終わりへのカウントダウン3
路地裏から大通りの様子をうかがう。
先ほどまで大騒ぎしていた治安官たちの姿は見えない。
「アシェル。大丈夫だよね……」
不安になりつつ、意を決して大通りに足を一歩踏み出した時。
「うわっ!」
突然腕を捕まれ、バランスを崩しながら路地裏に引き戻された。振り返ると、私の腕を掴んでいるのは、先ほど私が助けた獣医さんだった。
赤いドレスに身を包み、オシャレをした彼女は眉間に皺を寄せ、怒ったような顔をこちらに向けている。
「ちょっと、何してんのよ」
「何って、逃げてますけど?」
状況を端的に説明すると、彼女はプッと吹き出して笑う。
「いいわ。匿ってあげる」
「え?」
一瞬何を言われたかわからなくて固まる。
「逃げたいんでしょ?」
含みを持たせた笑みを浮かべる獣医さん。彼女が敵ではないことに安心しつつ。
「……有り難い申し出なのですが、友人を助けに行かないといけないので」
丁寧に断りを入れた。
「騒いでた男の子なら、もう保安官に捕まったみたいよ。ほら」
彼女は冷静に答えながら、スペルタッチの画面を私に向けた。
『速報、捜索願が出ていたコンラッド侯爵家のアシェル様、無事保護される』
そんな見出しと共に、ぐったりとした彼が担架に乗せられている写真が掲載されている。
「嘘……そんな……」
心臓がぎゅっと掴まれるような感覚に襲われる。目の前が真っ暗になる。
「あ、でも百メートルの呪いが発動してないわ」
呟いて、嫌な予感に襲われる。
速報記事通り、彼が保護されたのだとしたら、場所的に私も彼の元に戻ってもいいはずだ。
(というか、そもそも彼と別れた、さっきの時点で呪いは発動してるはずだわ。だってハイキングの時も……)
アシェルの元を意気揚々と立ち去った私が、あっという間に彼の元に戻った時のことを思い出して青ざめる。
(まさか、呪いが解けているの?それとも、エーテルが薄いから発動しなかった?)
いくつか理由を思いつき、ハッとする。
アシェルが湯浴みしている間に洗濯を頼みに行ったり、動物病院を訪れた際に、彼と別行動したことを思い出す。
(むしろ、キャメロン王国に到着して詐欺師に騙されていた時だって、私は動かずベンチに座って待っていたけど、彼は迷子を探していたわ)
てっきり自分が彼の元に引き寄せられないのは、百メートル以上離れていないからだと思い込んでいた。
(もしかして、すでにどこかのタイミングで百メートルの呪いが解けていたのでは?)
その事を理解した瞬間、足元がぐらつくような感覚に襲われた。心細さが胸を締め付け、足が動かなくなる。
「アシェルの馬鹿」
彼がいない。その事実が全身に重くのしかかる。
(私を小馬鹿にすることが多いけど、不思議と安心感をくれる彼がいないだけで、こんなにも心細いなんて)
泣きそうなになり、ギュッと唇を噛む。
「大丈夫よ。多くの保安官は事務所に戻っているみたいだし、すぐにあなたは捕まらないわ」
私の態度を見て、自分が捕まることを恐れていると勘違いした獣医さんが、優しく声をかけてくれた。
「彼を保護できたから、あなたが出頭するのは時間の問題だと思っているんでしょうから。ま、保安官側も相当な数の負傷者が出たみたいだし」
彼女は私の肩を軽く叩きながら言葉を続ける。
「助けてもらったお礼にコーヒーくらいご馳走するわ。さ、ついてきなさい」
「でも」
「今あなたが捕まったら、彼の行動が全部無駄になるわよ?それに、あなたには大事なカラスがいるじゃない」
彼女の言葉に、無理やり前に進むしかないことを悟る。
「すみません。お世話になります……」
項垂れたまま、颯爽と歩く彼女についていくしかなかった。
*
絶望的な気持ちで獣医さんの隣を歩くこと数分、ペットショップの裏口に辿り着いた。
「さぁ、どうぞ」
導かれるまま、中に入る。
そこは表通りの明るい雰囲気とは一変して、実用性に徹した簡素な空間だった。
診察台の上には毛布が丁寧にたたまれ、側には小さなトレイが置かれていた。トレイには注射器やピンセット、綿球などが並んでいる。
壁際には木製の棚があり、ラベルが貼られた薬品の瓶や試験管がぎっしりと収まっていた。
「狭いけど、身を隠すには十分でしょ?」
彼女の声に振り返ると、背後には小型のケージがいくつも積まれていた。獣医さんを見て興奮したのか、それとも私に警戒しているのか。犬がワンワン吠えまくっていた。そんな姿とは対象的に、猫や小動物は静かにこちらを見ている。
「あ」
見慣れた鳥かごの中で、バサバサ羽を羽ばたかせているのは、私のカラスだ。
「随分元気になったでしょ?やっぱりエーテル不足が原因だったみたい。今は食欲も回復したから、最悪なことにはならないはずよ」
獣医さんの言葉に、ホッとする。
(アシェルのことは心配だけど)
少なくともカラスは救えそうだと判明し、嬉しくなった。
「どうぞ」
裏口の扉を閉め、鍵をかけた彼女は奥の部屋を示す。
中に入ると小さなキッチンのついた部屋が広がっていた。壁に沿って置かれた棚の上には、子どもが描いたらしき動物の絵が沢山飾ってあった。
「座って」
言われるまま、緑色の布が敷いてあるソファーに座る。腰を落ち着けた途端、体中に疲労感が巡り、一気に体が重くなった。
「コーヒーしかないんだけど」
「充分です、ありがとうございます」
獣医さんはキッチンでコーヒーを淹れ始めた。
私は彼女の姿を改めて観察する。年齢は二十代後半くらいだろうか。肩まで伸びたストレートの黒髪に、切れ長の目と長いまつげが印象的だ。
(キレイな人だな)
昨日の昼間会った時は、カラスのことで頭がいっぱいで、彼女の容姿にまで気が回らなかった。けれど、こうして落ち着いて見ると、とても華やかな顔立ちをしていることに気付く。
コポコポと沸きあがるお湯の音、フラスコに少しずつ溜まっていくサイフォンを眺めているうちに、不思議と心が落ち着いてきた。
「どうぞ。砂糖とミルクはお好みで」
「ありがとうございます」
コーヒーの入った赤いマグカップを受け取り、砂糖を少し入れて口に含む。心地よい酸味とフルーティな香りが広がる。
「美味しい」
思わず呟くと、獣医さんは微笑んだ。
「よかった。私、コーヒー淹れるの得意なの」
彼女は私の隣に座り、ホッとした表情でコーヒーを啜った。