3 大舞踏会へ
ソルムはやっとといった様子で名乗ると、サラサラと粒子になり消えていった。気を失い魔力供給が断たれたのである。それを見届けた後、ギルバートがパン! とひとつ手を叩いた。
「精霊が名乗ったという事は、ミスティア嬢を主と認めたということですな! いやめでたい。王太子である以上中々こいつを手放せず困っていましてね。貴方が引き受けてくださって本当に良かったですよ。私が大切な精霊を救国の英雄へ下賜したとなれば聞こえも良い。……では、さっそく契約譲渡をさせていただこうと思いますが、よろしいかな?」
なんとも明るい声色。
ギルバートはソルムに全く未練が無いようで、晴れやかな表情を浮かべている。ミスティアは『下賜』と聞き、ピクリと眉を動かした。精霊は物ではない。自分が物扱いされたわけではないのにズキンと心が痛む。
「……お願いします」
けれどミスティアはやっとのことでギルバートへ微笑んでみせた。
ギルバートの機嫌を損なうわけにはいかなかったのだ。もし彼の気が変われば、ソルムは再び暴力に囚われてしまうだろう。自分の表情ひとつでこの機会を台無しにしてはならない。しかし無理やり笑うと頬が痛かった。
「そういえば、英雄殿は下級貴族のご出身でしたね。王太子直々に物を賜るなど、初めての経験ではありませんか?」
ギルバートの表情に嘲りが滲む。本来なら口をきくのにも許しが要るのだぞ、と言いたいのだろう。ミスティアは馬鹿にされたことよりも先に、ギルバートの命を心配した。
(怖くて後ろが見れない……!)
背後から暗黒のオーラを感じる。ミスティアは自分が蔑まれることで、自分以上に怒ってくれる者の存在を知っていた。だがスキアが何も言わないところを見ると、彼も同じく耐えているらしい。それほどまでにソルムを案じているのだ。
ミスティア以外の者に対し、スキアがここまで心を砕くのは初めてのことだった。
(なんだかほんの少しだけ、妬けてしまうかも)
と一瞬そんな考えがよぎってしまう。
(こんなこと思ってはいけないわ)
ミスティアはふっと灯ったロウソクの火のような、淡い嫉妬心を打ち消した。
ギルバートが手をかざし、ミスティアへ向かって呪文を唱える。ソルムの名が心臓に刻まれる熱を感じながら、ミスティアはゆっくりと瞼を閉じた。
*
優雅な弦楽器の音が耳に心地よい。
今夜は大舞踏会。『救国の英雄』お披露目のため、ホールの飾りつけは正に豪華絢爛の一言。
天井に吊り下がった巨大なシャンデリアの光を、磨き上げられた大理石の床が反射させている。至る所にミスティアをイメージした白と紫の花が飾られ、花のかぐわしい香りが鼻をくすぐった。
この日のためにカーテンは全て紫色に取り替えられており、いかに国王がミスティアへ心を傾けているかが見て取れる。目の肥えた高位貴族たちも、今夜の豪奢な装飾には思わず感嘆の息をこぼした。
王都アステリアに訪れた突然の平和に、誰もが笑みをこぼし酔いしれている。
和やかな空気の中、突然弦楽器の音が止まる。ざわざわとした雑踏はやがて静まり、階段の先にある壇上へと視線が集まった。その壇上へ、金管楽器を手に携えた音楽隊がトントンと足音を立て登っていく。
「陛下の御成り!」
そう一人が叫ぶと、音楽隊が高らかに金管楽器を吹いた。
壇上の奥、閉じられていたカーテンが開かれ、そこから白い顎ひげを蓄えた初老の男が現れる。王都アステリアを統べる国王オーラント・ディ・アステリアその人だ。彼は手すりに指をかけると、群衆へ微笑みかけた。
「本日はお集りいただき誠に感謝する。さて今夜の主役は私ではなく、とあるご令嬢だ。光の大精霊と契約を交わし、守護水晶を見事復活させた平和の立役者――ミスティア・レッドフィールド嬢!」
スキアにエスコートされ、ミスティアがカーテンをくぐった。
二人の姿が壇上に現れると、割れんばかりの歓声が沸き上がる。ミスティアは緊張で気を失いそうになりつつもそれをぐっと堪えた。スキアが握る手に力が込められる。
オーラントが群衆へ手をかざし、歓声が再び静まり返った。
「我オーラント・ディ・アステリアはミスティア・レッドフィールド嬢の功績をたたえ、彼女を『救国の英雄』として認める。そして彼女へ最上級の感謝を贈ろう!」
大きな拍手が沸き起こる。ミスティアはオーラントへ丁寧にお辞儀をした。
「勿体なきお言葉にございます」
「よい、よい。さあ今夜を存分に楽しんでくれ」
オーラントは快活に笑うと手をひらひら仰いだ。それを合図に、弦楽器が奏でる優雅な音楽が再開する。ふとミスティアが階段下を横目で見下げれば、そこには沢山の人だかりが出来ていた。
(うわぁ。今からあの方々全てお相手しなければならないのかしら……?)
