私が消えない理由1
夏休みが終わり、みんなに遅れること一ヶ月後。私はケンフォード魔法学校に復学できた。
晴れて四年生になった私は、復学初日から目に見えない視線の波に飲み込まれている。校内を歩けば囁き声が聞こえ、教室に入れば空気が変わるといった状況だ。
現に、お昼を食べようと食堂に現れた私に、一斉にみんなからの視線が突き刺さる。何か面白い話題を探してやろうといった、悪意ある視線に対抗するように、私は久しぶりに訪れた食堂を見回す。
大食堂の天井からは、無数の魔法のろうそくがぶら下がり、まるで星空が広がっているようだった。
「久々の学食は、おいしいかもよ。ロッテは何を注文したの?」
注文した食事を受け取る列に並びながら、髪の毛が伸びて、女性らしさに磨きがかかったクロエが明るい声をあげる。
「悩んだけど、パンと野菜スープ」
「そんなのダイエット中の食事じゃんか」
ルシュがいちゃもんをつけてきた。彼はしばらく会わない間に、背がぐんと伸びて、声が低くなったようだ。
「ルシュ、あなたって本当にデリカシーがないわよね。ロッテはまだ、魔力衰弱の影響があるから食欲がないのよ」
クロエがすかさず庇ってくれる。
「え、そうなのか?」
ルシュが心配そうな表情を私に向けた。
「いいえ、残念ながら私は『魔力衰弱と思われる症状が見られるかも?』といった程度で、実際はわりと元気だったの」
主治医から、健康優良児の刻印を押された私は、ニコリと微笑む。
帰国後領地の屋敷に戻った私は、主治医指示の元、様々な検査を受けた。その結果、体内のエーテルにゆらぎが見られるものの、至って健康というお墨付きをもらったのである。
『体内のエーテルが元通りに整うまで、長くて一ヶ月ほどですかね。イライラする気持ちも段々と落ち着くと思います。精神安定剤を一応処方しておきます。ただし、安静こそ最大の薬ですぞ』
主治医は笑顔で私にそう告げた。
表向き、キャメロン王国で感じた自分にはどうすることもできない感情の浮き沈みの件は、魔力衰弱の影響があるとされている状態だ。
(でも無性にイライラしてしまうのは、魔力衰弱だけじゃなくて、私自身の気質の問題でもあると思う。だって、キャメロン王国に行く前からその兆候はあったし)
ただし、気性の荒さに自覚があることは秘密にしている。なぜなら、正直に告白したが最後、心配する両親によって、王国中の医者を連れ回されるのがオチだから。
それだけは勘弁だと、ため息をつく。
「健康なら良かったわ。でも、ロッテに送るメッセージを三割くらい遠慮して損した気分。ガンガン行こうぜの精神で、迷惑メールの勢いで送りつければ良かったわ」
クロエ節が炸裂し、私は声をあげて笑う。
「じゃ、もっと食べないと。そんなガリガリじゃ、スープの出汁にもならないぜ?」
ルシュが私をからかう。
「そうね。明日からは、ドカンと胃に溜まりそうなものを注文する」
ニコリと微笑む。
無事に注文した食事を受け取った私たちは、定位置となる食堂の隅の席に移動する。しかし席についた途端、家出したという事実が公になったことによる弊害を思い知らされる。
「ほら、あの子だよ」
「まさかコンラッド家のアシェル様と家出するなんてね」
「二人は不適切な関係だったわけ?」
「そうじゃなきゃ、二人で家出しないでしょ」
「うわ、結婚前なのに、穢らわしい」
「やっぱりルグウィン侯爵家は呪われてるんだよ」
ルクス寮に所属する噂好きな人たちの視線が、私を突き刺しているのがわかる。
(まぁ、今に始まったことじゃないからいいけど)
数々の不名誉な事実に、新たに「家出」と「不適切な関係」の二つが加わっただけだ。
「あんな奴ら、気にしなくていいよ。くたばれ」
噂話をしている集団に対して、クロエが指を立てる。
「あいつらほんと、暇人だよな」
ルシェもまた、噂話に混ざる生徒たちに冷たい視線を送り、私を守ろうとしてくれる。
「ありがとう。平気だから」
二人に気を使わせてしまっていることに引け目を感じた私は、笑ってみせる。けれど、それは本心からの笑みではない。
