34 花かんむりを貴方に
「ほんとうに、行ってしまわれるのですか?」
ミスティアが瞳を潤ませてソルムを見上げる。
敬愛する主から一心に見つめられ、彼はうっと身をすくませた。決意したはずなのに、ミスティアから懇願されればその決意が簡単に揺らぎそうになる。
――ここはアステリア、レッドフィールド家邸宅の玄関先である。時刻は早朝で、まだ少しだけ肌寒い。森から流れてきた淡い霧に、明るい朝陽が差し込んだ。旅立つ日にふさわしいなんとも清らかな朝だ。
「もう決めたことですから」
ソルムの元主が大罪人なのだと知れ渡ったら、いずれミスティア達へ迷惑がかかってしまう。と口にせずソルムは目を伏せた。ミスティア達であればきっと「そんなことは気にしないで良い」と言うだろう。だが、それではソルムの気が済まないというもの。
彼はギルバートの末路を思う。
ギルバートは王太子の地位を剥奪。そして彼を唆したトマスはテーレで即刻処刑された。ギルバートは遠い辺境の地に追放され、暗く小さい牢に閉じ込められた。聞くところによるとその牢獄には、鍵がかかっていないのに不思議と誰も脱獄したがらないらしい。
なぜなら牢獄の周りには数多もの死神が漂っているからだ。もし脱獄しようものなら、あっという間に罪人の命の灯火は吹き消されてしまうのだとか。
目の前にある扉は開いているのに、自由になれないという苦しみは想像するに耐えがたい。そしていつか耐えれなくなった時、囚人は牢獄の外へ一歩を踏み出すのだろう。
また、アステリアとテーレはあの騒動の後、和解を果たした。
とは言えどもテーレはアステリアに大きな借りがある。テーレは実質上アステリアへ謙る立場となり、ドランはオーラントへ永遠の親交と不可侵を誓ったのだった。和解を祝してミスティアはテーレへゴーレムを寄贈。これによりテーレの民は魔物に怯えずとも済む生活を約束された。ギルバートがかつて貶めた土魔法が、こうしてテーレの民を救う事になるとは、誰も想像しえなかったことだろう。
「寂しくなる」
スキアにしては珍しい、弱々しい声。ソルムはハッと目を見開きスキアを見つめた。
「貴方にそう言って貰えるなんて光栄ですね。……あの時、私を助けようと声を上げてくださったことはずっと忘れません。ありがとう、スキア」
ソルムとスキアが固い握手を交わす。するとスキアがしみじみ呟いた。
「ソルムならどこへ行こうともうまくやっていける。なにせ土の大精霊なのだからな」
「買いかぶりすぎですよ」
ソルムは褒められて苦笑する。
「まぁ、園遊会で大規模魔法を発動させた時から、普通の精霊ではないと思っていたが……。初めて聞いた時はやはり驚いた」
――そう、ソルムの正体は土の大精霊だったのだ。
隠していたわけではない。だがミスティアへ『契約破棄』を申し出たとき、初めてソルムは自らの正体を打ち明けた。普通の精霊であれば主の魔力なしでは顕現し続けられない。そのためミスティアならば絶対に契約破棄を受け入れないと思ったのだ。
しかし、大精霊ならば話は違う。大精霊は主の魔力に頼らずとも、自らの魔力のみで顕現し続けられる。ゆえにソルムはミスティアと契約破棄をし、広い世界へ旅立つことを決意したのだ。
「ミスティア様とスキアに出会って、私は初めて自分の力を信じることが出来ました。これからはフーラ村を助けられたように、色んな国で困っている人たちを助けたいと思っています」
ミスティアは何かを言いかけたが、やがて口をつぐみ胸のあたりで拳を握った。
「……どうかお元気で」
こぼれた声は小さい。
「――ミスティア様」
ソルムがミスティアへの名を呼ぶ。その凛とした声につられてミスティアの背筋が自然と伸びた。
「貴女様にこれを」
そう言うとソルムは、両手をミスティアの頭上に差し伸べた。
すると突然、ミスティアの頭上でするすると一つの花かんむりが編みあがった。ミスティアは思いがけない贈り物にパチパチと目を瞬かせる。
「これは……?」
「何の変哲もない花かんむりですよ。――私から貴女様への、心からの気持ちです」
ソルムは目を細め、ミスティアへ屈託のない笑みをこぼした。
その美しく花が咲くような笑顔にミスティアはしばらくの間見惚れてしまう。ややあって、彼女もまたソルムへ柔らかい笑みを浮かべた。
ミスティアは、この花かんむりに込められた意味を知らない。
そしてもしかしたらこの先ずっと、ソルムの気持ちに気づかないかもしれない。けれど彼は思った。
(この心の内ではミスティア様をずっと愛し続けます。誰よりも優しい貴女様を、永遠に)
「また会えますよね?」
「はい、かならず」
ミスティアとスキアの温かい視線を背に受けながら、ソルムは穏やかに微笑む。朝の霧が晴れて青空が目に眩しかった。まるで今のソルムの心を映す鏡のように。
去っていくソルムの後姿を眺めながらミスティアはスキアにしがみついた。
今にも泣き出しそうな彼女の肩に腕を回してスキアが口を開く。
「また二人きりになったな」
「……そうですね。スキアも寂しいですか?」
「寂しいが、俺にはあなたがいる。――そしてあなたにも俺がついているよ」
ミスティアはスキアに気取られないように目元の涙をぬぐった。彼女の気持ちを汲んだスキアが気づかないふりをする。
そうして二人はソルムの姿が見えなくなるまでずっと寄り添っていた。
しばらく経てば、レッドフィールド家邸宅ではスモモの花が満開を迎えるだろう。
――魔法学園の長期休暇が終わるのだ。もうすぐ、新学期が始まる。





