6 「これからは叔父上が領地を治めてくださいませ」
木製の艶やかなドアに、4回ノックをする。暫くすると低い声で入れ、と声がした。
「失礼いたします」
葉巻の匂い。
大きな窓がある傍に机が置かれていて、そこに叔父は居た。ミスティアを一瞥すると、ため息をついて葉巻の火を消す。部屋中に白い煙がうっすら霞んでいて、叔父が長い時間葉巻を吸っていたことを示していた。
ミスティアを薄汚い物を見るような目で見た後、ため息交じりに言葉を発す。
「何か用か?」
「……見ていただきたい者が居ります。スキア」
ミスティアは叔父に近寄り彼の名を呼ぶ。すると彼女の隣に、美しい騎士が現れた。突然の事に座っていた叔父はのけ反って、その場から立つ。そう、ミスティアはスキアが突然現れる様を叔父に見せるために予め彼を影に潜めさせていたのだ。
「な、何者だ!?」
「このように現れるのは精霊しかおりませんでしょう?」
「精、霊? お前の精霊は、すべてアリーシャに移ったのではないのか…………!?」
「こちらの精霊は、私に従ってくれるそうです」
「何だと……? なぜ契約した!? ミクシリアン卿に何と申し上げればっ。今からでも遅くはない、再びアリーシャに彼を渡せ。精霊に見放されたお前のような役立たずに、上位精霊が扱えるわけないだろう!」
怒りで顔を染め上げる叔父。バン、と机をたたき、近くに置いてあった鞭を手に取る。幼い頃からミスティアが粗相をすれば、いつもあの鞭が飛んできた。
(それでまたぶつっていうわけ? 私が許してくださいって泣くと思っているのかしら)
ミスティアが眉をひそめて何かを言いかけた。だが彼女が口を開くよりも早く、スキアが剣を抜く。そして、叔父の喉元に切っ先を突き付けた。その慣れ切った流麗な所作は、彼が今までに何回も剣を抜いてきたことを連想させた。
「ひっ」
「彼女を愚弄するな、俺はこの方にのみお仕えする。貴様のような愚図に指図される覚えはない」
碧眼が爛々と輝き、叔父を射貫く。圧倒されたのか、額に汗をかき彼は後ずさった。まるで怯えた犬のような姿だ。ミスティアは思わず笑いそうになったが、こらえつつ口を開く。
ミスティアの心は風船のように軽くなったが、話を続けるためスキアを制止することにした。
「やめてください、スキア。それでは話も出来ません」
「……ハ」
目を伏せてスキアが剣を鞘に戻す。喉元の剣が外された叔父は、喉をさすってからミスティアを睨んだ。血も出ていないのに。
「どういうつもりだ! なんだこの野蛮な精霊はっ。今まで従順だったというのに、まるで人が変わったようだ。ミスティア、よく聞きなさい。ミクシリアン卿に嫁げば今よりもっと良い暮らしができるんだ。お前にとってこれ以上ない幸せだろう?」
(幸せ、ね。なぜ私の幸せをこの人に決められないといけないの? 馬鹿みたい)
ミスティアは冷たい目で叔父を見返した。彼の目には薄汚い欲望しか映っていない。ミスティアは、なぜ今までこんなやつに怯えてきたのだろうとため息を吐いた。
「良い暮らしは出来るでしょうね。……一時は。叔父上、精霊に主替えする気がない以上、この状況を受け入れるしか御座いません。そこでミクシリアン卿に私を嫁がせるより、もっと良い提案がございます」
「良い提案だって? この俺に提案する必要はない。ただ従っていればいいんだ。そうすれば何もかもうまくいく」
何を言っているんだかというような風で、叔父は椅子にどかっと座り直す。そうだ、彼はなにもかもを思い通りにしてそのしわ寄せをミスティアに押し付けてきた。
ミスティアは無言で、今までつけてきた帳簿と書類を机の上に放り投げた。魔物の被害への対策、施設の修繕や収穫物の売買などについて書かれたものである。そのほかにもミスティアの仕事はたくさんあった。それらを叔父はミスティアに丸投げし、自らは享楽に耽っていたというわけだ。
しかもミスティアの手柄はすべて叔父のものになっていた。彼女は時間がないながらも、それなりに領地経営を維持させてきた。だが領主は彼女の叔父。彼がうまく領地を経営していたということになっていたのである。
「とても良い提案ですよ。これからは叔父上が領地を治めてくださいませ。みなが言うように、叔父上は素晴らしい手腕をお持ちのようですから。私ごときが関わるべきではないですわ。ああ、侍女も雇ってくださいね。繕い物や食事の支度ができなくなりますので」
「はあ? 何を言って――」
「私は魔法学園へ復学します。資金の調達は結構。特待生として通学しますゆえ」
凛とミスティアが言い放つ。叔父はあっけに取られて、口をぱくぱくとひきつらせた。
「異論はなさそうですね、それでは失礼します」
「ま、まて! この間、猟犬の残飯を食べさせたのが良くなかったんだな。だがお前が逆らうから……とにかく、これからは人並みに食べさせてやる。アリーシャにも、わがままの度が過ぎないよう言い聞かせてやるさ。まったく、きっとお前に甘えたいんだよ。可愛いだろう? 許してやってくれよ、ティア」
ティア。ぞっとして鳥肌が立つ。ミスティアの両親が彼女を呼ぶ時のあだ名だ。やれやれと叔父が肩をすくめた。ミスティアは吐き気がこみ上げてくるのをぐっとこらえる。
(その名で呼ぶな。……駄目。この人には何を言っても無駄だ。私がただの使い捨ての道具にしか見えていない)
「おい」
ミスティアが呆れて言葉を失っていると、低い声が響いた。彼女の精霊である。スキアが発する怒気が、ぶわりと空気が張り詰めさせた。凄まじい殺気。その殺気は、一心に叔父へと向けられる。先程までへらへら笑っていた叔父は、ひいっと息をもらし、ガタガタ震え出す。
「話は終わった。二度と口を開くな。開けば、お前の舌を引っこ抜いてそれを食わせてやる」
(ここここわ……! どうやったらそんなセリフを思いつくのかしら)
もしかしたらスキアは殺気だけで人を殺せてしまうかもしれない、とミスティアは思った。彼女に向けられているわけではないのに、隣にいるだけで肌がひりつく。
それに気づいたスキアがミスティアをちらりと見ると、殺気を緩めた。叔父は気絶している。
「すまない。止めろと言われていたのについ」
「いいえ、助かりました。どうやら今度こそわかって頂けたようですから」
ミスティアはスキアに向かってゆるりと笑いかけた。一瞬だったが花が咲くような、とろける美しい笑み。スキアは驚いたが、その笑顔をしかと目に焼き付けた。そして、『そういう約束だったな』と笑い返したのだった。
叔父上ざまぁ!