ミスティアの絶望を察したオーラントが眉を下げつつ笑う。
「ああミスティア嬢。今より他国の殿方から数え切れぬほど求婚を受けるだろうが、すべて断ってもよい」
「か、かしこまりました」
役目を終えたオーラントが、置かれた椅子によいしょと腰かける。
ミスティアは気を重くしつつ、オーラントへもう一度お辞儀をする。そして振り返り、覚悟を決めてスキアと共に階段を降り始めた。
降りきるのを待たず、我こそはと若い男性が彼女の前へ躍り出てくる。
「ミスティア嬢、お初にお目にかかります! 私は隣国ダーレステンから参りました公爵家の――」
「おいそこをどけ! お美しいマイ・レディ、私は海を渡りティハナという国から参った――」
前のめりに畳みかけられ、ミスティアはうっとのけ反る。人だかりの殆どは若い男性。しかも耳にする地はアステリアのものではなく、そのどれもが他国のものであった。それも高位貴族や王子まで。
その時ミスティアは初めて気が付く。
(そっか、他国は守護水晶もないし光の大精霊が守ってくれている訳じゃない。私を妻として迎え入れたら他国にとっては大きな利になるんだわ)
――とミスティアは納得したのだがその実。
彼女の美しさと漂う気品に魅了され、近づこうとしている者がほとんどだった。
ミスティアは申し出を断るため、やんわりと笑みを作ろうとする。
すると彼女の前にひらりと青い外套が翻った。その笑みを見させまいと、スキアがミスティアを背に庇い男性たちに立ちふさがったのだ。
「我が主がお困りだ。彼女に近づきたければまず、この俺を攻略してみてはいかがかな? それが賢い手順というもの」
破壊的な美貌を持つスキアが昏く口の端を上げる。瞬く間にその場の気温が氷点下まで下がった。誰もが彼の気迫に呑まれ浮かべていた笑みをひきつらせる。
「あ……ひ、光の大精霊様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」
「わ、私は用事を思い出しました……」
『あわよくば』お近づきに。そう目論んでいた薄い覚悟の殿方たちがそそくさと退散していく。ミスティアが胸を撫でおろしていると、一人の男性の姿が目に留まった。
(テーレの王太子、ギルバート)
せめて心の中では殿下と呼びたくない。ギルバートは精霊を消滅させようとまでしていたというのに、上機嫌で笑っている。
その笑顔を見ていると、心がどんどん冷えていくのを感じた。
(たまに信じられなくなる。誰かの心を踏みにじっても、平気な顔をしていられる人がこの世にいることが)
ミスティアは過去を思い出す。彼女もかつて信じていた妹に裏切られ、あまつさえ身代わりの役目を負わされたことがあった。
けれど妹のアリーシャはミスティアの死に罪悪感を抱くどころか、むしろ喜んでいた。『私の代わりに死んでくださってありがとう、お姉様』と。
世の中には想像を絶する悪意を抱いた人間が確かに存在する。
ミスティアは嫌なことを思い出してしまった、と目を伏せた。ギルバートの顔を見ているとつらくて、どこかへ逃げてしまいたくなる。
「それではこれにて、皆様方」
ミスティアはその場で完璧なお辞儀を披露する。
彼女を囲んでいた男性たちは、彼女の気品あふれる佇いに飲まれ口を閉じた。ミスティアは踵を返し、その後ろをスキアが追従していく。
「あの――」
と彼女になお追い縋ろうとする男性が一人。するとスキアが振り返った。
「ひっ」
男性含む、その場の令息たちは息を呑み顔を青ざめせる。スキアの視線は、まるで絶対零度の吹雪を浴びせるがごとく、彼らの心臓を凍り付かせた。『これ以上ミスティアに近づけば殺す』と言わんばかりの気迫に、誰もが動きを止める。
もはや、ミスティアを追う者はもはや誰もいなかった。誰だって命は惜しいからだ。





