まるで映画のように2
月明かりに照らされた噴水の水しぶきが、まるで宝石のように輝き、静かに流れ落ちている。水の音が、私の心のざわめきをほんの少しだけ和らげてくれた。
アシェルと二人で泉の縁に腰掛け、並んでシャーベットをつつく。泉の水面に映る私たちの姿が、なんだかとても儚くて、消えてしまいそうに見えた。
私はティラミス味のジェラートにスプーンを入れる。
「美味しい……」
口の中に広がる甘さと苦みのハーモニーに、思わず目を閉じる。
「そんなに美味しいのか?」
彼の声に弾かれたように目を開ける。
「まるで、世界で一番幸せであると主張しているような顔だったから」
隣でピスタチオ味を食べているアシェルは、不思議そうな顔で私を見る。
「ええ。とっても美味しいから幸せよ。ちょっと味見してみる?」
「遠慮しておく」
「本場の味なんて、そうそう食べる機会を得られるものじゃないんだから、遠慮しないでいいのに」
私は自分のスプーンにジェラートをすくい、「ほら」と彼の方に差し出した。
アシェルは一瞬ためらったように見えたが、結局観念したように口を開く。すかざず彼の口の中にスプーンを差し込む。
「……なるほど。確かに美味しい」
「でしょう?あなたのも頂戴」
「ん」
アシェルが私に緑色のジェラートをヌッと差し出す。
「私はあーんしてあげたのに」
薄目を向けてからかう。すると、彼は「いらないんだな」と言って、ヒョイとジェラートを引っ込めてしまう。
「冗談だってば。一口頂戴」
彼が無言でジェラートを差し出してくれたので、スプーンですくう。
ぱくりと口に入れると、ほんのりとした甘味が広がり、コクのある味わいが残る。
「緑っぽい見た目だから、もっと臭みがあるのかと思ってたけど、食べやすい味で美味しい」
「そうだな」
私たちはしばし、ジェラートを味わいながら噴水の音に耳を傾ける。
いつもは説明したくてたまらないといった彼が静かなのは、ジェラートを食べるのに必死だからだろう。
(なんか、可愛いかも)
彼が、無言でジェラートをパクパク食べる姿を横目で楽しむ。
「疲れた時に食べるのにぴったりね」
一口すくって口に運ぶ。冷たさが舌を包み込み、次に甘さが広がる。少し前までの必死な逃亡劇や、姉の件でヒステリックになっていた時間が嘘のように思えるほど、穏やかな気持ちに包まれる。
静かに流れる泉の音。心地よい夜風。美味しいジェラート。そして、何だかんだ行動を共にする彼の隣にいる心地よさ。どれもが、永遠に続いてほしいと願わせるものだ。
「ねぇ、不思議だよね。お姉様が亡くなる前は、お互いすれ違っても目も合わさない仲だったのに、今は誰よりもあなたがいると落ち着くの」
「不慣れな、異国の地にいるからだろう」
「うーん。それだけじゃない気がするけど。でもまぁいいわ。アシェルはどう?私に慣れた?」
「そうだな。別に嫌じゃない」
「友だちだもんね」
「ああ」
私たちはまた黙って、ジェラートをスプーンで口に運ぶ。
周囲では、色々な国から集まった観光客が、私たちのようにジェラートを食べている。
並んで座って一つのジェラートを二人でつつくカップルや、私たちのように、お互いのジェラートを味見し合う年配の夫婦など。
(みんな幸せそう)
コーンをしっかり最後までかじって、口の中に放り込みながら思う。
「シャルロッテ」
ジェラートを食べ終わったらしき彼が、真剣な顔をして私を見つめる。
「何?」
「ありがとう、と言おうと思って。いろいろあったが、君と出会ってから、毎日トラブル続きで、平穏とは程遠い。けれど、僕は生きていることを今までにないくらい実感できている。だから……」
そこで彼は小さく息継ぎをした。
「ありがとう」
照れた様子で横を向くアシェル。
彼の言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。
(そっか。アシェルもこの旅がそろそろ終わるってことを、気付いているんだ)
バックアップ結晶のことやカラスの体調のことがなくても、残金のことを思えばいつまでもこの生活が続けられるなんて、流石に思わない。
(私たちは家出をした瞬間から、いつか戻ることをどこかで意識していた。そして、彼は終わりが来るという事実を覚悟できている)
噴水を見つめるアシェルの横顔が月明かりに照らされている。少し薄くなった頬の痣のせいか、いつもは鋭い印象を受ける彼の表情が不思議と柔らかく見える。
「……私もよ。ありがとう。アシェルがいなかったら、ここまで来れなかったと思う」
「それはお互い様だ。この先、きっと今のように会うことは難しくなるかも知れない。けど、君は僕にとって、大事な……親友だ」
照れくさそうに、彼がその言葉を口にした瞬間。私の中で何かが弾けた。
「アシェル。好きよ」
勝手に口から飛び出した言葉。そして私は、彼の唇に自分の唇を重ねていた。唇と唇が触れ合う感触は、なんだかとても奇妙な気がしたけれど、今までで、一番素敵なことのように感じた。
「!?」
アシェルが驚いて身を引く。ライトアップされた噴水から漏れる光に照らされた彼の顔が真っ赤になっている。
「ご、ごめん」
我に返った私は慌てて謝罪する。時間差で自分の頬が熱くなるのを感じて、恥ずかしさが私を襲う。
「な、なんで謝るんだよ」
アシェルも珍しく動揺した様子で、さらに頬を赤くしていた。
「だって、私……」
「……映画の真似事か?」
彼の言葉に、私は首を振る。
「違うわ。ただ、その……自然と……そうしたいと思っちゃったっていうか」
言葉が詰まる。アシェルはしばらく黙っていたが、やがて静かに呟いた。
「……君は本当に、感情的な人間すぎるだろ」
「それって、怒ってる?」
「怒ってはいない。ただ……」
彼は言葉を切り、深いため息をついた。
「今は君の気持ちに、きちんと応えられる状況じゃない」
はっきり告げられた。
「そ、そうだよね。私もよくわからないし」
「は?」
アシェルが訝しげな表情を私に向けた。
「なんか、人嫌いなあなたが私をついに親友って認めてくれたから嬉しかったのかも。つまり今のは親愛の気持ちってことで」
恥ずかしい気持ちを隠すように、早口で告げる。
「……親愛か」
「ごめんなさい。変なことしちゃ……」
「謝らなくていい」
アシェルは私の言葉を遮った。
「とにかく宿に戻ろう。僕も、君も、疲れているに違いない」
不機嫌そうな表情に戻ってしまった彼の言葉に、私は小さく頷いた。