉を探そうとする私の向かいで、アシェルがキレイな紫の瞳を私に真っすぐ向けてきた。
「私は、アシェルと一緒にいる時間が、とても楽しいと思っています。それがどういう意味なのか、まだ全部分かっているわけじゃないけれど……でも、少なくとも、彼のことは好ましい人だと思っているわ」
自分でも驚くくらい素直な言葉が口から出てきた。父は少し目を細めて私を見つめ、やがて短くため息をついた。
「分かった」
その一言に、部屋の空気が一気に緩んだ気がした。
「ラルス、どうやら私たちも昔のことを水に流す時が来たようだな」
父がコンラッド侯爵に向かって告げる。父の隣で母は軽く微笑んで頷く。そしてコンラッド侯爵も静かに立ち上がり、父に手を差し出した。
「私もそう思う。リーンハルト、これからは互いに協力し合える関係を築き、より一層ルミナリウム王国を守り立てていこうではないか」
「ああ」
父も立ち上がり、焼き菓子が並ぶテーブルを挟んで二人はしっかり握手する。
(のちに、これをマドレーヌの谷を挟む和解と呼ぶ……って、一体何が起こってるわけ?)
父たちが固く握手を交わす光景を見ながら、テーブルの上のマドレーヌを見つめた。
(つまり、フィデリス殿下が私たちをくっつけようとしてたのは、そもそも、両家が仲違いする原因が私たちに起因する話題だったからなのね……)
国を動かす立場にいる大人でも、実にくだらないことで友情はいとも簡単に壊れるらしい。
(実にくだらない、ではないか)
アシェルの父親は、息子を貶されて父と絶縁した。少なくともその事実は、彼がきちんと愛されている証拠だ。
「ラルス、実はいいワインが手に入ってな。一杯どうだ?」
「あぁ、いただくよ」
父とコンラッド侯爵はさっそく飲む約束をしている。
「あなたたち、懲りないわね」
母が呆れた顔を父に向け肩を落とす
「ロジーナの言う通りだわ。今度二人が喧嘩しても私や子どもたちは巻き込まれませんからね」
「ええ、その通りよ、ビィオ」
母たちの優雅な笑顔の横で、父と侯爵はどこかバツが悪そうに視線を逸らしていた。
(全く大人の男の人って、私なんかよりずっと、子どもみたいなところがあるのね)
私はテーブルの上のマドレーヌにそっと手を伸ばしながら、呆れる気持ちになるのだった。