5 殺意が高いのですが
「あなたは、自分を虐げることに抵抗がないのか?」
凄みのある、怒りを押し殺した声だ。ミスティアは頬をかいて言い訳の言葉を探す。光の精霊のはずだが、今のスキアは魔王だと言われても信じてしまいそうだ。ミスティアはスキアを驚かせてしまったことを反省した。
「ええと、そんなことはありませんが」
「その指。治るとはいえ、自ら傷をつけるとは」
スキアがミスティアに歩み寄る。座っているミスティアに、スキアがかがんで近寄った。息がかかりそうなど近い距離。ひゅっと彼女の喉が鳴る。
「二度と、自分の体を傷つけることは止めていただきたい。――俺も痛くなった」
どこまでも整った顔が苦し気に歪んだ。ミスティアが思考を停止していると、形のいい唇が目に入る。
「ふぁっ!? え、ええと。申し訳ありませんでした。私が傷つくとスキアも痛むのですか? 精霊学には多少自信がありますが、痛みが同調することは存じませんでした――」
「本当にどこまでもお優しいのだな。従属したからといって、痛みが同調するわけではない。ただ、あなたが傷つくのを見たくなかった。見ればその相手を殺したくなるから。
…………あなた自身じゃ、殺せないだろう?」
「へ…………」
その発言に時が止まる。ややあって、ミスティアはスキアの言葉を咀嚼した。
(こ、怖い)
精霊ジョークなのかとミスティアはじっとスキアを見つめた。しかし彼は目に昏い光を宿したままだ。信じたくはないが、本気の様である。本当に怖い。
彼女は内心、心臓がバクバクしていたが、相変わらずの無表情。いつもの人形めいた顔で、焦っている表情を作ることはできない。スキアもまた彼女を真顔で見返すのみ。男女が見つめ合っているというのに、そこに甘い空気は一切ない。
(スキアって、聖騎士然とした精霊だと思っていたのに、なんだか殺意が高いような……)
ミスティアは、スキアの腰に提げてある剣をちらりと見た。おそらく、おもちゃではないだろう。――もし彼が本気でいるなら、ミスティアを害す相手を全員殺されてはたまらない。彼女はスキアを宥めるため、極めて優しい声をだした。
「そ、そこまで心配してくださるなんて」
「5年だ。あなたは知らないだろうが俺は影となり傍に居た。だからあなたが思っているより、俺は主びいきだ」
「ええと」
「――あなたに降りかかる火の粉は、全て払って差し上げよう。望むなら、邪魔な者も消し去ってやる。あの、女狐も。そうしたら、俺にもっと笑いかけてくれるか?」
爛々と輝くその目は真剣だ。思わずミスティアの呼吸が止まる。
(忠誠心がすごい……。光の精霊は、みんなこうなの? 思ったより、私と言う存在を慕っていてくれることは分かった。落ち着かせるためにも、何か言わないと)
「スキアの手を汚すのは、はばかられます」
「っ、あなたには欲がない…………いっそ」
ぐっとスキアの声が詰まった。何かいいたげではあったが、口をつぐむ。長い睫毛が伏せられた。
「いいや、何でもない。その優しさを捨てきれないところが、あなたらしい」
彼の瞳から怒りが消える。そのタイミングを見計らって、ミスティアはスキアの視線を外すため顔をそらした。
(はあ、やっと息ができる)
「先ほどの件、まだ返事を聞いていないが」
「はい。やたらに自分を傷つけることはもう致しません」
「その言葉が聞けて良かった。……取り乱してしまい、すまなかったな」
ひとまず落ち着いてくれたようで安心するミスティア。
(勘違いしてはいけないわ。スキアがこんなに心配してくれているのは、私が主だから)
まだ早鐘を打つ心臓をおさえて、ミスティアは目を伏せた。邪魔者は消し去ると言ってくれたスキアは確かに怖いものがあったが、心強くもあった。
しかしその、健全とは言えない安堵の感情を、ミスティアは心の奥底に隠したのだった。
「それで話は戻るが、叔父に報告した後はどうするんだ?」
「スキアは、私が魔法学校に通っていたことをご存知ですよね」
「ああ、知っている。叔父に反対され通えなくなったことも。叔父は退学届けを提出するだろうな。精霊使いでなくなったと思っているのだから」
「……そうでしょうね」
ミスティアはうつむく。彼女はかつて魔法学園に通っていた。雀の涙ほどではあったが、魔力を持っていたからだ。両親が健在の頃から通っていたが、叔父に通学を止められた。お前には資格がないだのと理由を付けて。要するに資金不足のためだ。学校へ通っていたおかげで、精霊を召喚できたのに。
魔法学園を卒業すれば、一人前の精霊使いとして認められる事ができるはずだった。だが手段として以外にも、ミスティアは学校が好きだった。それに避難所としての役割も。
叔父の暴力や罵声が飛んでくることもない。アリーシャから侍女のように使いつぶされることもないのだ。
学園長のはからいで、まだ籍はある。先日も手紙が届いた。内容は差しさわりなく、体調を気遣うものだった。だが貴方をいつでも待っている、と言われた気持ちになり、嬉しかったのを覚えている。
(一体、どうしたらいいの)
「なぜ自分を押し殺すんだ?」
スキアが言った。ミスティアは顎を持たれ、くっと上へ向かい顔を上げられる。彼女の瞳とスキアの瞳がかち合った。彼の瞳に映ったミスティアは、雨の中置いて行かれた子犬のような顔をしていた。
「あなたは素晴らしい精霊使いだ。俺はあなたが学園を卒業する姿が見たい。そして、その望みを叔父やアリーシャに阻まれる必要は一切ないんだ。――あなたは、自由であるべきだ」
「!」
ミスティアは息を飲んだ。今までずっと虐げられてきて、『自由』という言葉を見失っていたのだ。今だって、どうやって叔父を説得するか、家事は、帳簿はと考えをめぐらせていた。
(なんで今まで必死になっていたんだろう。本来なら、叔父がする仕事を全てやってきた。あんなのでも、血がつながっているんだもの。でも、叔父は私を売り払って殺そうとしたし、アリーシャは私から精霊を奪った。……そんな人たちのために、頑張る必要はあるの? いいえ、ない……。あってたまるものですか)
ミスティアは、膝の上の拳をぎゅっと握りしめた。唇がふるえて、スキアに返事をしたいのに、声が出てこない。喉が熱くなる。その様子をスキアは穏やかに見守った。ややあって、少しずつ彼女は語り始めた。
「お母様は素晴らしい風の精霊使いでした。私は、両親が事故で亡くなる前に約束したのです。お母様に、私もそうなると……レッドフィールド家の長女として、立派に務めを果たすと。だからずっと我慢してきました。その約束だけを、頼りに」
「ああ」
「私に力がなかったから虐げられた。当然ですよね、目の前に何も言わない便利な人間がいるのだから。でも、スキアの言う通り、もう望みを邪魔される必要はありません。私には、素晴らしい貴方がいて、力もある」
ミスティアは目をつむり、そして開いた。もう彼女は、先ほどの雨に濡れている少女ではない。
「叔父に、会いに行きましょう」
彼女はスキアに気づかされた。そして彼に手を引かれるように、自分の人生を歩む一歩を踏み出したのだった。