この顔にピンときたら1
野宿明けの朝。街に戻ってきた私たちは、カフェのテーブルに並べられたいちごジャムがたっぷり乗ったトーストと紅茶を前に、現代人らしくスマートな魔導端末――スペルタッチの画面を優雅に眺めていた。
「宿はどこにしようかしら。できたらお金を払えば、早めにチェックインできるホテルがいいわよね」
アシェルもまた、現代文明の象徴であるスペルタッチの画面を見つめつつ、無言でコーヒーを飲んでいる。その表情はどこか疲れたようでもあり、昨日の野宿が案外堪えたのだろうと私は勝手に解釈する。
「あとは一応、銀行で現金も下ろしておいた方がいいかも知れないわ。博物館とか、遺跡の入場チケットとかはいいとしても、地元の隠れ家的なお店は、スペルタッチ決済ができるかわからないし」
不安を隠すため、観光客気分を演じる私は、優雅に紅茶を啜る。
「ああ、文明って素晴らしいわ」
「まずいことになった」
アシェルがこれ以上ないくらい眉間にシワを寄せ、低い声で告げる。
「どうしたの?」
彼は何も言わず、不機嫌そうな表情のまま、スペルタッチの画面を私の方に向けた。
そこには見慣れた顔――私とアシェルの写真が映し出されていた。しかも、『この顔にピンときたら、大金ゲットのチャンス!!』という、ふざけた文字と共に。
「ちょっとこれ、学生証の写真じゃない」
彼からスペルタッチをひったくる。
「……そこはどうでもいいだろう」
ことの重大さを理解していない彼を睨む。
「どうでも良くないわ。この写真撮影の三日前、月一恒例となってる『反抗デー』で、クロエと夜ふかししながら、ホラー映画を見て、ポップコーンとピーナッツチョコレートをたらふく食べたら、ニキビができちゃったの。ほら見てよここ。私の鼻の横に小さなニキビがあるでしょ?」
画面に映る画像を拡大し、「やっぱり隠しきれてない」と絶望的な気持ちで机に伏せる。
「すまない。今は呑気な君に構っている暇はない。これを見てくれ」
アシェルが私の手から、スペルタッチを奪い去る。
「なによ。ニキビより大事なものなんてあるわけ……」
彼に突きつけられた画面を見て、言葉を失う。
『ルミナリウム王国、コンラッド侯爵令息とルグウィン侯爵令嬢が揃って行方不明に!!家族が懸賞金付きの緊急捜索を要請!!』
大きな見出しに続く記事には、私たちの名前と特徴、さらには私たちが最後に目撃された場所が、ルミナリウム王国の飛行船乗り場だと明記されていた。
さらに記事は続く。
『両家とも口を揃えて「身代金目的の誘拐」である可能性が高いと発表しており、王国もこの件について、全面的に支援する方針です。また、二人を無事に発見した者には賞金が支払われるとのことで、それぞれに金貨五百枚という破格の金額が提示されています』
記事に目を通し終え、首を傾げる。
「金貨五百枚って妥当なのかしら?」
「君は本当に箱入り娘なんだな」
「そうね。こうなるまでお金の価値について考えたことなんてなかったわ」
事実なので、あっさり認めておく。するとアシェルは、わざとらしくため息をついた。
「いいか、医師や弁護士といった中流家庭で、年収三百金貨が平均だと言われている。つまり、僕と君。それぞれに金貨五百枚の懸賞金は、庶民からすれば破格の値段だ」
「そう」
(ならまぁ、そこは怒りポイントじゃないわね)
私は記事の下についたコメント欄に目を通す。
「早く見つかるといいですね」
「若い令嬢が危険に晒されるなんて」
「前途多望な若者を二人も誘拐するだなんてけしからん」
「コンラッド家のアシェル様の顔を初めて見たけど、整った顔をしていますね」
表向きは善意のコメントが並ぶ一方で。
「放蕩娘が駆け落ちか?」
「クラウディア様が亡くなって、次はシャルロッテ様もとなると、ルグウィン侯爵家は、呪われているんじゃないか?」
「この二人の関係は、恋人同士なのか?」
明らかに好奇の声の方が大きかった。
「なんでアシェルだけ褒められてるのよ」
一番目についたコメントを睨む。
「それに、こんな記事が出たら、ますます私の婚期が遅くなるし、どんな顔して戻ればいいのよ」
何も考えずに出た言葉にハッとする。
(やだ、無意識で私はルミナリウムに帰ること前提で話していたわ。でもエーテル健康問題もあるし)
帰りたくないけれど、ずっとキャメロン王国にいる訳にはいかないからと、自分に弁解する。
「むしろ、この記事のお陰で、家に戻らないための明らかな口実ができたとも言えるけどな」
アシェルはいつも通り冷静に見える。けれど、声のトーンはどこか硬い。
「だめよ。エーテル健康問題もあるし、一人で生きて行くには何か仕事を探す必要があるわ。私は共通語しか喋れないし、ここで職を探すのは難しいと思う。だからいつかはルミナリウム王国に戻らないと」
「内容を選ばなければ、仕事なんてどこでもできる。君だけ戻ればいいさ……と言いたいところだが」
「何か問題が?」
(今度はなによ)
次々と降りかかる問題にげんなりする。
「ネットニュースになった時点で、僕らの情報は、全世界に拡散されたも同然だ」
「そうね。魔導ネットワークに一度でも掲載された情報は、国の垣根を軽々越えるでしょうね」
(だって魔導ネットワークのキャッチコピーは、世界を一つにするだもの)
会ったこともない、見知らぬ人と気軽にコミニュケーションできる。
人間が人生で知り合う人の数を、一気に増やすことができる新しいツール。
それが魔導ネットワークだ。
ただ、今回ばかりはそれを心から喜べない。
「金貨五百枚ってことは、みんなが私たちを探すってことよね?」
「ああ。この世界で僕らにとって安全な場所は、もはや、魔導ネットワークが整備されていない場所だけということになる」
「そんな場所、あるわけないじゃない」
「そうだな。とは言え、捕まりたくなければ人で溢れるこの街に、長居することは得策ではないだろう」
アシェルが周囲に目を配り始めた。言われてみれば、確かに店内のざわめきが変わってきたように思える。スペルタッチを持つ人の多くが、私たちに獲物のような視線を向けている気がしてきた。
(落ち着け私。流石に全ての人があの記事に目を通した訳じゃないわ)
目を閉じ、紅茶カップを揺らし、甘い香りを嗅いで心を落ち着ける。