この顔にピンときたら2
「それと、カラスの件だが——」
彼が口を噤み、サッと顔を伏せる。
「まずい、入り口に治安官のような格好をした者がいる」
「もう通報されたってこと?」
(流石に早すぎない?)
信じがたいけれど、店内を見回す彼の目を見て、冗談を言っているのではないと気付く。
「行こう」
アシェルが低い声で促す。
「うん」
スペルタッチの画面をオフにし、私はアシェルの指示に従って立ち上がる。リュックを背負い、チラリと入り口を伺う。するとアシェルの指摘通り、肩に階級章がついたベージュの制服に、緑のベレー帽を被った人物がいた。
胸板の厚い彼は、レジ係にスペルタッチの画面を見せている。
(まだ私たちを探していると決まったわけじゃないわ)
気を落ち着かせようと、自分に言い聞かせる。
次の瞬間、レジ係が私たちを指差し、制服姿の人物がこちらに向かって歩き出した。
「まずいわね……どうするの?」
「トイレ脇の非常口だ。急げ」
アシェルが私の手を引く。急いでテーブルを離れてカフェの奥へと進む。周囲の客たちが訝しげな視線を送ってくるが、そんなものを気にしている場合ではない。
非常口のドアを開け放ち、私たちは裏路地に飛び出す。石畳のボコボコした感触を足裏に感じる。
「こっちだ」
「うん」
アシェルと手を繋いだまま、路地を駆け出す。古びた街並みの裏路地を、私たちの足音がこだまする。振り返ると、制服の男性が非常口から姿を見せ、私たちを追ってきていた。
「そこで止まれ!」
厳しい声が背中に突き刺さる。反射的に足を止めそうになった。けれど、アシェルが私の手を握り直し、力強く引っ張る。
「帰りたくないなら、走れ」
「望むところよ!」
私たちは曲がりくねった路地を駆け抜けていく。ぼこぼことした石畳に、足を取られそうになる。それでも、アシェルが進路を選び、狭い路地から広い通りへ、また別の路地裏へと私たちは本能のまま走り抜ける。
「はぁ、はぁ……追ってくる人、増えてない?」
路地裏を走りながら後ろを確認すると、制服姿の男性が三人に増えていた。彼らは無線で何かを話している。
「このまま無闇矢鱈と逃げていても、埒があかないな」
息を切らしながらアシェルが告げる。
「あっ!」
突然、私の足が石畳の凹みにはまり、転びそうになった。アシェルが咄嗟に私を支え、細い路地の影に押し込む。
「大丈夫か?」
「ええ、でも……」
言葉を続ける間もなく、追っ手の足音が近づいてくる。私たちは息を潜め、壁に身を寄せる。制服姿の男たちが交差点で立ち止まり、周囲を見回している。
「分散して探せ!五百金貨が二人だぞ!」
「了解!」
彼らは三手に分かれ、それぞれ違う方向へと走っていった。その足音が遠ざかるまで、私たちは身動きひとつしなかった。
(もはや、歩く五百金貨扱いとか、酷い)
父はとことん、私が嫌いなようだ。
「まずいな……とりあえず、こっちだ」
アシェルに引っ張られ、さらに狭い路地裏に侵入する。薄暗く細い道で立ち止まった彼は、私の手を離すと、中腰になり肩で息を整えた後、くるりと振り向く。
「ひとまずスペルタッチの電源を切っておこう。これ以上、追跡されるのは避けたい」
「スペルタッチ?まさか……位置情報が?」
荒くなった息を整えながら、しっかりと握りしめた端末を見下ろす。それは便利で、私たちの旅においてなくてはならない存在だ。
(今となっては、これが厄介事の元凶ってこと?)
