ピンチは続く
またもや宿の扉が目の前で閉ざされた。その重い音が、私たちの絶望を一層強くする。
「ここも満室らしい」
アシェルが肩をすくめて振り返る。
「……次の宿に行くわよ」
かろうじて冷静さを保ちながら、期待が裏切られた宿に背中を向ける。
「きっと一件くらいキャンセルが出てるはずよ」
励ますように放つ私の声は、自分でも隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
(だってもうこれで十二件目よ)
現在キャメロン王国では『遺跡祭り』の真っ最中らしく、町中が観光客で溢れていた。その結果、宿の空きが一件もないという驚くべき事実に直面している。
(飛行船が混んでたのは、てっきり夏休みだからだと思ってたのに。つまり、詐欺師が張り切る理由はこれだったわけね)
悔しさで、ギュッとスカートを握る。
(宿を事前予約しておかなかった私たちが悪いのは分かっている。けど……)
観光地なのに、ここまで泊まる場所がないなんて想定外だ。
街灯がぼんやりと道を照らす夜の路地を進みながら、無理やり冷静さを保とうと、スペルタッチを手にする。それから徐ろにブラウザ検索アプリを開き、『今夜泊まれる周辺の宿』と入力する。
数秒後表示されたのは、『申し訳ありません。条件に該当する宿は0件です』という、がっかりする検索結果だった。
「駄目だ。スペルタッチを検索してみたが、キャンセル待ちもないようだ」
アシェルの後ろから聞こえるため息が、私の神経を逆なでし、思わず天を仰ぐ。
「ねぇ、ため息つかないでくれる?」
足を止めて振り返ると、アシェルはきょとんとした顔をしていた。しかしすぐに、彼は眉をひそめてムッとした表情を浮かべる。
「何がだめなんだよ。ただのため息だろう」
「だって、イライラしてるのが丸わかりじゃない」
つい声が大きくなる。お祭りではしゃぐ声に囲まれる中、私のトゲトゲしい声が妙に響く。
「宿くらいちゃんと確保しとけよ」
「私のせいって言いたいわけ?」
「別にそうは言ってない。しかし、計画性がないのは事実だろ」
「計画性? あなたも確認しなかったじゃない。 全部私に押しつけるつもり?」
「別に押しつけてない。ただ――」
「ただ、何よ!」
思いのほか、声のボリュームがあがる。その瞬間、通り過ぎる人々がこちらを何事かと、ちらりとうかがう。気まずさに気づいて声を絞る。
「……もういい。どうせ言い合っても宿が見つかるわけじゃないし」
怒りが込み上げてきて、何も言わずにその場を立ち去ろうとした。けれど、後ろからアシェルの声が追いかけてくる。
「おい、待てよ! どこに行くつもりだ」
「気の向くまま歩くのよ。 どうせ宿なんてもう見つからないんだから」
(自分でも分かっているわ。八つ当たりだってことは。でも……)
行き場のない苛立ちをどうすればいいか分からない。
そのとき、急にアシェルが私の腕をつかんだ。
「落ち着けって。お互い疲れてるだけだ」
その声は少し低く、いつもの彼の調子だった。私が振り払おうとするより早く、彼は手を放す。
「悪かった。気遣いが足りなかったし、言い過ぎた」
「私も八つ当たりして……ごめん」
小さく漏らすと、アシェルは肩をすくめた。
夜風が冷たく吹き抜ける中、私たちはしばらく無言で立ち尽くす。ドンと音がして、空を見上げると、大きな花火が夜空に上がった。
赤と金の火花が広がり、まるで夜空に咲いた一輪の華のようだ。
(……きれい)
心がその美しさに震えた瞬間、花火は一瞬で消え去ってしまった。
(私たちの希望も、あの花火みたいね)
次々と打ち上がる花火を見上げながら、私は皮肉な笑みを浮かべる。
華やかに打ち上がり、空いっぱいに広がる花火は、まるで私たちが抱いていた期待のよう。
キャメロン王国で素敵な冒険が始まるはず――そんな夢も、お金と荷物を盗難されて、姉が誘拐されて、宿がないという現実の前であっけなく散っていく。
咲いては消える花火の下で、私は自分の無力さを痛感する。
「どれだけ綺麗な光を放っても、花火は必ず消えていく。私たちの家出も、あんなふうに儚く散っちゃうのかも」
後ろ向きな私の言葉は、遠くであがる歓声にかき消される。
(今の私には、あの一瞬の輝きが、むしろ虚しく感じられるわ)
再び大きな花火が打ち上がる。今度は青と白の光が、まるで星屑のように夜空にこぼれ落ちていく。その美しさに息を呑むものの、すぐに消えていく光を見つめながら、今度は私が深いため息をつく。
(これから私たちは、どうすればいいの?)
花火が描く光の軌跡は、行き場を失った私たちの姿そのものだ。どれだけ美しく光り輝いても、最後には暗闇の中へと消えていく。
「……花火は確かにすぐ消える。なぜなら、上で開いた花火が鎮火しなかった場合、火の塊が下まで落ちてきて危険極まりないからだ」
アシェル節が炸裂し、私は思わず吹き出す。
「あのさ、花火の仕組み的な解説は求めてないんだけど」
彼を見ると、意外にも真面目な顔をして空を見上げていた。
「僕たちは、まだ打ち上がっていない花火みたいなものだ。今は暗い筒の中にいても、きっといつか——」
急に恥ずかしくなったのか、アシェルは言葉を途切れさせる。頬を少し赤らめながら、咳払いをした。
「……やはり僕には、紳士的な言い回しで上手く君を励ますことはできない」
彼が明かした本音に、思わず笑みがこぼれる。不器用でも、彼なりに私を慰めようとしてくれた気持ちは伝わるし、逆に温かみを感じるくらいだ。
「ありがとう、アシェル」
「礼を言われるようなことじゃない」
照れ隠しのように髪をかき上げながら、アシェルは付け加えた。
そのせいで、きらりと光る紫の瞳が明るみに出る。
(きれいだし、私は嫌いじゃないわ)
ふと、彼がいつも隠そうとする瞳を見てそう感じた。
「僕だって、さすがに侯爵令嬢を野宿させることが、どれだけあり得ないことくらいかは理解しているつもりだ」
彼はおどけたように小さく笑う。
「私だって、野宿する侯爵令息様なんてさすがに見たことないわ」
彼につられて苦笑する。
「笑っとかないと、やってられないな」
彼の声に頷く。私は大きく息を吸って、夜空を見上げた。
花火が夜空に大輪の花を咲かせている。疲れと苛立ちで一杯だったけれど、どこか少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
「じゃあ、もう一軒行ってみる?」
「当然だ」
アシェルが先に歩き出す。私は遅れないよう彼の隣に並ぶ。不安と疲労が消えさった訳じゃないけれど、不思議と少しだけ希望が見えた気がした。