はじめての野宿2
アシェルが手際よく起こしてくれた火を眺め、ふと数週間前のことを思い出す。
「サマーキャンプって、あんなに怖がって参加したけどさ、全然サバイバルじゃなかったね」
寝る場所も食べる場所も提供され、スタッフが用意してくれたアクティビティに参加するだけ。何でも自分でやらなくてはならない今の状況の方が、よっぽどサバイバルだ。
「あの経験がなければ、今頃僕もパニックになっていたかも知れない」
アシェルが本音をボソリと漏らす。
「それに自分のペースで動ける場合、こういった野宿も悪くない気がしてきた」
驚きの発言が彼から飛び出した。
(キャンプに対して、あんなに拒否反応を示してたのに)
実のところ、私より彼のほうが自然に対する適応能力が高いのかも知れない。
「ま、熊には襲われたくはないけどな」
「確かに。魔法が使えなかったら、あれはまずかったよね」
熊と対峙した時の恐怖を思い出し、身震いする。
「でもラスティンがどうにかしただろ」
「流石に一人じゃ無理だったわ」
「魔法も使えないのに、一人で立ち向かおうとする勇気はすごかったけどな」
「確かに。ソフィーなんてラスティン様の勇姿に、完全に乙女モードに入っていたもの」
炎を見つめながら、終始可愛らしかった友人を思い出す。
「……ラスティンとソフィーは、今頃何をしているのかしら」
何気なく呟いた言葉なのに、寂しさが滲み出ていることに気付く。
「最悪、彼らに連絡を取り、助けを求めるという手段もある」
焚き火の炎がゆらめく中、アシェルはリュックから取り出した缶詰を開け、小さな鍋に移し替えながら続ける。
「ただ、その場合二人に迷惑をかけることになるだろうし、親に連絡が行く可能性もある」
黙って、彼が作業する様子を見守る。
「君がもし、この状況に耐えられそうにないなら、遠慮せず二人に助けを求めよう」
「アシェル的にはどうしたいの?」
「それは卑怯な質問だな。でも」
彼は鍋を火にかけながら続ける。
「僕はまだ、やれる気がする」
きっぱり告げた彼の前向きな声が、私の心に直撃する。
「私も、まだやれるわ」
彼の言葉に背中を押されて、挫けている場合じゃないと気付く。
「ならば、彼らにコンタクトを取るのはやめておこう」
「そうだね」
話が途切れ、私たちはしばし無言で炎を見つめる。
(お姉様、大丈夫かな)
アシェルには怖くて聞けなかったけれど、エーテルが薄いということは、漂うエーテルを取り込み作動しているエテルナキューブの効果も弱まるはずだ。
(もしエテルナキューブがその動きを止めたら)
最悪の場合、エテルナキューブに保存された姉の記憶の痕跡……つまり、魂の欠片は空気に混じり、溶けてなくなるかも知れない。
(そうなったら、お姉様は完全にいなくなっちゃうわ。そんなの嫌よ)
ギュッと唇を結ぶ。
姉が死んだ。それを喜んでいたはずの私は、いつの間にか姉に傍にいて欲しいと思い始めている。そのことを嫌でも自覚して、私は動揺する。
「シャルロッテ」
アシェルが私の名を呼ぶ。
「ん?」
炎から目を逸らし、アシェルに顔を向ける。
「シャルロッテお嬢様、記念すべき、野宿を祝うディナーがご用意できました」
茶目っ気たっぷりな笑顔で、アシェルが私に金属製のカップを差し出す。
今までで、一番あり得ない彼の態度に、思わず笑ってしまう。
「ありがとう。あなたの仕事ぶりには、目を瞠るものがあるわ」
アシェルの冗談にのって、差し出された金属製のカップを恭しく受け取る。すぐに温かな重みが手に伝わってきた。
今までなら、こんな簡素な食事を前に顔をしかめていたかもしれない。
(でも今は違うわ)
温かい食事にありつけることが、どれだけ贅沢なことか分かる。
「考えてみれば、親に頼らず自分の足で立とうとしているのは、私たちが初めてじゃないわよね」
カップに入ったトマトスープらしきものを、冷ましながら話を続ける。
「キャメロン王国の人だって、便利で万能な魔法がなくても、こうして文明を築けているわ。だから侯爵家の後ろ盾がなくても、私だって生きていけるはずよ」
「なるほど」
私とお揃いの金属製のカップを持ったアシェルが、隣で腰を落ち着けながら小さく笑う。
「今のは、良い例えだ」
「それに、魔法が使えなくたって、私たちなりの武器があるはず」
「ほう?」
「アシェルは優秀な頭脳と冷静な判断ができる。私は、そうね……」
自分の強みを考え、言葉が続かない。
「私も、できることを見つけていかないとね」
思いつかなかったため、私の強みについては先延ばしにする。
「君は十分やってるよ」
「えっ?」
「さっきの服の交渉とか、見事だったじゃないか」
思いがけない言葉に、私は少し照れくさくなる。でも、嬉しかった。
「謙遜する必要はないさ。君の機転の効いた判断には何度も助けられているし。ノーテンキな所にも救われている」
「どうしたの?褒めても最高級スープはあげないわよ」
コップを彼から庇うように遠ざける。そんな私に彼は穏やかな笑みを返してきた。
「実のところ、君に図書館で声をかけられる前に比べて、今の僕は、殺したい気持ちを手放せている」
「え」
「生まれてからずっと、最低な家族に最低な社会。最低な毎日の繰り返しだった。でも、今はそうは思わない。最高とまではいかないが、それでも『殺したいリスト』に、新たな僕を書き込まずに済んでいる」
さらりと告げられた不吉な言葉に、ぽかんとしてしまう。