しかし、すぐに気付く。
「でも待って。私はちゃんとうざい親との共有機能をオフにしてあるわ」
だとすると犯人はアシェルだと、視線で非難する。
「僕はそもそも親から位置情報の共有を強制されていない」
彼の言葉にズキンと胸が痛むも、それに浸る時間はない。
「だったらどうして?」
「僕らの親は最悪なことに陛下と懇意にしている。エーテルリンク社に陛下から位置情報を提供しろと圧をかけた可能性が高いだろうな」
アシェルの言葉に、私は眉を顰める。
「陛下を味方につけるなんて、チートすぎるわ」
「でも、挑戦する価値ある敵だとも言える」
ニヤリとアシェルが笑う。
「確かにそうね。とりあえず電源をオフにしておく」
スペルタッチの電源を切り、パンツのポケットにしっかり入れておく。
「この奥も、道が繋がってるようだ。行こう」
アシェルが囁く。私も頷き、できるだけ物音を立てないように移動を始める。
「このまま街中を逃げ回るなんて、無理だよね?」
「ああ。僕たちの写真は既に拡散されている。長くは持たないだろう。ただ、君はあの写真の時より明らかに髪が短いし、今はパンツ姿だから、僕よりはマシだ」
「そうね。あなたも髪色を変えたらいいのかも。魔法で」
何気なく告げると、アシェルが立ち止まる。
「くそっ、キャメロン王国にいるせいか、僕は自分が魔法使いだということをすっかり忘れていたようだ」
「え」
「君の言う通り。見た目なんて魔法でいくらでも変えられる。例えばこんなふうに」
アシェルは言うや否や、指先で素早く魔法陣を宙に描く。
「エスカ・ヴィリディス・トランスメタ、光る色を纏え、変化せよ」
彼の言葉に反応し、魔法陣が弱々しく光る。しかし次の瞬間、アシェルの黒髪が見る見るうちに茶色く変色していく。
(なんで、彼は普通に魔法が使えるのよ……)
実力の差をみせつけられ、少しだけ落ち込む。ただ、今は自分の不出来さをゆっくり嘆いている場合ではない。
「いいじゃない。瞳の色はどうするの?」
明るくたずねる私に、彼は首を振る。
「僕の紫の瞳は、魔法を受け付けない。なんせ、災厄を呼ぶ者だからな」
アシェルは自嘲的に笑う。それから彼は先程と同じ魔法陣を描き、今度は私に変身魔法をかけた。
「黒髪に、青い瞳。バッチリだな」
私の頭を眺め、満足そうなアシェル。
(それは、似合ってるってこと?それとも自分の魔法が上手くいったってこと?)
密かな疑問を抱くも、なんとなく聞けなかった。
「スペルタッチの電源は切った、見た目も多少は変化した。これで、カラスの救出に行ける」
「え、お姉様の居場所がわかったの?」
私たちはお互いの顔を見つめ合う。
「ああ。さっきカフェにいる時、奴らからフレアスクロールで連絡があったんだ」
「え、そうなの?」
「あいつらもカラスを売りさばくより、僕ら自身が手っ取り早く金になることを知ったんだろうな」
「だとしたら、ノコノコ出て行くなんて危険じゃない?」
(飛んで火に入る夏の虫って言うし)
姉を助けたい気持ちはあるけれど、自ら罠に飛び込むのは愚かすぎる。
「きっと、お姉様を餌におびき出した私たちを捕まえて、ルミナリウム王国の大使館に連れて行くつもりなんだわ。二人で金貨千枚だもの」
口にして、とんでもない大金だなと、いまさら青ざめる。
「普通なら罠に飛び込んだりしない。こっちにも考えがあるから、わざと愚かなフリをして奴らの提案に乗るんだ」
「何かいい考えがあるってこと?」
「僕らは、魔法使いだってことを思い出したばかりだろう?」
彼がニヤリと不敵に笑う。
(正直、私はこの国で魔法を使える自信がないけど)
アシェルのことは信じられる。
「そうね、私たちは最強の魔法使いだわ」
心で渦巻く不安を隠して、負けじと不敵に笑い返す。
「決まりだな。行くぞ」
アシェルの掛け声で、私たちはどちらともなく手をつなぎ走り出す。