求む、協力者1
図書館の重い扉を押し開けた瞬間、冷ややかな空気と古書独特の香りが鼻腔を満たす。
館内は、何世代にも渡る学生と教授たちが使い込んできた高い書架が無数に並んでおり、所々に飾られたアンティークの燭台が柔らかい光を館内に落としている。
お手軽に様々な情報に触れることができる魔導ネットワークが普及したせいか、アカデミーでもっとも歴史ある建物となる図書館は、閑古鳥が鳴いているようだ。周囲に目立った人の姿は確認できない。
厳粛な雰囲気漂う中、足音を抑えながら奥の隅へと向かう。
私は自分の目的にアシェル・コンラッドを巻き込むため、一週間ほど密かに彼の動向を探った。すると彼は、正確に時を刻むことを仕事とする、懐中時計のような人物であるという事実が判明した。
彼は朝七時きっかりに寮の食堂に現れ、それから授業に参加する。
昼食は食堂ではなくカフェテラスで済ませるようで、毎日飽きもせずツナのサンドイッチとブラックコーヒーを注文している。滞在時間は毎回十五分以内。さくっと食事を終えた彼は、午後の授業が行われる教室に一足早く移動する。そして一人静かに宿題をこなしたり、読書に耽っていた。
授業が終了すると、放課後は曜日ごとに自室か図書館にこもる。
十九時半に寮の食堂で夕食を済ませた後、一旦自室に戻ってからきっかり三十分後。部屋から現れた彼は、大浴場に向かう。その後自室に戻り、何をしているかは不明。
ただ、部屋の扉から漏れる明かりから察するに、日が変わる頃には就寝しているようだ。
もちろん、この他にもいくつかの発見はあった。
人嫌いという誰しもが知る噂通り、彼は他人と必要最低限の関わりしか持たない。誰かに話しかけられると、わかりやすく眉間にシワを寄せ、そっけない態度を取って人を追い払っていた。
何気なく振られた話から、うっかり話が弾んでしまう……なんて状況は、一切望んでいないようだ。
常に俯き加減で寡黙に動き、話しかけるなというオーラを発しまくっている。
図書館ではさらにその傾向が強くなるようだ。
「相棒とするには、だいぶ手強い相手なんだよなあ」
書架の陰からそっと奥をうかがう。
時代がかったデザインの、重々しい机の一角に陣取るアシェルの姿が見えた。
彼の青白い肌は、微かな光の中でさらに冷たそうに見える。
「アンデット説を信じたくなる気持ちがわかる」
太陽の光に弱そうな見た目に、あり得ない噂を信じそうになってしまう。
そんな彼が好んで読むのは、『冥界転写論:魂の座標と霊的流動』だとか『黄泉の階梯:次元交錯における霊性の構築』だとか、私には理解不能な題名ばかり。
姿勢は気怠そうだが、視線だけは鋭くページを追い、細い指先が本のページをめくる動作には無駄がない。
彼の集中力には、付け入る隙がないように思えた。
薄暗い光の中で黒髪が艶やかに揺れ、長めの前髪の隙間から、透き通るような紫色の瞳をのぞかせている。
薄曇りの空から淡い光が射し込み、彼の顔に陰影をつけている。それは、まるで神聖な宗教画を見ているようで、ため息が出るほど美しい光景に思えた。
「やっぱり、人間じゃないのかも」
彼の容姿が優れているという事実は認め難く、「静かにたたずむ姿は、まるで死者が蘇ったかのように見える」と、アンデット説を裏付けるような言葉を心で付け足しておく。
「って、彼がアンデットかどうかを調べてる場合じゃないし」
深呼吸をして、書架の影から飛び出すと、一直線に彼の元を目指す。
緊張のせいか、やたら乾いた喉を潤すようにゴクリと唾を飲み込みながら、彼の座る椅子の横でピタリと停止する。
「アシェル・コンラッド」
声を掛けると、彼の動きが止まった。
目線を上げることもなく、小さく息をつく。
「何だ。シャルロッテ・ルグウィン」
明らかに棘を刺すような冷たさを宿らせた、低く、冷たい声。
(でも負けないから)
回れ右をしたい気持ちを堪え、彼に言葉をかける。
「少し、話があるの」
彼はようやく顔を上げた。
切れ長の目が鋭く光り、私を無遠慮に見据える。
神秘的な紫水晶を連想させる彼の瞳には、少しの興味も、警戒も感じられない。ただ、面倒ごとを察知したかのような諦めに近い表情が浮かぶだけだ。
「話なら簡潔にしてくれ」
その言葉に応じるように、一枚の写真を彼の前にそっと置く。
写真に収められているのは、月明かりの下で私とアシェルが手を繋ぎ、親しげに見つめ合っている姿だ。
もちろん、そんな事実はない。
この写真は、近代技術を利用して作成された"捏造写真" なのだから。
彼は写真に視線を落とすと、わかりやすく表情を曇らせた。
(よし、効果はあるみたい)
写真をみて反応した彼に、小さく笑みを浮かべる。
「これは何のつもりだ、シャルロッテ・ルグウィン?」
アシェルは、髪をかきあげながら不機嫌そうに私を睨みつけてきた。
「素敵な写真でしょ? もしこの写真がSNSサイトにアップされたら、すぐに拡散されるでしょうね。貴族のご婦人たちは噂好きな人が多いから、すぐに社交界で話題になると思うけど?」
私は笑顔を作りながら、写真を指でトントンと叩く。
「くだらない脅しだな。そんなもの、誰が信じると――」
「信じる人がいるかどうかなんて問題じゃないわ」
アシェルの言葉を遮るように、矢継ぎ早に続ける。
「噂って、不確かな情報だとしても、どんどん広まってしまうものなのよ? そして一度広がってしまった噂は、もう消すことはできない。違うかしら?」
アシェルは押し黙ったまま、私を見つめる。
「しかもこの画像の背景は、一般の人が立ち入ることのできない学校内の中庭だし、それだけで信憑性が高いと思われるでしょうね。しかも、あなたと私という組み合わせが、さらに人々の興味をそそると思わない?」
わざとらしくニヤリと微笑む。すると彼は私から顔を反らし、小さくため息をついた。