1 初めまして、僕の婚約者様
「初めまして、僕の婚約者様?」
――魔術学園の大広間、朝の会終了直後。教室へ移動していく生徒の雑踏が耳に騒がしい。
ミスティアは、突然にして告げられた彼の言葉にぽかんと口を開いた。
彼の名は、ノア・ロスローズ辺境伯令息。
本日をもってアステリア王立魔術学園に編入してきたばかりの、彼女とはまったく初対面の男子生徒だ。
(い、一体どういうことなの……!?)
ミスティアは状況が飲み込めず、眉尻を下げた。
*
時は少し遡り、ノアが編入生として全校生徒に紹介される一時間ほど前。
ミスティアは寮の自室でスキアと二人きりの時間を過ごしていた。
今日は、アステリア王国立魔術学園の新学期当日。そして今学期が終われば、ミスティアはとうとう学園を卒業することとなる。
(なんだか、あっと言う間だったな……)
学園を卒業すれば、ミスティアは晴れて国家公認の『精霊使い』になることができる。
その後は領地へ身を置き、叔父が没落寸前まで食いつぶしてしまったレッドフィールド領を、少しずつ再建していく予定だ。
ミスティアは向かいのソファに座るスキアへちらりと視線を向けた。
長い足を組み、優雅に紅茶を嗜んでいるスキアは言葉を失うほどに美しい。ミスティアは今でも、この美しい精霊が自分と契約してくれていることがたまに信じられなくなる。
学園を卒業しても、ずっとスキアに傍に居て欲しい――。
とミスティアがじっと彼を見つめていると、二人の視線がふと絡み合った。ミスティアの心臓がドキリと跳ねる。
「そんなに見つめられたら、穴が開いてしまいそうだ」
「へっ!?」
そうスキアにフッと笑われ、ミスティアは頬を染めつつ目を瞬かせた。
彼女が慌てふためいている間に、スキアが素早く席を立ちミスティアの隣へと腰かける。突然距離を詰められたミスティアが、頬を染め身を固くさせた。
「これなら、もっとよく見えるだろうか? 存分に見てくれ。俺の全てはあなたのものなのだから」
「……っ」
低く甘やかな声がミスティアの耳朶をくすぐる。
絶世の美丈夫に至近距離で見つめられ、彼女は真っ赤な顔で唇を震わせた。いつまでたっても、ミスティアはスキアの破壊的な美しさに慣れない。美人は三日で飽きるというがあれはきっと嘘なのである。
「あ、あんまり虐めないでください……っ」
「ふふ、すまない。困っているあなたが可愛らしくてつい」
スキアが悪戯に笑う。
和やかな空気が流れだし、ミスティアはほっと胸を撫でおろす。するとスキアが彼女を見つめたままこう言った。
「そういえばミスティア。あなたはあの時の約束を覚えているだろうか?」
「あの時の約束、ですか?」
思いがけない話題に、ミスティアがきょとんと目を丸くさせる。
「あぁ。いつか屋根裏のバルコニーで、『学園を卒業したら結婚しよう』と約束を交わしたことがあっただろう」
「!」
確かに、ミスティアとスキアは結婚の約束をしている。
かつて、レッドフィールド家邸宅の屋根裏部屋にあるバルコニーで。スキアが『あなたの事を一生大事にして、愛することを誓う』と彼女へ求婚したのである。
ミスティアはそれを喜んで受け入れた。
しかし彼女はまだ学生の身。アステリアでは、学生の結婚はよしとされていない。もし卒業を待たずに結婚してしまえば、『学業をおろそかにした半端者』の烙印を押されてしまうのだ。
そのため、二人は話し合い『結婚は学園を卒業してからにしよう』と決めたのである。
スキアの熱い眼差しを受けながら、ミスティアは恥じらいつつも彼へ答えた。
「はい、覚えています。今学期が終われば私も卒業ですし、そろそろ、け、結婚の準備を進めないとですね」
「覚えていてくれて嬉しいよ。あなたと結ばれる日が来るのが待ち遠しい」
スキアが愛おしそうに目を細め、ミスティアの手を取る。
そのまま彼は流れるような動作で、思い人の手の甲へと口づけを落とした。ミスティアの頬がかぁっと上気する。心臓が早鐘を打って、瞳が潤んだ。
対するスキアはただ飄々《ひょうひょう》と笑んでいるばかり。それがミスティアの目には、余裕しゃくしゃくといった態度に映った。まるで彼女の一挙一動全てがスキアの掌の上で転がされているよう。
(なんだか悔しいわ。いつも私ばかりがドキドキさせられて……)
すると突然、ミスティアの心の中でスキアに対する謎の対抗心が芽生えた。
彼女はスキアの手を取ると、自分がされたように彼の手の甲へと口づけを落としてみせた。不意を取られたスキアが目を丸くし、薄い唇をわずかに開く。素直に驚く彼の姿は珍しい。
「ミ、ミスティア?」
「ふふっ、お返しです」
まさに『してやったり』というような表情を浮かべるミスティア。しかし恥じらいが捨てきれていないのか、その頬はわずかに赤く染まっている。
ミスティアは、彼に『これは不意を取られたな』と言われるのを待った。
しかしスキアは先ほどの表情のまま固まってしまい、動かない。
「スキア?」
