遣り手の獣医さん
鳥かごを抱えた私は、街外れにある動物病院の建物に到着した。
「絶対百メートル以上離れないでよ」
「大丈夫。向かいの露店街をちらっと見るだけだから」
個人的に買い物をしたいというアシェルを見送り、こじんまりとした動物病院を眺める。想像していたよりずっと、小さな病院で「大丈夫かな?」と心配になる。
「でも、地元で評判がいいって言ってたし」
宿屋の女将、アリダさんの言葉を信じて扉に手をかける。
「私の身元は、わからないはず」
希望的観測で己を鼓舞し、大きく深呼吸する。病院の窓ガラスに反射して映る私の服はシンプルで地味な、薄いブルーのワンピースに白いエプロンという町娘の格好だ。
これは、私たちの服装が新聞で公開されてしまい、急遽新たな服を購入せざるを得なかった結果だ。
極めつけは、アシェルに呆れた顔をされながらも、鏡で何度も確認した作り込んだ田舎娘の表情。
(誰も私が歩く金貨五百枚だとは気付くまい)
目をしばしばさせ、下をべーッと出し顔の筋肉をほぐす。
(よし、行くわよ)
意を決した私は、動物病院の重い扉を開ける。
「こんにちは、獣医さんいらっしゃいますか?」
中に入ると、ほのかに薬草と動物の匂いがした。それからすぐに「ニャーニャー」「ワンワン」「ピヨピヨ」「クシュン」と、賑やかな動物の鳴き声が聞こえてきた。
ごつごつした石壁の待合室には、四人がけのソファーと観葉植物が置いてあるのみ。外から見た通りこじんまりとした病院のようだ。
受付らしき台の向こうでは、緑の作業着に身を包む女性が俯いて書類を整理している。
「あのう」
「あら、ごめんなさい。気付かなかったわ」
一つにまとめた黒髪をサラリと揺らしながら、顔をあげる。それから優しい顔で微笑む女性。
歳の頃は三十代半ばから後半といったところ。化粧っけのない顔だけれど、不思議と生き生きしているように見えて、嫌な感じはしない。
「いらっしゃい。どうしました?」
鳥かごを少しだけ前に差し出しながら、できるだけ自然な声を出す。
「このカラスが弱ってしまって……少し診てもらえませんか?」
「カラスですか……珍しいわね。ペットにしているの?」
「そうなんです。元々野生だったんですけど、怪我をしていたところを拾って、それからずっと一緒で……私の親友なんです。でも最近元気がなくて」
自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきた。
「あなた、もしかして昨日、遺跡巡りをしてた?」
突如問われ、「はい」と正直に答えてしまう。
「あなた、観光客ね」
「え」
顔を合わせて数秒で見抜かれたため、驚いて固まる。
「別に私は探偵でもなんでもないわよ?」
前置きしながら得意げな表情で続ける。
「キャメロン王国では鳥獣保護法によって、カラスは飼育してはいけない決まりなの。だから親切な人が数人ほど、カラスを鳥かごに入れて遺跡見学をしている人がいるって、教えてくれたのよ」
女性はニコリと微笑み種明かしをした。
「なるほど」
つまり、目立たないようにと、自分は変身していたものの、違法なカラスを鳥かごに入れて歩き回った結果、むしろ目立ってしまっていたと……。
本末転倒な状況ではあるものの、観光客や街の人。何より治安官に騒がれていない現状に思い当たり、ひとまず私の素性だけは、まだ知られていないはずだと結論付けた。
「でも安心して、あなたを鳥獣保護法違反で治安官事務所に突き出したりしないから」
私安堵したばかりなのに「治安官」という言葉が飛び出し、ビクリと肩があがる。
「そのカラスは見たところ、ルクセリア王国に生息するルーンカラスのようだし、エーテル不足で具合が悪いのかもね」
獣医はケージの中を覗き込む。
「診察するから、その間ここで待ってて」
「よろしくお願いします」
「あ、その椅子に座って待ってて」
「はい」
てっきり受付のお姉さんだと思っていた人物に、鳥かごを受け渡す。それから、診察室と書かれた部屋に鳥かごを持った彼女が消えていくのを見送り、言われた通り待合室のソファーに座る。
(どういうこと?今の流れは、私の正体を知ってるってこと?)
逃げるべきか否か。非常に迷うところだ。
(でも、悪い人ではなさそうだし、診察してもらってる以上、お金は払わないとだし)
何より一目見て、カラスの種類を当て、エーテル不足な状況だと判断した姿は頼もしい獣医の先生にしか思えない。
(アシェルがいたら、相談できたのに)
一人で平気だと言い張った、数分前の自分を恨む気持ちになる。
悶々とした気持ちで待つこと数分ほど。獣医の女性が待合室に戻ってきた。
「弱っているのは間違いないけど、大きな怪我はないわ。ただ、かなり衰弱している状態よ。うちで数日預からせてもらえれば、薬と栄養でケアして、医療用のエーテルライトを浴びせることができると思うけど……どうする?」
「いいんですか?」
テミスに会うため、列車で二駅ほど南下した地域への移動を考えている私にとって、それは非常に助かる申し出だ。
(カラスを飼育しちゃだめだと知った以上、持ち歩くわけにもいかないし)
さらに、エーテルライトという謎の機械は、カラスの回復に期待値大な匂いがぷんぷんする。
「お願いしてもいいでしょうか。あ、もちろんお金は払いますので」
「当たり前。お金は払ってもらうわよ」
「ちなみにおいくらくらいですか?」
日々消費するばかりで、収入がない私たちの所持金は確実に減っている。
(最悪払えない金額だったら、獣医さんに私を治安官事務所に突き出してもらうしかない)
動物でも、人間でも、金貨五百枚で命が救えるなら安いものだ。
「そうね。三日で銀貨三十枚でどうかしら?」
「銀貨三十枚ですか……」
現在宿泊している宿屋は二人で一泊銀貨一枚だ。しかも朝食付き。それを考慮するとかなり高額だと言わざるを得ない。
「観光客価格と口止め料込みの値段よ。あなたには払えない額じゃないだろうし、こっちも助けたい命が沢山あるから許してね」
意味深な言葉と視線を送りつけられた。
(私が誰だか知っていて、足元を見られてるってわけか)
これだから大人は嫌いだと、心の中で悪態をつく。
「わかりました。ただし、もしあなたのせいで、治安官事務所に捕まるようなことがあれば、あなたがヤブ医者だって、魔導ネットで言いふらしますから」
「言うじゃない」
強がりだとバレているのか、獣医の女性は楽しげに笑った。
「そんなことしないわよ。まるで恋愛小説みたいに、禁断の愛を貫くために逃避行する若者を応援してるんだから」
「…………」
「お幸せに、頑張って逃げ切ってね」
悪びれた様子なく、ニコリと微笑む女性。
こうして私は銀貨三十枚を失う代わりに、ひとまずカラスを預けることに成功した。
(カラスの命が助かって、私たちを見過ごしてもらえたんだから、安いもんよ)
懐が寂しくなった理由を、一人弁解し気持ちを奮い立たせる。
無事にカラスを預け、その足でアシェルと合流した私は、早速獣医さんから言われたことを説明した。すると案の定と言った感じ。彼から『正気か?』という顔と言葉をかけられたのだった。