ケンフォード魔法学校
約二ヶ月ぶりに戻ってきたケンフォード魔法学校。
朝日に照らされ、白亜の塔が連なる光景は荘厳な雰囲気を醸し出している。
寮から学科塔へと続く道の脇に植えられた、水晶のように透明な花びらを持つ「ルミナフロラ」が朝露を浴びてキラキラと輝き、春の陽気を感じさせる柔らかな風に揺れている。
学科塔へと向かう生徒たちが揃って身にまとうのは、深い藍色のローブだ。
特注品となるローブは、夜空に星を散りばめたかのようなきらめきを帯びており、胸元には金糸で刺繍された学校の紋章──「魔法書と杖を抱えた翼」が美しくあしらわれている。
インナーは灰色のジャケットに白いシャツ。ボタンには、小さなルーン文字が刻まれており、魔法的な加護が施されているのだとか。
学校指定のボトムスは、落ち着いたグレーのチェック柄で統一されており、膝丈のスカート、もしくはパンツのどちらかを選ぶことができる。
性別に問わず、その日の気分でパンツかスカートを選べるとされているものの、ほとんどの人が生物学的な見た目から、各々正解と思われるボトムスを着用中。
学校側がどんなに私たちの内面に配慮してくれたとしても、人は目に映るものを事実だと認識しがちだという現実があるからだ。
現に今だってパンツを履いた女子が、好奇の視線に晒されている。
「あいつ、男だったのかよ」
「確かに、あの体型は男子だよな」
明らかに本人に聞かせるような大きな声で交わされるやりとりに、周りの生徒たちもつられたようにクスクスと笑う。
「ほんと最低」
さっそく不快な状況に遭遇し、周囲に聞こえないよう、音量を下げて呟く。
飛び火する状況は避けたいので、声をあげて注意するつもりはない。ただ、ムカつく気持ちは抱く。
「あんな奴、コルセットで窒息しそうなほど、メイドに締め付けられる刑に遭えばいいのに」
ドレスで着飾る苦しみを一度でも味わえば、子どもみたいに女子をからかう事に情熱を燃やす男子だって、私たちに三割り増し優しくなれると思う。
登校する生徒たちに紛れながらイライラしてしまうのは、姉のいない現実から目を逸らすためかも知れない。
私の視界に映るのは、一見すると二ヶ月前と変わらぬ風景だ。
談笑しながら仲間と歩く者、授業で使う魔道具を急ぎ抱えて走る者、周囲の目を気にしながら慎重に一人で歩く、私みたいなはぐれ者がいる。
個性溢れる人が集う中、私を含め、嫌な思いをしている人を庇う勇気ある者は存在しない。
もし姉が今の光景を目撃したら、きっと淑女らしい方法で彼らへ制裁を与えていたはずだ。
けれど、勇敢なる淑女の姉はいない。
まるで、姉だけを切り取る魔法を施した写真を眺めているような感覚だ。
姉はいないのに、以前と変わらず生徒たちは笑顔を見せている。
(もしかしたら、この中にお姉様を少なからず苦しめた人がいる可能性だってあるのに)
まるで姉など最初から存在しなかったかのように、変わらぬ日々がここにはある。
無情な現実を改めて実感した途端、なんとも言えない苛立ちが湧いてきた。
(お姉様を無視していいのも、意地悪していいのも、妹である私だけの特権だったのに)
今にも叫び出したくなる気持ちを堪えるため、口を固く結び、リュックのストラップを強く握りしめた時。
「フィデリス殿下よ!」
唐突に黄色い声があがった。
その出どころを探ると、女子の集団が姉の元婚約者を遠巻きから眺めている姿があった。
「朝からその姿を拝見できるなんて、今日はいい日だわ」
「いつ見ても、素敵よね!」
「やっぱり、エリザ様が次の婚約者候補なのかしら」
「どうだろ。少なくともクラウディア様の喪が明けるまでは、自粛されるのではなくて?」
「喪が明けるって、一年も婚約者の座が開くってこと?」
フィデリス殿下の登場をきっかけに、生徒たちの間でざわめきと共に、噂話が花開く。
噂話の中心となる殿下は、姉とよく似たブロンドの髪に深海の青を思わせる瞳が印象的な青年だ。
彼は知的な笑みを浮かべ、人々を魅了している。
そんな彼の隣を歩くのは、コンラッド侯爵家のエリザ様。
どうやら父の情報は正しかったらしい。毛先をコテで巻いた黒髪をしなやかに揺らし、誇らしげに胸を張り、優雅な足取りで歩くエリザ様は美しい。
「ただし、お姉様には劣るけど」
譲れない主張なので、ひっそりと言葉に残す。
「昨日は『魔導通信史概論』の課題に取り組んでみたのですが、なかなか骨が折れました」
「あれは教科書を参考にしただけでは物足りない箇所があるからね」
「はい。先生が課題にされるのも頷けます」
エリザ様は琥珀色の瞳を輝かせ、優しげな笑顔を見せる。
「皆様も、魔導通信史概論の課題には、お気をつけ下さいませ」
彼女が微笑む先にいるのは、ひと目でルクス寮に所属していると判別可能な、右上がりなった金のストライプが入る、えんじ色のネクタイをしめた集団だ。
「なにあれ。クラウディア様のことがあってまだ日も浅いのに、もう殿下に媚を売っているわけ?」
「エリザ様って、クラウディア様の親友ポジだったのにね」
「そんな浅はかな女に鞍替えするなんて、フィデリス殿下にはがっかりなんだけど」
まるで私の声を代弁するかのように、ひそひそ話に花を咲かせるのは、緑地に金のストライプが入るネクタイを締めたソリス寮の子たち。
彼女たちは、あからさまに、驚きと嫌悪を滲ませた目で二人を見つめている。
「SNSに投稿しちゃおっかな」
「やめなって。ルクスに喧嘩を売るのはまずいってば。お貴族様が出てきて守秘義務だなんだって、厄介なことになるよ」
「匿名の掲示板に投稿すれば大丈夫だって」
ソリス寮の女子が、クリスタルで出来た四角い端末――スペルタッチをフィデリス殿下とエリザ様に向けた。
(どう見ても、無断で写真撮ってるし)
あとで有言実行とばかり、SNSで投稿するに違いない。
「何だか色々と一波乱ありそうな予感がする」
平凡な日常に訪れる、ちょっとした嵐の予感。それを肌で感じ取った私は、うっかり口元を緩ませるのあった。