どうかしたのかと、ミスティアが心配げな声を出したその時。
突然彼女の体が、スキアの方へと強く引っ張られた。
「わっ」
そのままミスティアは、スキアに覆われるように抱き締められてしまう。――すると。
「可愛い」
「え」
「好きだ。あなたのことを、世界で一番愛している」
「……っ」
ストレートな殺し文句に、ミスティアは思わず言葉を失った。
彼の真っ直ぐな言葉が、ミスティアの心の隙間を埋めるように染み入ってくる。胸がぽかぽかと温かくなり、彼女はそっとスキアの広い背に腕を回した。
「私も、スキアのことを愛しています。世界中の誰よりもずっと」
静かなミスティアの告白に、スキアが腕の力を緩め彼女と向き合う。すると彼はミスティアの髪を一房掬い、そこへ口づけを落とした。
上目遣いに、スキアがじっとミスティアを見つめている。
その瞳にはどす黒い執着の炎が揺らめいていた。ミスティアは心臓をぎゅっと握りしめられたように身動きがとれなくなる。
――そうだ、スキアの『愛』は決して生易しいものではない。
ミスティアはいつか彼が言った台詞を思い出す。
『もしあなたがどこかに嫁ぐことを強要されることがあれば、俺は国を滅ぼそう。いっそ二人きりになるまで世界を焼こうか』
スキアは口だけの精霊ではない。裏切りは絶対に許されないだろう。彼が本気をだせば、世界さえ滅ぼせてしまうのだから。
あまりに重すぎるスキアの愛。
けれどミスティアは、普通の令嬢ではとても受け止めきれないようなスキアの深い愛が――嬉しかった。
この感情が決して健全なものではないとわかっていても。
「ミスティアの花嫁姿はさぞ美しいだろうな」
「……気が早いですよ」
二人の唇がそっと重なる。
こうして二人は再び、将来の結婚を固く誓い合ったのだった。
*
話は冒頭へ戻り、魔術学園の大広間。
移動していく生徒の波につられ、ミスティアもまた席を立ち大広間を離れようとしていた。
そして突然呼び止められ、先ほどの台詞を告げられたのである。彼女は驚きに目を大きく見開く。
(婚約者って……まさか、私に言ってるわけじゃないわよね?)
ミスティアは目の前に立つ、ノア・ロスローズ辺境伯令息の姿をまじまじと眺めた。
年の頃は彼女と同じくらいだろうか。スラリとした体躯で上背がある。驚くほど整った顔立ち、黒髪に灰色がかった金の瞳。両耳には赤い宝石がはめ込まれたピアスが飾られている。
表情はどこか暗い陰を含んでいるように見え、それが彼のミステリアスな魅力となっていた。
困惑するばかりのミスティアへ向かってノアが再び口を開く。彼が首を傾げると、耳元のピアスがシャラ、と揺れた。
「貴方のことですよ? 銀髪の姫君」
(ひ、姫君って)
気障な台詞。ミスティアは戸惑いながらも、やっとのことでノアに返事をする。
「初めまして、編入生様。ええと、失礼ですが人違いでは?」
彼女の言葉に、歓談を交わしていた女子生徒たちがしんと静まり返った。二人の会話に聞き耳を立てているのである。
するとノアがふっと微笑み、褪せた金眼を優しく細めた。
彼の笑みを盗み見た先ほどの生徒たちが、キャッと小さな悲鳴を上げる。――ノアは稀にみる美男子。現在大広間では、珍しい時期に編入してきた『謎の美しい編入生』の話題で持ちきりだ。
そんな美しいノアの唇から、再び声が発せられる。
「いいえ間違いありませんよ、ミスティア・レッドフィールド嬢。僕の名前はノア・ロスローズ。今日から僕は、歴とした貴方の婚約者です。ちなみに両家も同意済み。どうかお見知りおきを」
「は……い……?」
ミスティアは今度こそ言葉を失う。
ノアの瞳に驚いたミスティアの顔が映り込んだ。彼は微笑んではいるが、目は笑っていない。まるで捕食者を思わせるような凶暴な眼差し。そんなノアに、ミスティアはどこか薄ら寒い心地を覚えた。
スキアと結婚の約束を交わした矢先、突如として現れたミスティアの『婚約者』を名乗る青年――。
彼女はとても受け入れることができず、再びノアへ異を唱えた。
「申し訳ありませんが、そのお言葉が事実だとしても婚約をお受けすることはできません」
ミスティアがきっぱりと断ると、ノアが苦笑を浮かべつつ肩をすくめてみせた。
「手厳しいな。……でも貴方は何もわかっていません、美しい人。この婚約はオーラント陛下の許しを得た決定事項で――」
彼がミスティアへ言葉を続けようとした、その時だった。
第3部、開始です!
そして皆さまにお知らせがございます。今週の3/28(金)に、こちら作品の書籍が発売される運びとなりました!書店でお見掛けした際は、お手に取っていただけると作者が泣いて喜びます。ミスティアもスキアも、とっても素敵なキャラデザに仕上げていただきましたよ~!
こうして本にしていただけたのも、ひとえに皆様のお陰でございます。この場をお借りして感謝申し上げます。
下記↓↓↓に書影を貼りましたので、ぜひ一度ご覧になっていただけると嬉しいです!





