歴史残る街ジョディア3
「シャルロッテ」
彼が低く、真剣な声で私の名前を呼ぶ。
「何?」
「君は、本当の意味で逃げ出すという経験をしたことがないんだろうな」
「は?」
何を言い出すのかと、つい彼の方に寝返りを打つ。するとぼんやりとした明かりの中、彼が天井を見つめているのが見えた。
「僕らがいるこの部屋も、逃げた先だ。だけど、君は逃げたとは思わない。無意識で、進んでいると思える人間だからだ」
私の心臓が跳ねた。言葉を返そうとしたが、疲れているせいか、咄嗟に出てこない。
「シャルロッテ、現実は常に逃げ場をくれるわけじゃない。それでも君が進むというなら、僕はとことん付き合うよ。遺跡だろうがどこだろうが。でも――」
「でも、何?」
「君がその結末に耐えられるかどうかは別だ」
彼の声は酷く冷たいが、不思議と嫌な気はしなかった。
「アシェル。あなたはどうして、いつもそんなに冷静に最悪な状況を考えられるの?」
彼は少しの間黙った後、私に背を向ける。
「冷静なんかじゃない。僕だって、ずっと叫びたい気持ちだよ」
小さく呟かれた、彼の本心。いつもピンチを救ってくれる彼の背中は、なんだか小さく見えた。
「じゃあ、一緒に叫んでみる?」
彼は一瞬だけ呆れたように息を吐き、次に低く笑った。
「まさか。それで何かが変わるのか?」
「わからないから、やってみるのよ」
彼は答えなかった。
(私だって、不安なんだけどな)
アシェルと同じ。叫びたい気持ちを常に抱えていると布団の中で体を丸める。
「アシェル、手をつないで」
「は?」
「なんだか、そういう気分なの」
「自分の発言の意味をわかって言ってるのか?」
「正気じゃないわね」
「ああ、君は正気じゃない」
彼の声には非難めいたものは一切ない。ただ、困惑しているのはわかる。
「でも、僕も正気じゃない。だから今こうして、見知らぬ宿の安っぽくて、埃っぽいベッドで、君と並んで横になってるんだ」
彼がくるりと寝返りを打つ。
私たちは薄暗い中、向き合う。
薄暗い部屋の中。アシェルの紫の瞳は揺らめいでいる。
(きれい)
彼の特別な瞳を私は嫌いじゃない。
「私たち、ほんとに何がしたいのかしら」
「さあな」
珍しく彼は私を見つめ続ける。
「多分、僕らは何も見つけられないと思う。遺跡に行ったって、きっと何も変わらない」
「うん、わかってる」
ニコリと笑う。
「でも、それでいいの。私たちは、きっと何かを成し遂げたフリをしたいだけだから」
一階から私たちの狭い部屋に、他人の笑い声がまるで侵入してくるように響いてきた。
「君は、ずいぶんと達観したものの言い方をするようになったな」
「そうかな」
窓から漏れる月明かりが、私たちの布団に伸びてくる。
「たぶん、私たちは、この旅が永遠に続かないことを知ってる」
「ああ」
彼は答えながら、私から逃げるように仰向けになった。
「ね、アシェル。私はあなたの友だちになれそう?」
私の問いは、壁に跳ね返って、下から聞こえる笑い声にかき消される。返事を待つ間、下からの声が程よい安眠剤となり、私は目を瞑る。
「……もうなってるだろ」
微かな声が聞こえた。
「じゃ、手をつなごうよ」
「君はまたそうやって、うわ」
私は彼の布団に自分の手を忍び込ませ、彼の手を捕まえた。
「あなたの手は温かいわ。本当はアンデットなんかじゃなくて、生きた人間なのね」
「ああ、そうだ。僕はもうずっと…………生かされてる」
宿の古いベッドがきしむ音が、私たちのことを笑っているみたいだった。