陰口は、まだ耐えられる。
(だけど、ここにはアシェルがいないもの)
未だ復学しない、彼を思うと心から笑えない。
(それに私には、こうして守ってくれる親友がいるけど)
人を避けて生きてきたアシェルには、守ってくれる人がいない。
(いまさら気付いても遅いし、全然彼に寄り添ってあげなかったことに落ち込む)
パンをさらに細かくちぎる。
(私だけこうやって、普通に戻ることにも罪悪感を感じるし)
どんどん辛い気持ちが込み上げてくる。
「消えたい……」
言葉がふいに零れる。その瞬間、自分でも驚いた。
(お姉様みたいに消えたいって、今そう思ったわ)
まさか自分がそんなふうに考えるなんてと固まる。
でも、全てが上手くいかないこの世界から逃げたい気持ちが心を埋め尽くしていく。噂話、視線、孤独感……それらが加わり、「どうでもいいや」と投げやりな気持ちがさらに加速する。
周囲から向けられる、悪意や興味本位な視線に息苦しさを感じ、耐えられなくなる。
(これから逃げ出せるなら)
消えて、全てを終わらせたい。
全てを、世界を遮断しようと、ギュッと目を閉じる。
「消えちゃ駄目」
クロエが私の手に触れる。
「そうだな。少なくとも俺らは、ロッテに消えて欲しくない」
ルシュが私のパンを持った手をぎゅっと握る。
パッと目を開けると、二人と目が合った。
「二人とも、ありがとう」
私が力なく微笑むと、二人は顔を見合わせる。
「ロッテがいなくなっちゃったら、私はルシュと残されちゃうのよ?」
「なんだよ、不服そうに言うな」
「折角誘ってあげた即興魔法劇で、あなたは爆睡してたじゃない」
頬を膨らませたクロエがルシュを睨む。
「それは、締め切り間近の課題のせいで寝不足だったし、なんか甘ったるい話だったし」
ルシュが私の手を離し、慌てた様子でパンに手を伸ばす。
「ほらね。ロッテにはわかるでしょ?所詮ルシュに私たち女子の気持ちはわからないのよ」
クロエも私から手を離し、スパゲッテイをすごい勢いで巻き始めた。
「悪かったな。男で」
乱暴にちぎったパンを口に運ぶルシュ。
いつも通りの光景を目の当たりにし、思わず笑ってしまう。
「なんだかんだあるけどさ、三人でいれば楽しいだろ?」
ルシュが笑う。
「ありがとう。確かに三人でいると楽しい」
野菜スープにパンを浸して口に含む。素材を活かした優しい味が体に染み渡る。
私には、本当に困った時に頼れる二人。クロエとルシュがいる。
(ほんと、大好き)
二人の親友の存在は、私をこの世に留めるに値する存在で間違いない。
「そう言えばさ、アシェルから連絡は?」
トマトスパゲティをフォークに巻き付けながら、クロエがさりげなくたずねてきた。
「まだ、何もなし」
パンをちぎりながら答える。
「でも、体調は元通りになったって話だけど」
「らしいよね。クラウディア様の最後の記憶。それはアシェルの発明品、ええと」
「シナプスレコーダー」
おぼろげなクロエにすかさず補足しておく。
「そう、それがないと、見られないんでしょ?」
彼女の言葉に頷く。
「でも、今はお姉様のことより、私の勝手で巻き込んで、さらには犯罪者予備軍にしちゃったアシェルに申し訳なくて、どん底な気分」
親友を前に、本音をさらけ出す。
「でも二人とも、未成年だってことが考慮されて、正当防衛が認められたんだろ?」
「出かける時は、親の保護観察付きだけどね」
思い出して、またもや暗い気持ちになる。
アシェルがキャメロン王国の治安官に、そして私が名のある地主の息子に魔法を使った件についての判決はついている。
ルシュの言う通り、無罪放免となった。
(だからって、何もなかったことにはならないし)
私は実家の面々を思い出し、ため息をつく。
「今まで私を叱ることで、エーテルを回復してるんじゃない?ってくらいだった家族が、不気味なくらい私に甘いの。気持ち悪いんだけど」
「あら、叱られないなら、いいことじゃない。月光舞踏会用のドレスを作ってもらえるチャンスだと思えばいいのよ」
クロエがケロリとした表情で告げた。