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2 売られていく子牛

「心より感謝を申し上げますわお姉様! 今までご苦労なされましたでしょう。後は私に任せてゆっくり休まれてください。それに、ふふっ。先程とてもおめでたい話を耳にしたんですのよ!」


(おめでたい話?)


 暗い表情を浮かべるミスティアに、アリーシャが駆け寄る。そして傷だらけのミスティアの手をぎゅっと握った。頬を薔薇色に染め見上げてくるアリーシャはとても美しい。ミスティアは身構えつつも、アリーシャの接近を受け入れる。


(なんて、きれいな指……)


 貴族令嬢らしいなめらかで白い指。かつてはミスティアもそうだった。だが炊事や洗濯などの水仕事に追われる彼女の指は、いつだってガサついている。するとアリーシャは突然、自らの爪をミスティアの指にぐっと強く食い込ませた。


「痛っ!」


 ミスティアは、思わず痛みで手を振りほどいてしまう。丁度傷口のあたりにアリーシャの爪が食い込んだのだ。しまった――と思うより早く、アリーシャが口開いた。


「ひどいですわお姉様っ! 私はただ、お姉様のご婚約をお祝いしたいだけなのに……」


「え?」


 アリーシャが指をさすった。まるでミスティアが手を打ったような仕草だ。アリーシャが涙目になると、後ろに控えていたシャイターンがすぐさま彼女の肩を抱く。そして憎しみのこもった瞳でミスティアを睨みつけた。手放したとはいえ、かつて愛していた精霊だ。その視線を受けて彼女は平気でいられるはずがない。


 だがミスティアは表情で戸惑いを表すことが出来なかった。人形のガラスのような瞳で、ただ彼らを見返すことしかできない。ただショックで動けないだけなのに。


(私に婚約者? いいえ、それよりも……。私はアリーシャを打ったりなんかしていない。でも、彼らには何を言っても無駄なよう)


「おい! よほど燃やされたいようだな! 腹いせってわけか、ああ? 俺を召喚したのがお前だって考えるだけで、虫唾が走る。アリーシャ大丈夫か?」


「はい、シャイターン様。大したことはありません。どうかお姉様の事を許して差し上げてください」


「お前は……本当に優しいな」


 そういって、涙目になりつつも健気に微笑むアリーシャ。そのいじらしい姿を見て、シャイターンが眉を下げた。まるで悪役令嬢に虐められる物語のヒロインさながらだ。


 ――彼女の自作自演ではあるが。


 精霊達は気づくことはない。シャイターンに抱きしめられながら、肩越しにアリーシャがミスティアへ微笑む。


 その微笑は、まさしく『嘲笑』と呼ばれるものだった。







「ミスティア、ご挨拶なさい。この方はミクシリアン・ホード辺境伯だ」


 叔父にそう言われたミスティアが、目を伏せながらかの人へ丁寧なカーテシーを披露する。


 ミクシリアン卿は彼女を舐めまわすように眺めた後、手に持った赤ワインをぐいっと一飲みした。レッドフィールド家の客間。辺りは夕方で薄暗く、この日のためにだけ雇ったハウスメイドが燭台の蝋燭に火を灯し始めている。


 ミクシリアン・ホード辺境伯は、王都に近いレッドフィールド領地から遠く離れた地を治めている大地主だ。それがある目的でこの地へ訪れていた。歳は50程だろうか、初老でぶよぶよと肥え太っている。彼が身じろぎすると、腰かけている椅子がギッと鳴った。


 げほ、とはしたなくげっぷをしてミクシリアン辺境伯が口を開いた。


「随分やせ細っているじゃないか。髪も伸びっぱなしで顔が良く見えん。望みはアリーシャだったが、精霊と契約を交わしてしまうとは。ああ、非常に勿体ない。しかし、美しいこぶつきは困るからなあ」


「は。しかし、ミスティアも器量は悪うございませんよ。アリーシャほどではありませんが、きっと良き妻となり閣下をお支えするかと」


 ぐい、と叔父が乱暴にミスティアの前髪をかき分ける。まるで奴隷を売り払う商人のようだ。彼女の整った顔を見てミクシリアン卿がふむ、と自らの顎をさすった。


(――ああ、なるほど。だからアリーシャはあんなにも精霊を欲していたのね。彼が私の『婚約者』ってワケ)


 叔父も叔母も、アリーシャに精霊を譲りなさいの一点張りで、理由は教えてくれなかった。しかし今この時ミスティアは自分の状況を把握した。叔父たちは可愛らしいアリーシャを、辺境の地に嫁がせたくなかったのだろう。それも――。


 1年以内に幼い妻が次々と死んでいくという噂の、ミクシリアン卿の元へは。


 ミスティアは手に汗がにじんで、ドレスをぎゅっと握りしめた。


 一難去ってまた一難。なぜミスティアが叔父や叔母と共に暮らしているのか。それは幼い頃両親が事故で亡くなり、父の弟である叔父が彼女の後見人となり実質上の父となったためだ。爵位は彼女にあったが、幼かったため叔父が預かった。


 それでも父の爵位を渡していいものかと、幼いながらミスティアはためらった。しかしついに爵位を預けてしまったのは、彼女を本当の姉と慕う可愛らしいアリーシャにほだされたから。


 今となっては、それは彼女の人生最大の後悔だ。アリーシャは天使の顔の裏で彼女を操りほくそ笑んでいたのだろう。爵位が渡されればすぐに態度を一変させ、ミスティアを奴隷のように冷たく扱った。


 彼女が過去を思い返している間、叔父とミクシリアン卿との間ではとんとん拍子に話が進み、近日中にミスティアは彼の元へ嫁ぐこととなった。


 その夜の宴。レッドフィールド家の客間には沢山の人が集まった。ミクシリアン卿が愉快にどこかの家の夫人と踊っている。社交界では変わり者と蔑まれていたミスティアは、壁の花となり宴を観察していた。


 誰にもダンスを誘われない事は、令嬢にとってはかなりの恥だ。しかし抜け出すことは禁止されていて逃げられない。周囲の令嬢が蔑んだ目でミスティアを見る。


 隣家の令嬢がピアノを弾けば、明るい弦楽器がそれに加わった。


 誰もかれもが楽しそうに談笑を交わしている。その中で彼女は、踊る叔父の肩越しに見える壁紙が剥がれているのに気づいた。散財して財政難の叔父と裕福な辺境伯。


 ミスティアは、売られていく子牛だ。


 ふいに精霊達と談笑しているアリーシャと目が合う。

 ミスティアとアリーシャは離れた位置で、お互いの声は届かない。すると、アリーシャがゆっくりと唇を動かし始めた。ざわざわとした雑踏が静かになる感覚。ミスティアは息をのんだ。


『おめでとうございます』


 離れていてもミスティアにはっきりと伝わった。ゾクリと悪寒が走り、ミスティアは硬直する。


(……アリーシャは自分の代わりに私が死ぬのを、なんとも思っていない。それどころか……喜んでる)


 ミスティアは怖くて、何も出来ない自分がみじめでたまらなくなった。陽気な音楽が最高潮に達する。手拍子がにぎやかだ。アリーシャが若い青年に腕を引かれ、ダンスを踊り出す。『もう、強引なんですから……』なんて言いながら笑っている。


 ミスティアは初めて、人を殺したいほど憎いと思った。



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[一言] 爵位簒奪されてるの気づかないのか国
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