10 スノードーム
ミスティア達は何とか馬車を見つけて、王都アステリアにある魔法学園へとやって来た。馬車に乗るまでだいぶ歩かなければならなかったため、ミスティアはすっかりくたびれてしまった。途中、スキアが『空を飛んではどうか』と提案してきたが、丁重にお断り申し上げた。
一応、風の上級魔法の頁に、飛空魔法は載っている。だが、一応貴族令嬢なので体裁を気にしたのだ。城下の子供たちに空を指をさされてはたまらない。
ミスティア達は、学長室を目指し早歩きで教室を通り過ぎていく。目的地は眩暈がするくらい巨大な螺旋階段の先だ。スキアは余裕そうに、ミスティアはハァハァと息切れしながら口を開いた。
「学生は一度だけ、特待生になるための試験を受けることが出来ます。権利は一度きりです。もちろん学生は慎重に権利を行使しますが、今回はそうも言っていられませんね。特待生になれば、国が身柄を保護してくれます。授業料も無料になりますし、叔父も簡単には退学にできない。……啖呵を切ったはいいものの、不安です。合格基準は、教授によって異なってこればかりは運ですね。さて、私の担当はどちらの教授なのでしょう?」
魔法学園では魔法の適正がある者は、身分に関係なく誰でも通うことが出来る。――ただし、高額な授業料により実際は貴族が生徒の大半だ。そこで学長が考えたのが『特待生制度』。優秀な者は国益になると国を説得し、平民であっても学園に通えるような仕組みを作ったのだ。
そしてこの特待生制度は授業料免除のほかにもう一つ利点がある。『国益』という名目から、たとえ保護者が生徒の退学を望んだとしても、そう簡単には退学させられないという点だ。まだその決まりが無かった頃、せっかく特待生になれた平民の生徒が、親に退学させられるという事態が多々発生した。
それは結局、平民が特待生であることを許せない貴族が、特待生の親を脅して退学させていたからである。激怒した学長はすぐさま制度を見直し、新たな決まりを作った。
ミスティアは貴族令嬢ではあるが、この決まりがあったからこそ復学に希望が持つことができた。
「関係ないだろう。ミスティアが落ちる事なんてありえないのだから」
「そ、そんな自信満々に。回復や風魔法は使えましたが、どれも初級魔法ではないですか。要求されるのはきっと中級魔法です」
「ならここで使ってみればいい」
スキアは至極簡単に言ってのけた。彼を連れて歩けば、すれ違った女学生が雷に打たれたような顔で立ち止まる。それも何人もだ。原因は、このおとぎ話から飛び出してきたような彼の容姿だろう。ミスティアはため息を吐きたくなる。
「そうしたいのはやまやまなのですが、なにせ時間がありません。叔父が早馬を走らせて退学届けを提出すれば、厄介なことになりますから。言っておきますが、中級魔法はどれも簡単に放ってはいけませんからね。辺りに被害が及びます」
「承った、我が主」
恭しくスキアが言うので、ミスティアはこれ以上なにも言うまいと口をつぐんだ。そして目的地へと辿り着く。学長室は、巨大な天体望遠鏡と一体になっていて、ドーム型だ。室内は壁が本棚になっており、古い紙の匂いがした。広い天窓は、昼の強い日差しを遮るために閉じられている。
天窓から降りる長い鏡筒。その真下に置かれた脚のとても長いハイスツールに、腰かけている老人が1人。彼女はレンズのくもりを布で丁寧にふき取っていた。
学長室の扉は開け放しだったために、ミスティアはその場で咳払いする。すると彼女がぱっとこちらへ振り向いて、小さな丸眼鏡をかけなおした。
「おやまあ、可愛らしいお客さんだ」
そういうと、彼女はハイスツールからぴょんと降りた。ミスティアが心配する間もなく、ふわりと風魔法があらわれて衝撃を緩和する。
「ごきげんよう、今日は精霊が騒がしいと思ったら! 私の小さな文通相手さんだったのね」
「ごきげんよう。先生、ご無沙汰しております。突然の訪問申し訳ございません」
ミスティアはカーテシーを披露した。目上への尊敬を込めてしごく丁寧に。先生と呼ばれた彼女は、メアリー・シンプソン侯爵夫人。アステリア魔法学校の学長である。歳は還暦を過ぎた位の見た目。上品な白髪を束ねて、紫の口紅を差している。紺のローブも相まって、いかにも魔女と言うような雰囲気だ。
