姉が死んだ1
黒いベール越しに見つめる棺は、私をあざ笑っているように見えた。
(お姉様、どうして?)
てかりを帯びた土の穴にすっぽりと収まる棺を睨みつける。
掘り起こしたばかりの、濡れた土の匂いが鼻を突く。
(崖から突き落すとか、寝込みを襲うとか、通り魔を装いナイフで刺すとか、魔法に失敗したふりをしたり……とにかく、お姉様を殺すタイミングはあったのに)
一つも実行しない内に、姉は死んでしまった。
(そんなの、ずるいわ)
繊細な黒いレースで覆われた両手を眺め、唇を噛む。
春の陽気を含む風が頬をかすめ、私の視界を覆う黒いベールをやわらかく揺らす。
墓場に吹き込む風の心地よさが、怒りで固まった胸の奥を解き、喪失感が顔を出しかけた。
(お姉様、どうして死んだの?)
当たり前のように答えはない。
*
クラウディアは、ルグウィン侯爵家の長女で、十八歳。容姿端麗な上に、慈悲深く、魔法の才能にも優れており、次期国王候補であるフィデリス王子の婚約者でもあった。
以上が世間に公認されている、私の姉クラウディアのプロフィール。
ただし、妹である私からすると姉は、「姉妹平等に与えられるべき才能や権利を、根こそぎ奪い取って存在する人」と、変換される。
そんな姉は、数週間前に遺体となって発見された。
発見場所は、姉と私が在籍する全寮制のケンフォード魔法学校内。彼女が所属するルクス寮の自室だ。
彼女の遺体の傍には、睡眠薬と空になった瓶が見つかった。
現場に争った形跡はなく、彼女は周囲と目立ったトラブルも起こしていなかったため、治安維持局は姉の死因に事件性はない――つまり、「自殺である」と判断した。
王国で名の知れた姉の自殺は、周囲への影響を考慮して、心臓発作と公表されている。
姉は日記も遺書も残していなかった為、死に至った真相は闇の中。
前触れなく自殺した姉の死に直面した家族――父、母、兄は悲しみに暮れ、姉の死に納得がいかないだけではなく、「あの時、こうしていれば」と、各々自責の念に苛まれている。
――というのが、私ことルグウィン侯爵家の次女、シャルロッテを取り巻く、ここ数週間の状況だ。
(自分だけ、勝ち逃げするつもりなら許さないから)
口を曲げ、棺を睨みつけるも姉からの返答はない。
(でも、死んだ人に勝負を挑んで勝つためには、どうしたらいいんだろう?)
難題を前に、やっぱり姉はずるい人だと実感する。
「全能の主よ、この若き魂をあなたの光で導きたまえ。彼女が新たな安息の中で、清い心を持ち、永遠の平安を得ますように」
神父の低く抑えた声が静かな空気の中に溶けていく。
その横で父は、全ての感情を押し殺したように微動だにせず立っている。
母は、ハンカチを片手に嗚咽をこらえながら、真新しい棺から顔を反らしている。
プラチナブロンドの髪と若草色の瞳を持つ、私そっくりな顔をした兄は、困惑した表情で棺に視線を向け、ひたすら沈黙を守っていた。
「安らかに眠れ」
(この最悪最低な状況で、祈りの言葉とか意味あるの?)
心の中で、仕事を全うしているだけの神父にケチをつける。
(どんなに悔やんで、人知れず懺悔したところで、お姉様は二度と戻ってこない。つまり私が「お姉様を殺したい」と密かに温めていた気持ちは、永遠に叶わないんだから……ムカつく)
黒いレースの手袋越しにも震えが伝わるほど、きつく拳を握りしめる。
「シャルロッテ、ふて腐れた顔はやめなさい」
片方の眉をつりあげた父が、咎めるように小声で告げた。
即座に、姉を失い悲しみに暮れる妹の顔をつくる。
(お父様だって、人のことを言えないじゃない)
私の目に映る父は、顔色が悪く、やつれて、目が虚ろ。
(まるで、死霊魔法で蘇ったアンデッドみたい)
一家の主として、懸命に取り繕うのに必死な表情に努めているものの、その仮面は確実に剥がれ落ちてきており、どう見ても娘を失い悲しみに暮れる父親の顔になっていた。
「さあ、ディアのために、祈りなさい」
「……はい、お父様」
促されるがまま、棺に向かって手を組む。
(お姉様が安らかに眠れるように……ねぇ、神様。お姉様が安らかな眠りについているのなら、どうして残された家族はこんなに苦しいの?私たちは逃げないで、ちゃんと生きているのに、それって理不尽じゃない)
心の中で悪態をつきながら、大きく息を吸う。
(ごめんなさい神様。こんなの八つ当たりだよね)
息を吐き出しながら、頭をふって雑念を払い、祈りの言葉を改めて紡ぎ出す。
(言いたいことはたくさんあるけど、お姉様のために祈りを捧げます。どうか安らかに眠ってください)
言われた通り、姉の冥福を祈る。
(お姉様、消えてくれてありがとう。それと――)
不誠実な私の祈りは、父の慌てふためく声によって打ち切られた。