テミスをたずねて3
「良くある話なんです。親に捨てられた僕とレンカは、二人で力を合わせて生きてきました」
彼は壁にかけられた、彼の双子の妹だというレンカさんの写真に目を向ける。
「王都の孤児院で育った僕らは、十六歳で自立することになりました。僕は医師見習いの仕事を紹介してもらい、奨学金で学校に通いながら診療所で働き、レンカはとある貴族のお屋敷で、住み込みのメイドとして働いていたんです」
ヘルマンは言葉を切る。その瞳は、もう誰も見ることのできない過去を見つめているようだった。
「お互い自分のことで精一杯で、それでも連絡は頻繁にスペルタッチで取り合う仲でした。けれどレンカは交通事故である日突然亡くなりました」
苦しそうに顔を顰めるヘルマンを前に、私も居た堪れない気持ちで眉間にシワをよせる。
「レンカがいなくなって、僕は何も手につかなくなり夢を諦めた。たった一人の家族を亡くし、私は生きる意味を失いました。けれどあなた達と違い、潤沢な資産を持たない私は、生きていくために働く必要がある」
少しだけ棘のある言葉で、ヘルマンは私たちに突きつける。
「そしてたどり着いたのが、この場所です。この地域を治める領主様はとてもいい方で、私に館を管理する庭師の仕事をくださいました。勉強ばかりしてきた自分が庭木を相手とする力仕事なんてと、最初は躊躇したのですが、草花を相手にする仕事は気が楽で……。誰かの言葉で心が左右されないで済みますからね」
彼はフッと笑う。
「花の手入れをしながら、私は少しずつ妹の死に向き合えるようになってきたんです」
少し明るい声になった彼は、喉を潤すように紅茶を一口含む。
「毎日少しずつ、妹の遺品整理をしていく中で、彼女が生前使っていたスペルタッチを見つけました。少しだけ、妹のプライバシーを犯すことに後ろめたい気持ちを抱き、それでも私は起動した」
ヘルマンは気まずそうな表情で話を続ける。
「明るくなった画面には、彼女が撮影した王都の夕焼けが映し出されていました。生まれ育った場所ですから、私も記憶に残る美しい光景です。その待ち受け画面を見て、まるで導かれるように画像フォルダーを確認した。するとそこにはいたんです」
彼の声のトーンが少しだけ高くなる。
「レンカが笑う画像や、彼女が撮影した日常風景、友人たち、そして私と妹。二人で祝う季節ごとのささやかなお祝いの写真も残されていた。画像フォルダーの中には、私の知る彼女がいたんです」
幸せそうに微笑むヘルマンの笑顔に、切なさが込み上げる。
「そんな時、彼女が日記代わりに使用していたミストグラムのアカウントを見つけたんです。僕は彼女のアカウントを確認した。最初は妹が何を思って生きていたのか。彼女の人生を辿るために。でも、そのうち……」
ヘルマンは言葉を失ったようにカップを握りしめ、俯いた。カップを握る彼の手が小刻みに震えている。
「あなたは、アカウントを引き続き、双子の妹、レンカさんとして生きることにした。それが自身の慰めになったから」
ヘルマンが飲み込んだまま吐き出すことのできない言葉を、アシェルが静かに補う。
「ええ」
ヘルマンは脱力したように、一息つく。
「レンカのいない現実を受け止めることが難しかった私は、彼女になりきることで、彼女の存在を、この世界に繋ぎ止めておきたかったんです」
ヘルマンは穏やかな口調で言い切った。
(少しだけ、彼の気持ちがわかる)
私は姉に成り代わろうとは思わない。けれど、最初から姉など存在していなかったかのように、前と変わらない日常を送る朝の登校風景を目の当たりにした時、行き場のない怒りを感じた。
(どんなにみんなから慕われていたお姉様が亡くなっても、この世界は大して変わらない。最悪な現実は、どんなに逃げても、しつこく追いかけてくるものだから)
虚しさを感じて、温かな湯気が上がるマグカップを包み込む。
ゆらり、ゆらりとマグカップの中で紅茶が波打つ様を眺め、気を抜くと怒りに変化してしまいそうになる、自分の感情を押し込める。
「つまり、クラウディア様と最初にDMをし合う仲だったのは、レンカさんの方だったということですか?」
確認するように、アシェルがたずねる。
「ええ。私はレンカのフリをして、クラウディア様とやりとりを続けました」
「なるほど」
納得した様子のアシェルが相槌を打つ。
「実は私とアストレア……クラウディア様は一度だけ。実際に会おうとしたことがあるんです」
「え?」
新たに明かされた情報に驚いて顔をあげる。
「領主様がルミナリウム王国に行く機会があって、その時に私が荷物持ちとして抜擢されたので」
「会わなかったんですか?」
思わず身を乗り出す。
「ええ。待ち合わせに来たのが、フィデリス王子の婚約者だと知り、急に怖くなってしまって」
「怖い、ですか?」
「私は妹のフリをして性別まで偽っていた。なにより、日頃から良くして下さる領主様を困らせるようなことは出来ないと、彼女に会わずに逃げ出しました」
彼は肩を落とし、悲しげに微笑んだ。
(お姉様は、魔導ネットで知り合った、得体の知れない人に会おうとしてたってこと?)
無防備にも程があると、呆れる気持ちになる。
(でも、お姉様は見知らぬ人でも会いたいと思うほど、彼と心を通わせていたとも言えるってことか……)
見ず知らずの人にしか本音を言えなかった姉は、やっぱり誰よりも孤独だったのかも知れない。
知られざる悲しい事実が、私の中で少しずつ形を成していく。