三つの寮
食堂の扉を開けると、賑やかな声と香ばしいパンの匂いが私たちを包み込んだ。
石壁と木製の梁が優しい雰囲気を醸し出す広い空間には、長テーブルがいくつも並び、生徒たちが思い思いに食事を楽しんでいる。
「今日はなんにしようかなぁ」
ルシュがあくびをしながら、トレイを持ってキッチンのカウンターに向かう。
特に食べ物に興味があるわけでもなさそうな態度はいつものこと。どうせ前に並ぶクロエが選んだものを、真似するつもりなのだろう。
「私はパスタにしよっかな、それとも揚げ物にしよっかな。でもやっぱ実家に帰省して太ったから、スープにしようかな。うー、迷う」
立て看板に貼られたメニュー表を眺めながら注文する商品を考えていると、元気な声が耳に飛び込んできた。
「お、それってこの前の試作品?」
「この腕時計すごいだろ?まだ試作段階なんだけどさ、空気中のエーテル濃度を測定できるんだぜ」
青年が得意げに腕についた魔道具を掲げて見せる。
私たちの前に並ぶのは、緑の葉の紋章が入ったモスグリーンのネクタイを締めたソリス・ヴィア寮の生徒たち。
成長と共生を象徴する緑の葉のリースを派閥のシンボルとして掲げるソリスは、商才や技術に優れた家庭で育った、庶民が所属する寮だ。
ソリスに所属する生徒は、エーテルを利用し発生させる魔法を、最新技術に組み込む原理を専門に学ぶ者たちの集まりでもある。
「つまりその時計は、魔法陣を展開するに相応しい場所を効率良く発見できるってわけか」
周囲のソリス寮生たちが「すごい!」「試してみたい!」「テスト前に貸して」と次々に興味を示している。
「ソリスのやつら、また自慢大会かよ」
前に並ぶルシュが、苦笑いになる。
「楽しそうだからいいじゃない。違法薬の売買してないだけマシでしょ」
クロエが黒いネクタイを緩めながら、笑みを浮かべた。
「確かにな。あいつらいいカモとばかり、隙あらば違法な媚薬やらアルコールを買わせようとしてくるしな」
「ま、実家が商会を経営してる家の子は、小銭を稼ぐことが趣味みたいなもんだから。それに、自分が加わることを想像したら、ルクス寮よりはマシでしょ?」
クロエはニヤニヤしながら、食堂の中央に視線を移す。
周囲に給仕を侍らせているせいで、最も目立つテーブルを陣取るのは、白地に青い白百合の紋章が入るネクタイを締めたルクス・オルディネの寮生たち。
ケンフォード魔法学校の看板学科とも言える、白魔法を専攻できる資格保持者であるルクス寮生は、国内外の貴族の子どもが所属できる寮だ。
派閥のシンボルとして、清廉さと威厳を象徴する白いユリの花を掲げるルクスは、きっちりと整った隊列のように横並びに座り、優雅に食事をしている。
彼らの中心にはフィデリス殿下がいてその隣には、エリザ様が陣取っていた。
「あの席って、クラウディア様の場所だったのにな」
ルシュの言葉に、ちくんと胸が痛む。
「まるで、殿下と午餐会って絵画を見てるみたいだわ」
苛々した気持ちを、そのまま言葉にのせる。
「ルクスって、なんでもかんでも大げさなのよ。ここは学校なのに」
姉の席に当たり前のようにエリザ様が座っていることも、ルクスの寮費で雇われた給仕がいることも、カトラリーを音を立てずに使うことに神経をすり減らしている様子も、パンをちまちま食べているのも。
今の私には全部わざとらしく感じてしまい、いらつく要素でしかない。
「学食で提供されるパンなんてさ、ソースやスープにつけて食べた方が、絶対に美味しいのにね。ルクスの人たちは、つくづく損する人生を歩んでると思う」
肩をすぼめて、小さくため息をつく。
「まあ、ルクスもソリスも、きらびやかなところは目立つけど、その分大変そうではあるよな。ルクスは清廉さを保つプレッシャーがすごいって聞くし、ソリスは何か新しいことをしないと仲間外れになることもあるらしいしさ」
ルシュの言葉を聞きながら、気を落ち着かせようと、視線を隅の方に置かれたテーブルへ向けた。
そこには、赤い三日月の紋章が縫い込まれた黒いネクタイをしている生徒の姿がある。
私たち三人が所属するアーク・ノクスの生徒たちだ。
制服を魔改造し、トゲトゲをいっぱいつけた人、目の周りを敢えて真っ黒に塗りたくった人。その横では、古い書物に熱中していて、スプーンを手にしたまま固まっている人。パンを齧りながら、日記のようなノートに何かを書き込んでいる人などなど。
彼らの様子は、周囲から明らかに孤立して見えるけれど、本人たちはまったく気にしていない様子だ。
なぜなら、闇夜に輝く三日月をシンボルとするアークは、黒魔法専攻者の集まりで、未知への挑戦と禁忌の探究心に満ちた個性派揃いだから。
一般的な価値観や階級に縛られず、自分たちの信念に従う姿が際立つ集団……と言えば聞こえはいいけれど、実際はルクスにもソリスにも弾かれた人の集まりという位置づけだ。
その証拠に入学時の適正検査でアークに振り分けられる生徒の数は、ルクスやソリスの半分しかいない。その上、社会的にも「アークに振り分けられた時点で、社会不適合者確定」という何とも不名誉なレッテルを貼られてしまうというおまけ付き。
私たちに向けられる視線は、いつの世も冷たいものなのである。
「アーク寮生は……まあ、マイペースな人が多いよね」
私は宙を見つめ完全に自分の世界に没入している知り合いを発見し、つい笑ってしまう。
「それがアークのいいところだろ。他の寮みたいに見栄や肩書きを気にしなくていい」
ルシュが得意げな顔で、私の肩をつつく。
「まあね。だからこそ、庶民の私が侯爵令嬢のロッテと、伯爵令息のルシュと一緒に食事できるわけだしね」
クロエがわざとらしく、実家を持ち出してきた。
「それでいいのよ」
私は力強く断言する。
「アークは誰よりも自分らしくいられる寮。だから外野の目なんて気にしなくていい。私たちは、自分たちの信じる道を行くだけ」
グッと拳を握る。
「それって、自己中と紙一重に聞こえるけどな」
「まぁ、実際、問題児の集まりでもあるし」
ルシュとクロエの言葉に「ですよねー」と笑ってしまうのであった。