「生徒はいつだって訪ねてきて良いの。それで何か用があるのよね? あなたのパートナーが変わっていることに関係あるのかしら」
「……差し迫った事情がありまして。特待生試験を、受けさせていただけないでしょうか。――叔父が私を退学させる前に」
「本当に突然なのねえ」
メアリーはそう言うと、困ったわ、と頬に手を添えた。白い睫毛を瞬かせて彼女はしばらく考え込む。すると、一匹の黒猫がミスティアの足元をすり抜けた。口には封筒を咥えている。
「あら、手紙が来たみたい。ありがとう、ベル」
メアリーはベルと呼んだ黒猫をひと撫ですると、手紙をその場で開封した。内容を読むと、彼女は先ほどよりもずっと難しい顔で悩みだした。
「まさか封筒に、入学届と退学届が一緒になって入っているなんて!」
「もしかして私の退学届、ですか」
「ええ。入学届には特待生試験の希望も添えられていたわ」
会話に飽きたベルが、ひとつあくびをして小さなティーテーブルへジャンプした。その横にはスノードームが置いてある。キラキラと雪が降っていて、少女の人形がふたり雪玉を投げ合っていた。魔法の力で動いている様である。メアリーはそのスノードームをじっと見つめた。
「――ああ! 良いことを思いついた!」
メアリーは目じりにしわを寄せて、にっこりと笑う。ミスティアは、その笑顔になぜだか嫌な予感を感じた。
「あなたとこの編入希望者で、決闘してもらいましょう! 私が担当するわ。それで、勝った方が特待生になる。名案だわね!」
「その決闘相手って……」
「ええ。アリーシャ・レッドフィールド嬢よ」
ミスティアは目をぱちりと瞬かせた。――本気ですか先生、と。
「沢山生徒を集めましょうね、舞踏会を開くの。決闘はメインイベント。きっと楽しい催しになるわあ」
メアリーがあまりに機嫌良く言うので、ミスティアは絶句してしまう。メアリーはミスティアが何も言わないので、どんどん話を進めていく。ミスティアは人形の様にカクカクと頷いた。
「じゃあこの日にしましょう。あと、この書類は見なかったことにするわね」
「え?」
そう言うとメアリーはミスティアの退学届を手に取った。すると手紙の端に火が付き、あっという間に燃え上がていく。後にはぱらぱらと灰が散り、床のホコリとなった。ミスティアは驚いた顔でメアリーを凝視する。
「貴方の方が先だったから。良かったわね~間に合って。あ! これは私たちだけの秘密にしましょう」
「は、はい。ありがとうございます」
ミスティアは、叔父に啖呵をきったことといい、退学届の焼失といい、崖の際に立っている心地がした。しかも、メアリーは決闘を見世物にするつもりらしい。彼女は優しいがつくづく苛烈な面もある。
(まさか、元精霊達と戦う事になるなんて。話が伝わればアリーシャはさぞ喜ぶでしょうね。私の事を魔法が使えない無能だと思い込んでるし)
退学は今のところ免れたが、もう一つ問題があった。ミスティアは恐る恐る口を開く。
「――先生、部屋をお貸しいただく事は可能でしょうか? 屋根裏でもどこでも良いのですが」
「良いわよ。屋根裏だなんて、ふふふ! 面白い冗談を言うのね。寮の空き部屋をベルに案内させるわ。それじゃあ、貴方たちに幸運あれ!」
メアリーが微笑んでベルに目配せする。ベルがティーテーブルから軽やかに降りた。冗談とあしらわれたが、ミスティアは今まで屋根裏でずっと寝泊まりしていた。だが貴族令嬢が屋根裏で寝泊まりする事などありえない。ミスティアは(まあその反応が普通よね)と思いつつ、メアリーに一礼をした。
ベルが扉でにゃあと一鳴き。早く来いと催促しているようだ。
「かさねがさねありがとうございます。それでは、先生」
ミスティアは、ベルに急かされて踵を返した。スキアもそれに続いていく。扉を出て、階段を下りていく一行を眺めながら、メアリーは優雅にカーテシーをした。
「長く生きていれば、面白いこともあるものね」
そう独り言ちながら。
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