テミスをたずねて4
「クラウディアさんは……その……亡くなられたと」
ヘルマンの声が震える。
「ええ。お姉様は、自殺しました」
感情を押し殺して告げる。
「自殺……」
ヘルマンは震える声で繰り返す。その表情には、悲しみと戸惑いが混ざっているように見えた。
部屋の壁に貼り付けられた時計が小さな音を立てている。チッチッチッと秒針が時を刻む音だけが、重い沈黙を破っていた。
「新聞で、心臓発作と報道されていて。そうですか、自殺……私のせいかも知れませんね」
彼は目を伏せた。
「姉は、あなたのことを友達だと思っていたんです。信頼していた」
「そうですね。だから私はあの日、彼女に会わなかったことについて、正しいことをしたと思っています」
私を見て、はっきりと言い切る彼。
(どうして?あなたに会いたくて姉は待っていたのよ?)
約束を守らなかったくせに、自らの行動を肯定する言い方をした彼を睨む。
「約束をすっぽかされた姉は、あなたのせいで傷ついたわ」
姉の気持ちを代弁するように、低い声でゆっくり吐き出す。
「そうですね。私は彼女を傷つけた。けれど、私だけがクラウディア様を傷つけたわけじゃない」
彼を責める言葉は、見事私に跳ね返ってくる。
(そうよ。私だってお姉様を勝手に憎んで、無視して傷つけたわ)
素直に認める私にヘルマンが紡ぎ出した言葉が届く。
「もちろん、あの時彼女に会わなかったことが正しかったのか。葛藤する気持ちを、私だって持ち合わせています。もし会っていれば」
「何か変わったと?」
行き場のない怒りを声に乗せ、彼の言葉を遮る。
「いいえ、さらに彼女を失望させてしまうことになったでしょう。私は嘘をついていたわけですし、彼女と友人であった本来のレンカはすでに亡くなっているのですから」
迷いはない。そんな様子で告げられて、私は何が何だかわからなくなる。
約束をすっぽかれたこと、騙されたこと、レンカさんが亡くなってしまったこと。それから私が無視したこと。その他にも姉が傷つくであろう件は沢山ある。
(でも何が一番お姉様を傷つけたかなんて、わからないもの)
やけに喉が乾いた気がして、マグカップに口をつける。薄くてお世辞にも美味しいとは言えない紅茶は、それでも確かに気分を落ち着けるに最適だし、喉もちゃんと潤う。
「自分を慰めるために双子の妹になりきっていた。それは理解できる。けれど、なぜあんな作り話をしたんですか?」
黙り込んだ私の代わりに、アシェルが彼にたずねる。
「生前妹が、魔導ネット上でそういう人間を演じていたから話を合わせました」
「レンカさんがですか?」
(なんで?)
浮かんだ疑問に答えるように、ヘルマンさんが話し始めた。
「実生活において、表向きレンカは幸せそうでした。けれど内心、悩み一つなく幸せだったわけじゃない。どう思っていたかはミストグラム上で彼女が演じていたテミスを辿ればわかります」
少し声を荒らげた彼の声に刺激され、姉と愚痴を言い合うテミスを思い出す。
魔導ネットワーク上に存在するテミスは、家族から虐げられる貴族の娘で、逃げ出したい思いを抱えている子だった。
「私たちは親に捨てられました。だから恵まれた環境で暮らす貴族の元に生まれたら。彼女はそんな夢を見ていたのだと思います」
「しかしレンカさんは、虐められているとクラウディア様に伝えていた。貴族の生活に憧れているのだとしたら、普通はどんなに恵まれているかをアピールするのではないだろうか?」
アシェルが矛盾を指摘する。
「彼女は自分を捨てた両親を恨んでいた。その思いも吐き出したかったんでしょう」
ヘルマンが紅茶に口をつける。
「彼女は昔から自分で創り出した夢物語を良く語っていましたから。そのどれも、どこか少しだけ主人公は不幸だった。でも、何でも揃う満たされた幸せな家庭を私たちは経験したことがありません。ですから、ひたすら幸せな主人公なんて、想像できなかったのかも知れませんね」
淡々と語るヘルマン。
「ふむ」
納得がいかない様子のアシェル。
「匿名が許されるネットでは、実際の自分より、良く見せたいと思う時があるわ。そしてお姉様のように、リアルで明かせない思いを吐き出す場所として使う人もいる」
(その両方の気持ちが混ざって生みだされたのが、テミスだったのかも)
一人納得する気持ちでヘルマンを見つめる。
「そうですね。家出した子どもに懸賞金を金貨五百枚もポンと出せる親がいる一方で、私たちの親は、レンカの葬式について連絡を取ることもできないような、そんな人間ですから」
彼は吐き捨てるように告げた。
「レンカがネット上で貴族を名乗り、その貴族を貶すようなことを呟いていた、そんな矛盾した気持ちを、私は理解できます」
遠回しに責められてしまい、居心地悪い空気が流れる。
(もし自分が違う家に生まれていたらか……)
つい、そうやって現実逃避したくなる気持ちは理解できる。
(誰からも賞賛されるお姉様がいなければ、貴族籍を持つ親の元に生まれなければって、そう考えてしまうことがあるから)
環境を変えることは難しい。だから自分から逃げ出してみた。その結果、最低な人生は変わらない。
今の私はそのことが身に沁みている。だから、レンカさんが魔導ネットワークで偽りの自分を演じる中に、抱える不満を隠せなかった気持ちも理解できる。
(ただ、事実として)
私はヘルマンを見つめる。
「結局のところ、お姉様は死を選びました」
気持ちを落ち着けるために、私は紅茶を一口すすり続ける。
「お姉様の死を悲しむ家族や友人がいて、魔導ネットの向こうで、本音で語り合える人がいたのに、彼女は死を選びました」
胸の奥が苦しくなる。
「私は姉がその理由に至る原因が知りたくて、ここに辿り着きました」
私は再び、ここに来た目的を口にした。