テミスをたずねて2
ヘルマンは私たちを中へ招き入れると、慌てた様子でドアを閉めた。
戸惑いながらも部屋の中を見渡す。外の見た目の貧相な感じからは想像できないほど、狭い小屋の中は温かな空気が満ちていた。少し埃っぽいけれど、ここには確かな生活の気配がある。
まず目に飛び込んできたのは壁沿いに並べられた本棚。古びた革表紙の本や紙の束が所狭しと詰め込まれている。そのほとんどは、医療や農業に関するもののようだったが、ところどころに詩集や、男性の部屋には似つかわしくないような、数年前巷で話題になっていた女性向けの恋愛小説も混ざっていた。
本棚の隣には手作り感のある机が置かれていて、その上には奇妙な形をしたランプが一つ。机の端には、小さな木箱が無造作に置かれていた。
「どうぞ、座ってください。紅茶を用意しますので」
ヘルマンが指し示したのは、小さなダイニングテーブルだった。椅子は二脚だけ。年季の入った木製椅子で、片方には赤くて丸いクッションが置いてある。
「僕はこれで失礼する」
アシェルは壁に沿って置かれた、脚立のようなものを机の脇に移動させ、勝手に座る。
「だ、駄目ですよ。あなたは貴族様なんですから、どうぞこちらへ」
青ざめた様子でアシェルに椅子に座れと迫るヘルマン。
まるで熊に遭遇した時の私を見ているようだ。
(そこまで怯えなくてもいいのに……彼はアンデットではなくて、人間なんだし)
うっかり薄目になる。
「いや、僕は彼女の付き添いのようなものだから」
「……そうですよね。なるほど。お二人は恋人同士だから」
「いや、違う」
ヘルマンの呟きをアシェルがぴしゃりと否定する。
(そこまですぐ否定しなくてもいいじゃない)
まるで私と恋人だと思われることを、不名誉なことだと言わんばかりの彼の態度にムッとする。
「私たちはただの友人なんです。では、失礼しますわ」
クッションを敷いていない一脚を選んで、どすんと腰を下ろす。
「し、失礼しました。今お飲み物を用意します」
アシェルと私の間に流れる微妙な空気から逃げるように、ヘルマンは背を向ける。
部屋の隅にある簡素な調理スペースで、彼はお湯を沸かし始めた。壁には鍋やフライパンが掛けられ、棚には保存食らしいガラス瓶が並んでいる。
ふと視線を反対に向けると、壁に掛けられた一枚の写真が目に飛び込んできた。色鮮やかな写真には、若い女性が写っている。彼女は穏やかに笑っていて、その視線は写真を撮る人を真っ直ぐに見つめていた。
この地方に多いのか、赤みを帯びたブラウンヘアーに、ヘーゼル色の瞳。髪色も瞳の色もヘルマンと同じだ。
「その写真の女性は妹さんですか?」
気づけば、私は無意識に口を開いていた。
ヘルマンの手が一瞬止まる。彼は写真に視線を向け、何かを思い出すように目を細めた。そして、静かに頷く。
「そうです。双子の妹、レンカです」
「双子の……妹」
目の前のヘルマンと、写真の中の女性が、頭の中で重なったり離れたりを繰り返す。
(だから、二人は似ているのね)
紅茶を淹れる音だけが、静かな部屋に響く。
「レンカは……もういないんです」
ヘルマンは紅茶を用意しながら、囁くように告げた。
「事故だったんです。一年前に」
淡々と明らかにされた事実に、胸が締め付けられる。
レンカの写真の笑顔が、姉の笑顔と重なる。
(テミス……いいえ、ヘルマンさんも身近な人を亡くしたのね)
少しだけ逆立つ気持ちが落ち着く。
(もちろん、お姉様に嘘をついていたことをなかったことにできるわけではないけど)
壁に貼られた、こちらに笑顔を向ける人物からそっと目を逸らす。
「お口に合うものではないと思いますが、どうぞ」
彼はそう言って、私たちの前にそれぞれ紅茶の入ったカップを置いた。
「揃いのカップもなくて、すみません」
恐縮してばかりの彼の手は、厚みがあって指が太い。
(数日前、鍛冶屋で見た職人さんのような手だな)
そんなことを思いながら、「いただきます」と断りを入れて、欠けた部分がある取ってを握り、赤いマグカップに口をつける。
(ふむ)
確かに香りも、味も薄い。
(でも、温かい飲み物を飲むとホッとする)
その気持ちは、どんな品質の紅茶だろうと変わらないようだ。
「美味しいです」
儀礼的に微笑んだ後、本題に入る。
「姉はあなたが男性であることに気付いていたんですか?」
私の向かい側に座ったヘルマンは、両手で握り締めた、緑の紅茶カップに視線を落として口を開く。
「どうですかね。気付いていなかったと思います」
「あなたは、出会い目的で姉に嘘を言って近づいたんですか?」
私たちよりずっと、自由恋愛が許される庶民の皆様は、魔導ネットを恋愛目的の出会の場として有効活用している。だから彼もそうなんじゃないかと疑う気持ちで問いかけた。
「いいえ」
彼はきっぱり断った。
「実はあなたのお姉さんとDMのやり取りをしていたアカウントは、レンカが生前使っていたものなんです」
彼の告白にどきりとする。