暗い優越感(コミカライズ第2巻発売記念番外編)
本日2026年8月17日(月)よりコミカライズ第2巻が発売です!
(ミスティアのために、身を引いたのに)
魔法学園の西棟。学生寮となっているその棟の一室に、アリーシャの私室はある。
水の上位精霊アリエルは、二階の部屋の窓から中庭を食い入るように見つめていた。彼の視線の先には、陽光を浴びてキラキラと光る銀髪をたたえた少女――ミスティア・レッドフィールド男爵令嬢の姿。
ミスティアはベンチに腰かけ、穏やかな表情で読書を楽しんでいる。その隣には金髪碧眼の美しい光精霊が座っていた。
――少し前までは、自分があの席に座る権利を持っていたのに。
アリエルは唇を噛み、組んでいた腕に爪を食い込ませる。痛みなど感じなかった。彼の意識は完全にあの二人へ向けられていたからだ。
(許せない。なぜ私じゃないんだ? なぜミスティアは当然のように新しい精霊を迎え入れた……?)
自分が追い詰めたからだ。
そんな囁きが聞こえた気がしたがアリエルは首を振った。自分のせいじゃない。ミスティアが私を愛してくれないのが悪いんだ。そう言い聞かせてチッと小さく舌打ちする。
すると、突然スキアが席を立ちミスティアの隣を離れた。そしてそのままどこかへ立ち去っていく。何か用事があったのだろう。スキアがミスティアの隣を離れるのは珍しいことだ。
アリエルは息を呑むと、机の上に置かれていたチョコレートの箱を手に取り、急いでアリーシャの部屋を出ていこうとする。すると壁に寄りかかっていた風の上位精霊シシャが口を開いた。
「……やめておけ」
彼はアリエルがどこへ行こうとしているのかお見通しのようだった。見透かされたアリエルは苛立ちと羞恥にサッと頬を染め声を荒げる。
「ッ、君には関係ない! 口出ししないでもらえるかな」
そう言い捨てると、アリエルは乱暴に扉を閉めて去っていった。
*
アリエルが駆け足で中庭に降りると、そこには焦がれてやまない紫水晶が居た。
――ミスティア。彼女はアリエルの姿を認めると、菫色の瞳に驚愕と拒絶の色を浮かべた。しかしアリエルは微笑む。もはや、どんな形でもミスティアに見つめてもらえるならそれで良いとさえ思えた。
「やぁ、今日は天気が良いから外で読書かい……?」
漏れ出た声は彼自身が驚くほどに優しく、掠れていた。ミスティアは読んでいた本を静かに閉じる。
「私に何の御用ですか?」
穏やかだが冷たい声に、微笑んでいたアリエルの頬が一瞬引きつる。しかしゆっくりとミスティアへ近づくと、手に持っていたチョコレートの箱を彼女へ差し出した。
「これ、良かったら食べて。王都で行列ができるほど美味しいって評判の、チョコレートだ」
アリエルの話は半分は本当だった。
――本当は、ただ美味しいだけのチョコレートではない。このチョコレートは巷で『恋の妙薬』として人気を博している。
それは、『口にしたものの本音を引き出す』という魔法薬が練り込まれているのだ。
つまりは、自白剤というわけである。効能は酒を飲んだ時に口が軽くなる程度の、ごく軽微なもの。
アリエルは、ミスティアから愛の囁きを聞くのはどこかで諦めていた。今となればどんな言葉でもいいから、ミスティアからアリエルに対しての言葉を引き出したかった。無関心だけは耐えられない。
(私を罵ってくれ。裏切り者だと。信じていたのにと、泣きつき縋ってくれ……!)
アリエルは不気味な微笑みをたたえながら、箱を開けてミスティアへ詰め寄る。
「食べて。ほら、口を開けてごらん」
しかし、裏切り者の元契約精霊が不自然に差し出してくるお菓子など、当然口にできるはずもない。今のアリエルはそんなこともわからないくらい理性を失っている。
ミスティアが身の危険を感じ逃げ出そうとしたその時だった。
「――はは、これはこれは。裏切り者の水精霊殿じゃないか」
軽やかで甘い声。ミスティアとアリエルが声の方へ視線を向ける。そこにはこの世の者とは思えないほどに美しい、光精霊スキアが佇んでいた。
彼は微笑んでいる。だが、目の奥は笑っていない。
「我が主に御用かな? ……あぁ、贈り物。ならば従僕である俺が毒見をしないといけないな」
スキアの発する張り詰めた空気にアリエルが動けないでいると、長い腕が伸び彼の手から箱が奪い取られた。
「な……! 貴様、何を……!」
そこでやっとアリエルが制止の声を上げる。しかしスキアは無表情でチョコレートを無造作に掴み、それらを全て口の中に無機質な動作で放り込んだ。空箱が青い芝生に空しく落ちる。毒見どころかすべて平らげてしまったスキアにアリエルは呆然としている。
「ふぅん……なるほど」
スキアが指に着いたチョコレートを舐める。毒ではない、もっと厄介なもの。アリエルの愚かしさにスキアは小さく息を吐いた。
「こんな小細工をするほど必死とは」
クスリ、という笑みと共に落とされたスキアの言葉に、アリエルはヒュッと息を呑む。
(――憐れまれた)
羞恥と怒りがカッと体を駆けのぼる。彼は小刻みに震わせた後、屈辱に顔を歪ませてその場を立ち去るしかなった。
その後ろ姿を、スキアは愉悦に浸りきった表情で見つめ続けていた。――どこまでも暗い優越感の奔流が彼の胸に満ちる。
(そうだ、消えろ。……ミスティアは、もう俺だけの主だ。お前なぞが入り込む余地はない)
幸いなことに、スキアの表情を背後にいるミスティアがうかがい知ることはなかった。
スキアは暗い笑みを蝋燭の火を吹き消すように収めると、ミスティアを振り返った。
「一人にしてすまなかった、怖かっただろう」
いつもの優しいスキアの表情に、ミスティアはほっと緊張を解く。
「い……いいえ。あの、小細工と仰られていましたが、あのチョコレートに何かが入っていたのですか? 体は、大丈夫なのですか……?」
光精霊であるスキアならば毒を盛られても平気だろうが、心配なものは心配である。主の気遣いにスキアは目を細める。
「ふふ、問題ない。ただ……」
スキアはひどく緩慢な動作で、長躯をかがめてミスティアの耳元に唇を寄せた。ミスティアはびくりと肩を揺らし、息を止め固まる。
「――今の俺に、どうか『あなたのことをどう思っているか』という質問は、しないでくれたら助かるかな……」
その甘やかで低い声は何よりも強力な毒となり、ミスティアの耳の奥に沈んでいった――。





